

2011年4月26日(火)/27日(水)
ポルトガルは子供インタビューの目処が立っていないため、リスボンでアポが取れるなら予定を変更して連泊しようとも思いながら午前を過ごします。
あちこちに連絡してみる。日本大使館、大使館から紹介された団体、商売をされている在リスボン日本人、近隣の小学校などに電話をするがなかなか良い返事がもらえない。そんな中、一校だけ「とりあえず学校に来て下さい」と言ってくれたのは私立の小学校。指定された午後まで待ち学校に訪問すると、主旨には賛同してもらえるが、子供のビデオ撮影は「not possible」(可能でない)という。特には親の承諾なしに許可が出来ないとのことで、他校が電話口で断ったのと同じだった。
でも時間を割いてくれた御礼にと、アフリカ滞在中とてもお世話になった(?!)ロンリープラネットアフリカ版をプレゼントすると大変喜んでくれた。百科事典のような重さのあるものだったので受け取ってもらって私もちょうど良かった。
結局リスボンはあきらめ、ロカ岬に近いエストリルという町に行く事にした。
ここでは週末、二輪のポルトガルグランプリ(モトGP)が行われる場所で、私のバイクレースの先輩であり、この旅の趣旨に深く理解してくれ協力して戴いている根岸さんがそこに来るという。根岸さんはもう10年以上、ヤマハのモトGPチームの仕事をしている方だ。
リスボンからエストリルまでは小一時間で着いた。まずホテルにチェックインし部屋に荷物を置いて早速、ホテルスタッフに子供インタビューの協力を仰いでいると根岸さんから「今、ホテルに到着したよ」と連絡が入った。その後、ホテルロビーで昨年暮れ以来の再会を喜び、がっちり握手。
そしてヤマハモトGPチームのコーディネーターでオランダ人女性アネケさんも私の活動に理解いただき、ホテルスタッフに頼み込んでくれた。結果はダメだったが大変嬉しかった。
【ホテルアトランティス 61ユーロ】
エストリルサーキットの完全に真横にあります。
週末はモトGPの影響で予約は一杯。
ポルトガルの地で会えたことが夢のよう!
「地球ってちっちゃいな!」とおっしゃった。
その後、夕食に誘って頂き近所のSCのフードコートへ
メンバーは日本人、オーストリア人、スペイン人。
まさに世界グランプリチーム。
モトGPトレーラーのドライバー、ジョンさんが私のバイクが好みだと。
レーシングマシンもいいけど、たまにはこういうバイクも良いみたい。
翌朝、デジタルカメラが試練の?アフリカでレンズがのダメージを受けていたので同じ物を購入。その近辺で子供インタビューが出来ればと思うが時間帯の関係で可能な状況ではなかった。
いよいよ、ユーラシア大陸最西端のロカ岬へ向かう☆
途中のワインディンが気持ちいい♪
ついにヨーロッパ最西端に到着=!!
と声をかけて下さった川中ご夫妻。
福島の方で、現在の複雑な心境を語って下さいました。
気が付けば、こんなところまで来たんだ。
新しい旅ではどんな出来事、試練、出会い、があるか楽しみです。
「夢、第二章、始まり」
ヨーロッパはあちこちでツーリングを楽しむバイクを見かけます。
ロカ岬近くの幼稚園で出会った、子供の迎えにきたお父さんが私の主旨に賛同してくれ、峠を超えた所にある小学校まで連れて行ってくれた。リスボン同様、やはり撮影はダメだが是非、協力をしたいのでメールで質問に答えたいと言って戴けた!ポルトガル編は映像はありませんが貴重なインタビュー内容を後日アップしたいと思います。
思わぬ展開でロカ岬からさらに先に行ったため、帰り道はシントラという古い町を通ることになった。ここは古い遺跡、古城、歴史のある街並が多くの観光客を呼んでいるところ。
聞いた話しで一説によると幻の国、アトランティスの源がここだという。
確かに特殊な「気」が流れている。
ポルトガルの警察官が私を日本人だと知ると、今週末のレースは見るの?日本のレーサーは誰だっけ?とフレンドリーに話してくれる。
どうにか明るいうちにホテルに戻れたので念願のサーキットへ!
サーキット特有のホームストレートの地下トンネル。この真上は時速300キロの世界・・。
世界グランプリのパドックはいつ来ても気が引き締まる。
ブルーが美しいヤマハファクトリー
ガンダムかっ!
誰もいない第一コーナー内側のスタンド。
日曜にはレースファンで満員になるのでしょう。
誰も居ないグランドスタンドからみるサーキットは懐かしい。
自分のバイクで世界を回りながら、ポルトガルのグランプリサーキットを訪れるとは・・夢にも思わなかった!
☆第二章の幕開けです☆
新たな気持ちで、益々良い貢献が出来るような子供インタビューの映像、報告が出来ればと思っています☆
今後ともジャストギビングを通じセカンドハーベストへのご寄付を是非とも宜しくおねがいしますm(__)m http://justgiving.jp/c/799
2011年4月25日(月)
今日は小さな港町、ファロを離れポルトガルの首都リスボンへ向かいます。
ファロを離れる前に昨日、行けなかったカルモ教会へ行ってきました。
人骨堂で世界最大(?)と言えば同じくポルトガル、エヴォラにある教会が有名なのですがそちらには寄れそうにないので是非ともこの教会で見たかったのです。
見たかった理由は、俳優ユワン・マクレガーとチャーリー・ブールマンが二人で行ったバイクで世界紀行「ロングウェイダウン/アフリカ編」でこの人骨堂へ訪問していたからです。ただそれだけですが。
無数の人骨を教会内の装飾に使用したところです。それを見たら何を感じるのかかなり興味がありました。
しかーし・・このカルモ教会はオープンが10:00で、それまで待っていることが出来なかったので外観だけ撮影してファロを後にしました。
またこの教会前でザクティ(ビデオ&カメラ)を落としてしまい使えなくなってしまったので新たな機材を手配せねばなりません。。人骨堂のたたり?
リスボンまでも素晴らしい高速道路が続くのであっと言う間に到着します!
街に入る橋から見える景色は、ポルトガル特有のオレンジ色の家屋の壁の色と都会のビル群、大西洋から入り込むテージョ川、真っ青な空のコントラストが鮮烈で目が覚める☆
一応、有名な観光地に行ってみます。
正直、興味は全然なかったのですが実際に見てみると感動です!
地下一階?が水牢になっていて潮の満ち引きが利用されたものだとか。
バスコダガマの就航を祝って作成されたもの。それから多くの航海から帰って来た人がこれを見て生きて帰ってこれたとしみじみ思ったらしい。私も「しみじみ」をする日が来るだろう。
まさに権威の象徴。
ベレンの塔とセットで当時の王様が建設を命じたもの。イースター休暇が影響してか見所の中庭に入ることが出来ませんでした。
私の興味は中庭ではなく、バスコダガマの遺骨が眠っている場所だった。世界で初めてヨーロッパからインド航路を「発見」したのを始め世界一周を成し遂げていったガマ。一説によると最初の航海は乗組員の半分以上が亡くなり帰国出来なかった。
この時代は、多くの犠牲の上に成り立つ悲しい成功だったのだ。
「サン・ジョルジェ城」1500年前に作られ何カ国もの人に城の支配者が変わった。異国文化が重なり合うヨーロッパ南部の状態が理解出来る。
【ホリデーインリスボンコンチネンタル 68ユーロ】
値段に対してホテルは大変良くて快適です。部屋は広い、奇麗、スタッフは親切。ポルトガルは比較的、物価が安く、旅行客が多い理由が判ります。
とにかくポルトガルは美しい街で、リスボン大地震により住民の3分の2にあたる6万人が亡くなった面影はどこにもない。
ベレンの塔にバイクを停めた時、タクシー運転手が話しかけてくる。
「日本は地震と津波で大変だね。」
250年も前のことだからか、もう自国の地震のことは話題にしない。
見事に復興しているリスボンを見て祈りを込めて日本とだぶらせてみる。
2011年4月24日(日)
スペインらしさ爆発のセビリアの名所を少し見てから、
ポルトガルのファロに行きます。
日曜ということもあり車両も少ない。
向かいはセビリア大学。
街が美しい☆
この後、一方通行を進入してしまったところにパトカーと出くわし、パトカーの屋根の赤色&青色灯がスペインらしく美しく回った(笑)
あー、捕まった〜。。
バイクを停めて警官が下りて来るのを待つと、パトカーの中から警官が
「日本人? どうぞ行っていいですよ」と。
ほっ。
朝は早くからチケット購入のため人が並ぶ。
セビリアでは日本人観光客をちらほら見かけます。
世界中の有名な大聖堂をいくつか見て来ましたがやっぱり世界一はスゴイです!
人の大きさで天井の高さがわかります。
教会の入場門でみかけたバックパッカーのかなりご高齢のご夫婦。
参りましたm(__)m
街を離れる際、渡った橋からの景色があまりにも奇麗だったので珍しくUターンして撮影。
この後、高速道路(無料だったのでフリーウェイ)に乗った。
ちなみに昔、ユーミンが唄った「中央フリーウェイ」は有料の高速道路なので正確には違うなと思う。
途中、あまりにも寒くなったのでサービスエリアにより、レインウエアの上を着込むのとついにグローブを冬用に変えた。
下半身もレインウエアを着用するか迷ったが履かなかった。あとで後悔することに・・。
アフリカの気温42℃超えから一気に10℃を切る気温の変化に世界をハイペースで移動している実感が湧く。
凍えながら着替えてる最中、巨大トラックドライバーが挨拶してくれる。初老に近い方だったがその笑顔が素敵で寒さが一瞬、吹き飛んだ。良い影響をこのスペインでも受ける。
高速の標識は「ポルトガル」を示すものが多く判りやすい。
橋を渡るともうポルトガルなのです。
検問的なストップバリアは何もありません。
ホテルに寄らずに一気にファロの観光地、旧市街地へ。
小さな港町ファロのマリーナには小型〜中型のクルーザーが沢山浮かんでいます。
リタイヤされた方々、別荘地に使う方が住む街に見受けられます。
旧市街地付近の路面は石畳。バイクの乗り心地は悪いが味があっていい。
城壁に囲まれた旧市街地の中心、カテドラル広場。
沢山の観光客と礼拝者が訪れている。
ファロは11世紀に統治され、ここはモスクがあったところに建てたとか。
中に入ると日曜の礼拝が行われており、見事なルネッサンス様式の装飾を見る事が出来る。
なんと、コウノトリが鐘を鳴らしていた!
・・と思ったら変わった鳴き声だった。
結構、嫌いじゃない。
カテドラルの裏にバイクを停めると40才くらいのスペイン人夫婦が話しかけてきた。
バイクが好きで、さらには彼らも車でアフリカや中央アジアを旅したことがあるとのことで話しが盛りが上がり、マドリッドでは、ウチに泊まりなよと言ってくれる。
マドリッドは唯一、知人の家に泊まる予定になっているので丁重に断ったが、でも何かあったら必ず連絡をしてと連絡先を渡してくれた。嬉しい出会いがこんなところでも。
目当てのレストランが見つからず結局、停めたバイクの前の店でランチ。
ポルトガル語と店の人の英語がわからないまま出て来た食事を戴く。
ちょっと味が濃いかな?
今日は食事中、同伴者がいました♪
犬ですが。何か。
私が食事中、何故かずっと横で私を見つめていた。
店の内部は沢山の落書きがあり、旅人の思い出が詰まったレストランだった。
I am here!
【IBIS FARO 55ユーロ】
ホテルに着くと、レセプションの掛け時計の時刻が一時間早い。
また時差発生で全ての時計の変更をする。
明日はカルモ教会を見てからリスボンへ向かいます!
リスボンで子供インタビューお手伝いしてくれるかたいらっしゃったらご一報お願いしますm(__)m
2011年4月22日(金)
ついにアフリカを去る日が来ました。
そしていよいよユーラシア大陸に渡ります!
天気はあいにくの雨。私の気持ちを代弁しているかのよう。
フェリー乗り場には30分前から受付が開始され、乗船は15分くらい前から始まりました。運賃はバイク&大人一名で57ユーロ。
アルヘシラスからの船が到着し、積み荷の車両が下船し終わるとセウタからの乗船が開始される。
船に乗り込み出発を待つ間、いろんな想いが込み上げる。
船が動き出すまでの間に、出発地のケニアからこのセウタまでの道のりを思い出す。
沢山、走ったように思えたけど、今考えるとそれほど走っていないように思える。
何故かというと思い出せない場所がなかったからだ。全てが鮮明に思い出せる。
特に子供インタビューが出来た場所に対しては格別の想いだ。
船は、白い波を大きく立てながらセウタの港を後にした。
「Good bye Africa, Thank you, Mercie, Obrigado」
甲板に出てつぶやいた。
ジブラルタル海峡の中央あたりから天気が良くなって来た。
約一時間ほどの乗船にはもったいないほどの豪華な設備。
もうアフリカじゃないんだということを確認する。
真っ青なヨーロッパの空が私を出迎える。
ついにユーラシア大陸に上陸。
到着した港のアルヘシラスはスペイン。
そこから10キロほど走りイベリア半島先端のジブラルタルに向かう。ジブラルタルは6平方キロMの広さのイギリス領。スペインは自国領土と主張し、イギリスとの間でずっと主権争いをしている場所。
スペインから英領ジブラルタルへ入国する国境。パスポートチェックだけで通過。車はこの国境に着くまで大渋滞して長い距離を並ぶ。バイクは歩行者、自転車と同様、その横を通り抜けて待つ事がない。
国境のポリスは英語を話す。その昔は左側通行だったらしいが今は近隣EU諸国同様、右側通行で変更の必要がない。通貨は一応、GBP(ジブラルタルポンド)というものが存在しているそうだが普通にユーロが使用可能。
観光客がたーくさん!
バイク好きな人からしばしば声をかけられる。
ホテルに直行するはずが道に迷い、ジブラルタルロックを上る専用道を走ることになった。
ジブラルタル湾はイギリス軍とスペイン軍の要衛となる港なのでどちらも手放せない。
海の向こうにアフリカ大陸を望める。
あちこちに軍の施設が存在。
イギリスの国旗が最上部にたなびいています。
部屋の鍵のキーホルダーがサルのぬいぐるみでした。
ノントラブルでここまで私を導いてくれました。
本当に素晴らしいバイクなのです☆
アフリカもでしたが、夢に見た「ヨーロッパを自分のバイクで走る!」の実現が今日から始まります。
夢の実現の世界を多くの方と共有出来るようなレポートをして参りたいと思います。