~ワールドドリームツーリングプロジェクト・日本事務局~
2011年08月
~ワールドドリームツーリングプロジェクト・日本事務局~

2011年8月29日(月)
朝9:00に現地ガイドのロマンさんと待ち合わせ。
先週のうちに終わらなかった諸手続きのために通関、荷役場、フェリー会社を廻る。
一番手間のかかる通関では、担当の女性が急遽休みだったりと、乗船が間に合うかヒヤヒヤしたが、今日はとても親切な別の女性が対応してくれたお陰で全ての手続きを終えることが出来た。
これで、水曜の午後発の船に乗れる!
通関オフィスを出た所で、ロマンさんが静かに拳を私に向けてきた。
私も拳を出して、合わせる。
握手代わりの喜びの表現だ。
次に向かったのはウラジオストック港駅だ。
ここは、シベリア鉄道のウラジオストック駅と、すぐ東側にある港の船着き場が専用通路で繋がっている。
港は軍港にもなっていて大型の軍艦が数隻、とてつもない存在感で岸壁に浮かんでいる。
私が乗る船は、韓国船籍のフェリー会社「DBS」で、ウラジオストック(ロシア)~東海市(韓国)~境港(日本)を結んでいる。
最初、請求されたバイクの輸送料の金額は事前に聞いていた金額より高かったのだが、担当者の間違いで訂正された。
私が日本人であることから、ウラジオストックから鳥取県の境港まで行くと勘違いしたらしい。
そりゃ、そうだ。韓国で途中下船するなんて考えないかもね。

「9288キロポスト」
これは、シベリア鉄道のモスクワからの距離!
果てしないほどのこの距離をつなげてあることに、ロシアの国力を感じさせられる。
ウラジオストックからモスクワまでシベリア鉄道で7日間だという。
鉄道の旅もいいよねー、と、どの季節が一番良いのか聞いてみる。
「僕が走ったこの季節も最高に良かったので、この時期くらい?」
すると、一番いいのは5月か、9月だと。
「寒くないの?」と聞くと、
「寒いって気温、何度?」と。
「うーん、10℃切ったら寒いよね」というと、
ちょっと冷笑され・・、
「じゃあ、7月か8月でしょう」とのこと。
ロシア人の彼らにとって寒いとは、氷点下からやっと始まるようだ。
ひゃー。
ここで買い物の必要性が発生した。
金曜に、港の保税事務所にバイクを預け、その時点でバイクのトランクに入れた荷物の出し入れは一切出来ないと言う。
ここでは船へのバイクの積み込みは、自分が乗車して船に載せるのではなく、荷役担当者がフォークリフトで載せるんだとか。
おいおい大丈夫かー。
とっても不安です。(苦笑)
なので普段、バイクに積んでいる巨大なバッグや、身につけているブーツ、ヘルメット、ウエアなどは、全て手荷物で持ち込まないとならず、そのためのバッグと、キャリーが必要になってしまったのです。
そんなため用のバッグはバイクのトランクに入れてあったのに、それもキャリーと一緒に買わないといけない。
もう、もったい無い!
韓国からバンクーバーへ飛行機で渡る時も同じ状況なので今、準備しておけば後から楽でもある。
何カ所も、何軒も、店を廻った後、一番品揃えが多いマーケットへ行く。
主に中国人が営んでいる商店が処狭しと軒を連ねている場所に到着。

「スリに気を付けて」とロマンさん。
ここでも沢山の店を廻ったが、私が欲しいものは見つからなかった。
私が探していたのは、大きいバッグを載せてゴロゴロ運べる折りたたみ式のキャリーだったのだがこの町では一切入手出来なかった。
結局、大型のスポーツバッグに取っ手とホイールが付いたものを購入。
これで何とか代わりになりそうだ。
ちなみにこれを買う時に、値段を聞くと、中国人のアンちゃんが、
2200ルーブル(5800円)という。
高いよね、と私とロマンさんでぼそぼそ相談。
山「じゃあ、違う店でこれより小さいバッグが1300ルーブル(3400円)だったのでその金額で聞いてみたらいいかな?」
ロ「そうですね、そこから交渉を開始しましょう」
ロ「1300ルーブルになんない?」
店「はい、いいですよ。でも1400ルーブルね。これ最低価格。」(早っ!)
山「なー・・。」Σヾ( ̄0 ̄;ノ
ロ「あー・・。」(; ̄Д ̄)
山「じゃあ、1400ルーブルで・・。」
あとから、僕とロマンさんで、500や、1000ルーブルから交渉を始めても良かったかもね、と。
教訓になりました・・。
ホテルに戻り、荷物を詰め込んでみるとバッチリOK。
これでカナダ行きの飛行機の時も大丈夫そうだ!

かなりの年代ものです。
線路も草がぼうぼうだったので使われてないと思っていましたが、現役、大活躍です。
2011年8月30日(火)
一ヶ月弱に渡ったロシアの旅もついに今晩で終わります。
明日は韓国へ向かうフェリーに乗ります。
(順調に行けば・・)
今回のシベリアの旅は、脚の怪我の影響で、町の散策、観光、写真撮影、地元の人との交流がかなり、少なかった。
気が付けば、ここでお世話になったロマンさんの写真さえない。
何しとんじゃボケ!と自分にいう・・。
何かと言えば、痛みに耐える悪戦苦闘の日記になってしまったことも、このサイトを見てくれる皆さんに申し訳なくて仕方ない。
本来、シベリアは観光名所も多く、美しく素晴らしいところだったのに。
このシベリア横断を中心にしたロシアの旅を少し振り返ってみた。
何人かから、サムライ、サムライと言われた。
中には、こんなことを言う人も。
貴方は、おじいさんのおじいさんを辿るとサムライですか?と。
「農民だよ」
少々ガッカリされた。(笑)
確かにロシア人は日本男児を皆、サムライ気質があると思っているとのこと。
悪い気がしない反面、シャンとしなければという気になる。
そして、こんなことも。
「一人で、バイクで、シベリアを走って来たって?」
「危ない思いをしなかった?」
何も無かったことを告げると、驚かれ、それは珍しいと言われることも何度か。
ここでの危ないとは、人災、天災、何を指しているのかは判らないが、恐らく両方だと思う。
私にとってのこのロシアでの旅は、見事になほど何も問題はなく、どんな出来事があったと聞かれれば、
大層、人の親切に肖った、
という言葉に尽きる。
私にとってもロシア人の印象も大きく変わった旅となった。
私が今、感じているロシア人は、
真面目で、奇麗好きで、ぶっきらぼうで、女性は美しく、一見、シリアスで、日本、日本人が好きで、もてなしの気持ちが強く、強気をくじき、弱気を助け、楽しく生きることを強く求めている、
・・そんな印象だ。
そして、アフリカ大陸とユーラシアの二つの大陸を走破し終えた今、
最も感じていること、
それも、ショックなほど感じているのが、自分の
「無力感」
“世界に違いを作る” なんて日本で偉そうに人前で語って来たものがガラガラと完全に崩れ去った。
自分には、何にも出来ないことが一番判った。
私には、ネルチンスクのカフェで働く女性の凍り付いた表情を変えることが出来ないし、
コンゴの貧しい暮らしをしている人々を救うことが出来ない。
そして、イランで自由を制限された人生を送っている人達を助ける事も出来ない。
どんだけカッコ付けようが、
どんなに強がろうが、
沢山飾って見せようが、
思い切り背伸びしようが、
世界や、自然はとてつもなく、大きく、広く、歴史が長く、
慣習、政治、規制、思想、宗教、の前では個人、一人の力はまさに微力・・ではなく、完全に無力だ。
ましてや、作為的なもの、偽善的なもの、真実でないものにおいては世界と自然は何も微動だにしない。
それでも、子供インタビューをし続けることで、今、感性で心に残っていっているものは、
正直さ、夢、笑い、音楽や踊り、そして愛情、については、文句無く、人の心が揺さぶられる。
そして救われる。
今後、自分がするべき事がわずかに見えて来ました。
これからの生き方に大きな変化がありそうな今日この頃です。
まずはここまで、有難う、ロシア。
有難う、ユーラシア大陸、そしてアフリカ大陸。
ワールドドリームツーリングの第二章が終わったところで、明日、韓国へ渡り1週間滞在します。
北米大陸へのバイクの輸送等の作業に追われそうです。
9月7日(水)、韓国インチョン空港から大韓航空KE71(19:00)のフライトにてカナダ/バンクーバーへ渡る予定です。
(順調に行けば・・。笑)
今日は一日中ホテルで事務作業!
はりきってやってました(^0^)/ (笑)
特に、韓国移動の準備、バンクーバーのBMWディーラーへの連絡、その他、各方面との連絡・・。
そして、このお盆休みを返上して子供インタビューの編集&アップを頑張ってくれた日本のスタッフが作ってくれた子供インタビューを改めてずっと見ていました。
自分で言うのも何ですが、やっぱ、子供が夢を語る姿って最高です☆
純粋、素直、正直、率直、自由です。
画面からでも、エネルギーをもらうことが出来、自分をリセット出来る気がします。
*元気が、欲しいとき。
*誰かに元気を提供したいとき。
*夢を思い出したいとき。
*夢を持ちたいとき。
いつもこのコーナーをクリックして下さい。
http://world-dream-touring.com/archives/cat_95498.html
この活動が出来ていることを心から幸せに思い、関係者の皆様に、深く、感謝します。






















朝9:00にホテルロビーで現地、旅行会社の担当者と待ち合わせ。
数日後にロシアを出国してフェリーに乗り、韓国へ移動するための諸手続きをヘルプしてもらうためです。
今まで国境の多くは陸路で越えてきたので、そのオフィスで簡単な手続きで済んだのですが、ロシアから船で輸送となるとこの通関等の手続きがとっても複雑かつ、ステップが多いので一人ではとっても大変。
ロシア語が話せるか、英語が通じれば話しは別ですが・・。
また、アフリカからヨーロッパへ船で渡った時はとっても簡単で良かったのですが、社会主義の名残りがあるロシアはかなり面倒です。
フェリー会社、通関オフィスを廻ります。


西端、モスクワ駅から実に9288km!
ここに来る、ここから向かう、列車とずっと一緒に走ってきたんだと思うと感無量に・・。

ロシアで車に乗せてもらったものは100%日本の中古車だった。
車内はすべて日本語表記で、ナビは日本仕様なので一切使えない。
ロシアの9割のドライバーは皆、それを利用しているのです。

好きなものを取って最後にお金を払うシステム。
仙台の「めしの半田や」を思い出した(笑)

私が向かう韓国東海市を経由したあと、鳥取県の境港に行くからなのでしょう。

沢山の輸入された日本車であふれていました。
各手続きと確認を経て、オートバイを港の保税事務所に移動させて本日は時間切れ終了。
手続きが結構多いのと、役人達が官僚的で、融通を利かせてくれない。
ちゃんと水曜日に韓国行きの船に乗れるか、いささか不安になってきた(苦笑)
ガイドさんと別れた後、近くに日本食屋があるというので早めの夕食に出かける。
おすすめリストを教えてもらい注文したのは、カニラーメンとチャーハンと海藻サラダ。
一つ、ひとつの量が少なくて悲しい。(笑)
チャーハンの味はまあまあだったが、楽しみだったラーメンは「サッポロ一番塩ラーメン」(今、100円くらい?)!(笑)

それから麺が何故か細切れになってて、すすれーへん!(笑)
そんで、そんで、値段がめっちゃ高ーい。(@@;)
全部で、950ルーブル。(2500円!)
今日は、右脚をかばいながら歩き回ったので腰にき始めた・・。
そして今までの疲れがどっと出てきたのですが、ホテル内にマッサージルームを発見!
ここの中国人女性の指圧が、超ー上手で感激!
・・生き返りました^^
やっぱ、身体のメンテナンスって大切だよねー。
やっと落ち着いて眠れます。
2011年8月27日(土)
10:00に待ち合わせし昨日終わらなかった手続きのため再び、港の保税事務所、通関事務所、フェリー会社を廻る。
土曜なので午前中で出来ることを終えて、ガイドと別れる。
今日はたまった事務、インターネット作業等をして過ごします。
しかし、ここのホテルは中国人が多いです!
日本人もちらほら・・。
【宿情報】
国名 ロシア
都市名 ウラジオストック
ホテル名 Azmut Vladivostok Hotel
電話 +7(4232)412797
住所 10 Naberezhnaya, 690091
ネット環境 ロビー&客室でも可
衛生環境 普通
特徴や感想 エアコンなし。TV、冷蔵庫あり、シャワーのみ。

2011年8月25日(木)
走行距離:426キロ
出発時間:9:20
到着時間:18:00
天候:曇り時々雨
気温:24℃

朝、起きて霧のかかる庭に出る。
外に作ってあるトイレを済ますのはアフリカ以来だなあ。
用意してくれた朝食をリーフのご家族と一緒にとる。
小さな、小さなテーブルで袖すり合いながらの朝食も、楽しい会話で満ちているから普通の目玉焼きとビニールが周りに着いたままのソーセージもとても美味しい☆
きっと、シャンデリアがあるような豪邸で、大理石のテーブルに、ロイヤルコペンハーゲンの食器の上に乗せられた一流シェフの作った食事でも、心からの笑顔も、笑いや愛のない食卓よりずっといいと思う。

リーフ 。ご家族の皆さん。
ロシア、最高の思い出になったよ!
リーフとハグをした後、一家総出で見送ってくれる中、向かうはロシア最後の街、ウラジオストック。

途中、カフェに寄ってランチを摂る。
そう言えば、ロシアのカフェやレストランでは日本みたく、水がタダで出てくるようになった。
アフリカからずっと全ての国で飲める水がタダで出てくることはあり得ない。


気温が上がって来た。
どんどん南下しているからだ。
ウラジオストックに近づくにつれ、一気に車が増えてきた!
夕方になったこともあり渋滞が始まる 。

さらに先へ進むと、視界の右側に飛び込んでくるものがある。
「おわっ!! あれは!!!」
思わず声を上げた。
「海だ!!」
そうだ、これは日本海だ!
外洋を見るのはイスタンブール以来。
途端、目が潤んできた・・。
せっかくなので、行ってみよう。
道が尽きるまで。
高台で完全に行き止まった。
崖の上に愛機を進めると、眼下に公園が見える。
港、海峡、遠くに浮かぶ島が一望出来る場所だ。
あそこに行ってみよう。
ダリネレチェンスクから、ウラジオストックまでの距離のカウントダウンがされる中、ずっと、このユーラシアの移動を思い出していた。
4月22日に、アフリカからジブラルタル海峡を万感の思いで渡った日のこと。
大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬に立ちスタートし、
EU諸国、
中東、
中央アジア、
中国、
モンゴル、を経由して、
そして、このロシア、シベリア大陸を横断。
数知れず、多くの人に出会った。
フィンランド人のトッベ、
マドリッドのペンティ一家、
ヤマハモトGPチームの皆さん、
ミラノの根岸さん、
トルコのエルジンさんとイエネルさん、
イランの学生とその家族、レザラモさん、
〜スタン系の各国で出会ったガイドさん達、
中国の宋社長にジェレンタ君、
そして、モンゴルでのケガを気遣ってくれた多くの方々・・。
その他にも多くの人が無償の親切を提供してくれた!
皆、元気でいるだろうか。
ユーラシアのラストはロシアの鉄の虎達が有終の美に華を添えてくれる形になった。

陽が傾きかけたころ、ホテルに到着した。
二日ぶりのシャワーを終えて浴室を出ると、部屋の中は黄金色に染まっている。
見事な夕日の光が差し込んでいた。

ワールドドリームツーリング、二大陸目、ユーラシア横断完了。
無事、ここまで辿り着くことが出来たのは、私に関わってくれた全ての皆さんのお陰です。
この場を借りて深くお礼申し上げます。
これからもニッポンの元気!食に困る人への支援のために頑張り続けます!

出発:4月22日
到着:8月25日
走行距離:25000キロ
通過国数:21
子供インタビュー実施国数:16
オイル交換:5回
走行距離:355キロ
出発時間:10:15
到着時間:15:30
天候:雨のち晴れ
気温:20℃
5泊したハバロフスクのホテルをチェックアウト。
いろいろ手伝ってくれたホテルスタッフのナタリアがグッドラック☆と。
約束どおり、10:00過ぎにリーフがホテル前に到着。
今日の移動は、記念すべき、この旅初の二人ツーリングだ。



珍しい旧型のオートバイに乗っていた。
少ない荷物と、テントを積んでいる所をみると短期間の一人旅のようだ。
別れ際、彼が私にかけた言葉は、
「サヨナラ、サムライ!」
ちょっと、嬉しかったりして。(笑)
ちなみにロシア人は、サムライが大好きなんです☆
15:00になった所で遅いランチのため沿道のカフェによる。

カフェの駐車場にいたトラック。ほんと、日本からの中古車ばっかり!
今晩、リーフの家にお世話になるため、せめてこの昼食だけでも私に払わせて、と頼むが一切、受け入れてくれない。
「もし、私が日本にいったら世話になるが、ここはロシアだから」
強い意思でリーフが答える。
いよいよ、リーフの家に到着〜!

息子の部屋を使っていいということで荷物を運び込む。
手を洗う所などを案内してもらう。
ちなみトイレは外。
小便はその辺でしてって。
畑の肥やしになるからと。(笑)
着替えたら町を案内するよ、ということで人口65000人のダリネレチェンスク町を見てまわる。
リーフは市の職員をしているのと楽しい性格なためか、町で会う人、会う人、挨拶をして全員が知り合いみたいで面白い。
リーフが通う英会話教室へ一緒に着いて行く事になった。
もちろんだが、全員が英語を話す。
英語の先生を中心に私に話題を振ってくる。
スタディーの一環で一時間ほど会話をしたあと、子供インタビューの事を切り出してみると、楽しそう!面白そう!と、満場一致で協力してくれることになった!
皆で公園に行くと、すでに21:00近いのに明るいためか、子供が沢山、遊んでいる。
リーフの顔があるからか、インタビューに応じてくれる親と子供がすぐに見つかった。



ロシアの東に住む子供の声はいかに!?
映像のアップをお待ち下さい。

食事をしながら、リーフが息子のロマンに今日の子供インタビューのことを話している。
16才のロマンにも夢を聞いてみると、なんと、チェ・ゲバラのようになりたいと語るではないか!
ペルー人の友人が、私のことを「チェ」と呼ぶほど、チェ・ゲバラを愛する私は気が付くと思わず彼と握手していた。
何故?
それほど私は金に困っているように見えるのかな(笑)
それは冗談だが、助ける、支える、ことをこれほどまでにする意識はどこから湧いてくるのか?
今までも、多くの人に助けてもらった。
中には後からお金を要求する人も居る。
でもまず助けることが先で、金額はいくらでいいよ、という人が殆どだったから、嬉しいのと感謝の気持ち以外に何もない。
そして多くの人は無償での親切だ。
私が転倒してバイクを起こすのを手伝ってくれる、長い距離を一緒に走ってでも道を教えてくれる。
そして何も請求ないまま去って行く。
笑顔だけ残して・・。
しかし、このロシアのバイク乗り達と来たら・・。
飯をおごり、家族の寝床を変えてまで、私が快適に眠れるようにしてくれる。
そして、一切私からのお礼を受け取ろうとしない。
わずか前に会ったばかりであり、僕はただの旅人で、彼らに何もしてあげられない。
二度と会わない可能性だって高い。
そして、そんな事は彼らは百も承知。
改めてこの旅を通じて、人生考えさせられることが出来た気がする。
朝、9:10にホテルロビーに、迎えに行くよ!とのことだったので、それまでに朝食他、所用を済ませる。
昨日だけでも沢山、お世話になってしまったので、差し入れに彼らの好きなビールの買いに行くため9:00前に玄関前に出ると、もうハンズが居る!
彼らが特別なのかもしれないが、ロシア人は、数字(時間や距離)に関してかなり正確に伝えて来る。
今まで、時間はいい加減、距離もまったく違うことを伝えられる経験をした国は少なくなかったのでこのロシアは、素晴らしいなと感じる。
途中、リーフと、「ロックバー&ガレージ」のオーナーのサシャをピックアップして、街の北側にあるアイアンタイガースのクラブハウスへ向かう。


ハンズは車の運転もイッチャっている。(笑)
今日は、到着早々、オイル交換を始める。
オーナーのハンズと英語の出来るリーフは何処かに出かけて行き、私とサシャの二人だけになった。
アンダーガードが外しにくかったので、地面に横たわって作業している私を見て、サシャが私に作業着と地面への敷物を用意してくれる。
さらには脚の不具合のため、一つひとつの作業を速やかに進められない私を気遣って、ずっと手伝い続けてくれた。
サシャは英語がほとんど出来ないため、お互い、ジェスチャーとカン?だけで会話をする。
でもバイクに関することだからなんとか意思の疎通が出来ることが面白くて楽しい。
全ての作業が終わり、ハンズとリーフが戻るのを待つまで、お互いの事を携帯の写真を見せ合って談笑する。
二人がクラブハウスに戻ると、もうお昼時。
ランチのためにまた、街の中心近くに戻って昨日と同じサシャの店、ロック&ガレージhttp://www.rockbar-garage.ru/ に行く。

サシャもBMW乗りだった。
お互い、もう一台、家にアメリカンバイクを所有していることでも気が合った☆
(私はハーレー、サシャはヤマハの1800cc!!)
店は大はやりで満席!
・・オーナー同伴だから出来る業?で、夜しか開けてないライブハウスエリアに通してくれ、処狭しと飾っているバイク関連の写真を見せてくれる。


そして今日は私のことも二日目だったので気が許せたのか、腹がよじれるほど笑って話す3人。
この旅を初めて、こんなに笑ったことってあったかな?と思うほど私も一緒になって笑った。
ハンズのキャラは完全に、坂上二郎さん(「飛びます、飛びます」)。笑
一言しゃべるだけで皆が大笑い。
こんなにロシア人って面白いとは!(涙)
そして、今日はなんと、食事代を受け取ってもらえず、ごちそうになってしまった・・。
あれだけ、作業を手伝ってくれ、世話になり、ハバロフスクの滞在をこんなに楽しませてくれて・・。
私が支払ったのはクラブハウスで購入したオイル代だけ。
まさに奇跡の人達だ・・☆
さらによく聞けば、サシャはこの人気レストランの他に運送業の会社のオーナー。
笑い上戸の英語が出来るリーフは、政府関連のエグゼクティブ。
クラブハウスのオーナー、ハンズは、ケミカル用品のビジネスを過去していて今はハーフリタイアしたのだと。
年齢は皆、私と同じ40~50歳の間。
人生に余裕を持っているからこそ、困っている人、頑張っている人への手助けをする気持ちが満たされていることを強く感じた。
やっぱりいろんな意味で、余裕って大切だなと・・。

クラブオーナーのハンズ、
英語が出来るリーフ、
私、
レストランオーナーのサシャ。
みんな、本当に有り難う。
お陰で、最高のシベリア横断のエピローグになった。
いよいよ、明日はハバロフスクを発ち、ダリネレチェンスクへ向かう。
で、なんと!
ダリネレチェンスクに家があるリーフと、本当に一緒に走ることになった。
明日の10時ホテルに迎えに来てくれて、ランデブーでスタートする。
この旅、初の二人ツーリングだ。
どんな旅になるのか、とても楽しみだ☆
この二日間は、溜まりにたまった疲れとブログの更新をリカバリーするためホテルの部屋に籠った。
食事もぜーんぶ、ホテルの中で済まします。
実は籠るのも、キライじゃないのでストレスにならず、なのです。(笑)
お陰様で体調もバッチリ!ブログも何とか追いつかせていけそう。
脚の調子も日を追う毎に快方へ向かっております。
2011年8月22日(月)
何とか事務作業の目処が着いた処で、やるべき重要事項がある。
バイクの整備です。
中国の敦煌以来、交換していないオイル交換だ。
すでに6000キロなので、そろそろ換えないとヤバいでしょー。
それからタイヤの交換も。
しかし、このハバロフスクで良いバイク屋が見つかるのかな・・。
ということで、またまた海外サイトのお世話になる。
ちなみに今回、外国語サイト情報に関して、友人で帰国子女の「DJさゆりさん」http://ameblo.jp/sayurisense/に多大にお世話になった。
さゆりさん、有り難う~!
まずはホテルの方に聞いてみる。
タイヤとオイルを交換してくれる場所を訪ねると南に6キロ移動した所にあるという。
行ってみると、結構大きいタイヤセンターだ。
到着してお願いすると、
「ウチでは出来ない」
とあっさり断られた。
バイクを受け付けたことがないようだった。
じゃあ、何処か教えて、と言うも、ガソリンスタンドでやれば?とだけの答えだったので、やはり前述の海外サイトからの情報を頼りに、
「IRON TIGERS(アイアンタイガース)」というバイク乗りが集まるクラブに向かうことにした。
「ハバロフスクで困ったらここへ行け」的な情報が集まる場所らしい。
住所、地図はなく、あるのは座標だけ。
【GPS location: N48 31.926, E135 02.582】
13キロ北と出る。
GPSの方角だけを頼りに、カンで道を選びながら進む。

何とか近くに到着するも、それらしい場所を見つけることが出来ない。
誰かに聞こうかとバイクを停めた瞬間、タクシーが横付けしてきて話しかけてくる。
カタコトの英語で、
「バイクかっこいいよ! え? 世界一周してんの? 一人で? アフリカから? クレージーだね~(笑)」
など、会話した後、タイヤ交換が出来るところを聞くと、
「そこだよ」
目の前を指さす。
社会主義国の特徴として、店舗は中に入らないと何屋かまったく判らない店が多い。
まあ看板があっても、ロシア語でさっぱりなんだけどね。(笑)
「おお~、有り難う!」
ということでそのタイヤ交換店の前にバイクを着けた瞬間、「アイアンタイガース」の文字が視界に飛び込む!
100m先の店の脇の壁に大きくデザインされている。
その店に行って、タイヤ交換とエンジンオイル交換をしたいというと、「アイアンタイガースへ行ってくれ」と言う。
あ、ここじゃないのね。


近付くとガレージの中から、Kawasakiに乗る男性が笑顔で迎えてくれた。
少し英語が話せる、リーフさんだ。
ガレージの奥のリビングスペースへ迎えられた。
確かにバイク乗り達のたまり場になっていた。

私のリクエストを伝えると、タイヤ交換は結局、タクシー運ちゃんが教えてくれた場所だと。

200ルーブル(530円)
思えば、キルギスのビシュケクでオフロードタイヤに履き替えて、5分山残りのオンロードタイヤをバイクにくくり着けて走ってきた距離は、1万キロ。
重かったなー。(笑)
オフロードタイヤの寿命が来ていたので、ここでオンロードに交換。
まだ、1000~1500キロくらい走れそうだったが、数日後にウラジオストックからフェリーで韓国へ渡り、飛行機でバンクーバーへ移動するスケジュールや規制を考えると今、ここで交換するしかない。
アイアンタイガースのガレージに戻り、集まっている人達としばし談笑。


彼らはイージーライダース系で、オーナー達の趣味らしき、機関銃、日本刀、ナチス軍のコスチュームや軍刀なども散乱するように置かれている。(一部はホンモノ)


トイレ、シャワーも完備されている。
今は使っていないようだが、この地下の奥にサウナ室まであったのには驚いた。
ここのオーナーのハンズさんはやっぱりイッちゃっているタイプのおっさんだ。

常に上半身裸で歩き回っている。
ちなみにここに集まっている男性陣は全員そうで、中にはブリーフ一丁の野郎も複数いる。(笑)
しかし、なんとも皆、気が優しい。
「コーヒー、紅茶、お菓子、好きなだけどうぞ~☆」と。
そして地下の宿泊施設はいくら?と聞くと、ここへ来たバイク乗りにはタダで提供していると。
「ここに来たバイク乗りは皆、フレンドだから」と笑う。
彼らの優しさとおおらかさには感動してまさに熱いものが込み上げて来た。
気が付くと、なんとなく親戚の家に到着したかのような錯覚に陥っていた。
「東シベリアで困ったらアイアンタイガースへ」は本当だったのだ。
すでに14:30になる。
うっかり朝食だけでホテルを出て来たので極めて腹が減ってきた。
近くに食堂があれば一人で食べに行きたい、と告げると、オーナーのハンズさんとカワサキ乗りのリーフさんが、突然、慌ただしく動き出す。
どうしたかと思っていると、留守番を別の人に頼んで、みんなでランチに行こうと言う。

車内は大音響で、ヘビメタに近いロックのDVDを流して走る。
30~40分ほど走ってるが中々着かない。
どこまで行くのかなー、近くていいんだけどなー。
と思うのと、ひょっとして、どこかヤバいところで連れて行かれるのか・・とほんのちょっと不安になったりして。
そしてやっと到着!
そこは、バイク&ハードロックをモチーフにしたレストランで、店の前には巨大はハーレーのオブジェが置いてあるではないか!

ロックバー&ガレージ http://www.rockbar-garage.ru/
そして店内に入ると、有名ロックミュージシャンが訪れた写真や、アイアンタイガースのステッカーが沢山貼ってある。

最後の公演がハバロフスクだったそう。
このレストランのオーナーもアイアンタイガースのメンバーだそうだ。
女性スタッフは全員モデル張りの美しさ・・。

(600ルーブル)
そして料理が次々とテーブルにサービスされ始めたころ、耳を疑う。
「あなたのお名前は? 私はナターシャです。」
ロシア美人のスタッフがなんと日本語で話しかけて来るではないか!
日常会話が出来る方だったので、アイアンタイガースのメンバーとの通訳をしてくれた。

いやあ、もう、嬉しい、嬉しい(泣)
食事を終えてアイアンタイガースのガレージへ戻る時、リーフさんは私が次に行くダリネレチェンスクの人で、「アイアンタイガース ダリネレチェンスク支部」のオーナーだと判った。
さらに、「もしよければ私の家に泊まりなよ」と言ってくれる。
そして私が出発する明後日に併せて一緒にこのハバロフスクからダリネレチェンスクまで行こうよ、とも。
しかし、なんという出会い! なんという仲間意識!
ガレージに戻るともう夕方近くなっていたのでオイル交換は明日にすることになり、バイクも預かるよと。
そして今日と明日のホテルの送迎もしてくれることになった。
・・あのー、今日出会ったばっか、なんですけど。(笑)
なんでここまでしてくれんの?(笑)
不思議でしょうがない。
これがロシアの優しさか。器の大きさか。
バイク乗りの友情か。
多分、ここのことは旅が終わってからも後からジワジワ、想いが寄せて来るんだろうな。
【シベリアバイク屋情報】
国名 ロシア
都市名 ハバロフスク
店名 アイアンタイガース ハバロフスク支部
電話 (4212)77-05-20
Email gansmoto@mail.ru
住所【GPS location N48 31.926, E135 02.582】
走行距離:180キロ
出発時間:10:30
到着時間:15:30
天候:晴れ時々曇り
気温:21℃
さすがに疲れていたようで目覚めが遅かった。
朝食を摂った後、一応フロントに出向き、
「昨夜、ずっとお湯が出なくてシャワーも浴びれなかった」と言うと、
「そうなの、全室だめだったから!」
って、以上っすか?(苦笑)ホテル前
あか抜けた感じになってきた。
ホテルを出発し、まずはガソリンスタンドへ。
ようやく、「セルフ先払い」のシステムにも慣れ、ほぼ、満タンのガソリン量が算出出来るようになってきた☆町を抜けた所の踏切でシベリア鉄道の貨車に行き会う。
へー、長くつながってんんだねー。おいおい、こんなの積んでんの?!(驚)
出発が遅かった為、すぐに昼食時になる。
丁度よいところにカフェがあり、今日こそ食べるぞ!(笑)と思い店に入って、いつものようにロシア語の会話帳ソフトを使って注文してみる。
オススメは、シシカバブとナンだという。
実は昨日のビロビジャンのカフェでもオススメはシシカバブだった。
イスラム料理へ逆戻りした傾向がある。
これはビーフ。
331ルーブル(870円)*飲み物込み
ハバロフスクに近付くにつれて、今までの風景と違って来た。
どこまで続くのか判らないほど広大な針葉樹林、草原は見当たらなくなり、少し走れば村、町が点在するようになってきた。
沿道には、人が多く居住し、物売りの数も増える。
スイカにメロンに、他の果物、野菜など。
蜂蜜売りが圧倒的に多く、大小のビン、ウオッカのボトルに入れているものがよく見られる。
古いバイクや、トラックのボンネットに乗せて路肩での展示販売だ。
ウランウデから、つかず離れずシベリア鉄道とずっと並走してきた。
視界が広がっている区間で、汽笛が聞こえる。
500mくらい離れた線路側を見ると、なんと先頭の機関車の運転士が、私に手を振っている!
振り返すと、また振ってくる!
これがしたかった・・!感動。。
シベリア鉄道は全長1万キロ弱の世界一長い鉄道。
私はヨーロッパの西の先端を出発してから2万3000キロ。
お互い、長旅であることを知っているかのよう。
その後も何度も鳴らしてくれる汽笛は、この先の旅を応援してくれているかのようだった。長いってっ! 笑
ハバロフスクに近付くにつれて、川を渡る回数が増えてきた。
そして今までにないほど広い川が眼前に広がる。
ついにハバロフスクへ入る!
こっち(南)が中国。(黒竜江となる)
こっち(北)はオホーツクへ。
橋を渡った所で、進路が変わる。
東へ進む移動が終わり、ウラジオストックへ向けて南下する。
街に入り、やっと予約出来たホテルを探すも、またもやiPhoneの検索では行き着けない。
地元の人に聞くと親切に教えてくれて、3人のリレーでホテルに到着出来た。
そしてホテルスタッフの女性も英語が出来、マネージャーは少しだけ日本語が出来る。
シベリアのロシア人はほとんど英語を話すことが無い。
そして町中でも、店舗内でも、執拗なほど、英語表記を排除しているかのように、見る事が出来ない。
なので、ここに到着してかなり精神的に楽になった。
部屋のお湯の温度が低く、またしてもせっかくのバスタブに浸かることが出来ないが、まあ、良しとしよう。
部屋に入り、荷を解いているとドアがノックされる。
開けると、ロビーに居た男性係員だ。
何だと思ったら、ピンクちらしを見せて女性の売り込みに来た。
おいおい、ロシアってすげーな(笑)
もちろん丁重に断り、たまった作業に勤しむ。
大都市に着き、ホテルのベッドに横たわる度、今までの未開の土地での移動と滞在がまるで幻だったように思える。
そして再び、大都市を離れ、小さな村の宿の寝床に入ると逆に大都市が嘘のように思えるから不思議だ。
しばし滞在し、シベリア横断の疲れを癒そうと思う。
【シベリア宿情報】
国名 ロシア
都市名 ハバロフスク
ホテル名 アムールホテル
電話 +7 (4212) 73-59-74
住所 Ленина ул., д. 29
г. Хабаровск
Хабаровский край
料金:2450ルーブル
ネット環境 Wi-Fi(客室内でも可)
衛生環境 良好
特徴や感想 各種クレジットカード可。
2011年8月18日(木)
走行距離:490キロ
出発時間:9:30
到着時間:19:30(時差+1時間)
天候:晴れ時々曇りのち雨
気温:20℃
朝、昨夜と同じ食堂に行くと、同じ女性が目玉焼き見せてくれる。
「これでいい?」
もう、私のことが判ったようだ。(笑)
しかし、ロシア女性に多く感じる、どこか寂しげなのはどういうわけだろう?
出発しようとすると、ホテル関係者?の男性がちょっと待ってくれという。
ジェスチャーでは写真を撮りたいからと。
でも、全然それを始める様子はない。
私が出発しようとすると、あとちょっと、あとちょっとと何度も制止する。
しびれを切らしかけた頃、数名の男女が乗った車がホテルの駐車場に勢いよく到着。
地元の広告会社か、何かの取材だと言って私の旅程を聞き、撮影をし始めた。
私も将来、このホテルのロビーに写真が飾られているかも。
来た道を戻って幹線道(シベリア横断道路)へ復帰。
気温が次第に温かくなって来た。
完全に南下していることを空気が教えてくれる。長いトレーラーと抜きつ、
抜かれつ。
その度に、手を振ってくれる。
しかし工事が多く、道が悪い。
ハバロフスクからウランウデまでのシベリア横断道路は基本、全面開通がなされたと言ってもいいだろう。
ただし、完全に全てが舗装されているわけでなく、アスファルトの張られていない部分もまだ多い。
ただ、素の悪路というのは全くない状態で、ダートがあっても走るのは困難ではない。
ただ、ハバロフスク付近になると、逆に道路の老朽化が進み、そのための補修工事が多い。
補修というより、大規模な作り直し、と言った所か。
通行するトラックも多く、舞い上がる土埃が凄い。
マスクを慌ててする。
思えば中国以来だ。
時折、雨も降ってくる。
今日は、長距離の移動なので、きちんと昼食をとっておこう。
長い山道を抜けた後、カフェが見えて来た。
カフェというとオシャレなイメージで聞こえはいいが、
シベリアのカフェは、単なる食堂だ。
ただロシア国内は、宿も、食堂も、見た感じ、衛生面はいい方で目を反らしたくなる所は少ない。
時間は13:30くらい。
ランチ時の客が引き、空いた頃だと思い店の前にバイクを停め、カッパを脱いだり準備をしていると、乗用車が3台、駐車場に入って来た。
3家族の団体様で、私より先に店内に入り、オーダーを始めるがえらく時間がかかっている。
小さな子供や老人も一緒だから仕方ない。
小さく、客が少なかった店内が一気に賑わった。
フロア、厨房、それぞれ一人づつで回しいる店は、あっというまにパニック状態。
私がこれからオーダーして食事が出て来るまでどれだけの時間がかかるか判らない。
やめよう。出よう。
いつものように道端で景色を眺めながら、手持ちのものを食べようと、店を出た。
これも何か良い事があるんじゃないかと、思いながら。
バイクに戻ると、幹線道から巨大なホンダのバイク(G・Wing)が駐車場に入ってきた。
阿吽の呼吸で、お互い近付き、がっちり握手。
話すと地元のライダーだった。
すぐ後からもう一台珍しくハーレーのローライダーがやって来て、二人ツーリングのようだった。
二人とも、厳つく、イカれた感じのバイク野郎だ。
私が世界一周をしていて、これからビロビジャン、そしてハバロフスクを経由することを言うと、携帯を取り出して、
「これ、俺の友達で、ハバロフスクに居る。
彼に連絡して何でも相談して。
泊まる所、バイクの整備、何でも大丈夫。英語も出来る。」
と言い、電話番号をくれた。
彼は、シェルゲーと名乗り、ハバロフスクの友人はエディックと言う。
言葉も通じないのに、バイク乗りだというだけで、こんなコミュニケーションあるから、やはり、バイクは辞められない。
すでに350キロほど走った。
そろそろ何か食べておかないと。
草原地帯の、小さな村に入る脇道へバイクを停めて、ガードレールに腰掛ける。
どこかで買っていおいたリンゴ一つと、スニッカーズと、食パンの塊の4分の1ほどを、一心に食べる。
たまに雷鳴が轟き、不安定な空模様。降るのか雨雲が去るのか・・。
少し離れた幹線道では、デザイン無視、機能重視のロシア製のトラック群が、轟々云いながら走っている。
走行距離、450キロを越えた辺りで突然、ビロビジャンの標識が出た。
一瞬、通り過ぎてしまったがUターンして無事に町に入った。
危ない、危ない。
町に入りホテルを探そうと思ったところで雨が降り出した!
どんどん雨脚が強くなる。
タクシーを停めてホテルに案内してもらう。
僅かな距離だったが、彼の請求は高かった。
150ルーブル。(400円)
まあ、でも小さいが奇麗なホテルに着けて良かったと思い受付へ。
少し待たされたあと、
「満室でダメ」
と言われる。
もう一度タクシーを呼んでもらい、違うホテルへ向かう。
4~5キロ走っただろうか。
この運ちゃんは好意的だった。
50ルーブルで良いよと。
いろんな人がいる。
暗いビルの中にあるホテルの受付に行くと、感情を感じさせない女性が、私のパスポートと国境で受け取った書類を見て、私を泊めることが出来ないと言う。
言葉が通じないので理由が判らないが、とにかくパスポートを返され、一切取り合ってくれない。
何なんだろう?
ビザの滞在期間が過ぎているわけでもないのに・・。
ホテルを追い出される格好に。
雨天なのもあり、外は暗くなり初めている。
いよいよ、今日はついに、駅の構内かどっかで寝ることになるのかな・・と不安がよぎる。
通りに出るが雨天なのでタクシーが停まってくれない。
と思ったらパトカー発見!
停めて、ホテルを探していると伝えると、大きめのホテルへ連れて行ってくれた。
ここでも断られたら警察署で泊めてもらおう。
フロントに行くと国境で受け取った書類をベースに何か別の書類を作成する必要があるらしい。
外国人であり、私の入国目的では泊まれるホテルはロシアでは限られているということなのかな。
かなり待たされた後、部屋の鍵を渡され、泊まれることになった。
かなりホッした。
大きな荷物を担いで、5階までエレベーターに乗り、長い廊下を運ぶ。
二往復。
ホテル裏のパーキングにバイクを入れ、脇のカフェでそのまま夕食をとる。
部屋に入って荷を解いたのは、もう21:00。
さて、今日は疲れたのでバスタブに浸かってゆっくり・・と思っていると
・・まったくお湯が出ない。
もうー、シベリアの宿、こればっか!(苦笑)
【シベリア宿情報】
国名 ロシア
都市名 ビロビジャン
ホテル名 Boctok
電話 7(4262)26-53-30
住所 Шолом-Алейхема ул., 1
г. Биробиджан
Еврейская а/обл.
料金:1800ルーブル
ネット環境 なし
衛生環境 良好
特徴や感想 お湯がでない。クレジットカード(VISA)可。 玄関脇にATMあり。
2011年8月17日(水)
走行距離:180キロ
出発時間:9:30
到着時間:12:30
天候:晴れ
気温:17℃
結局、朝になってもお湯が出ず、シャワーさえ浴びる事が出来なかったので、少しでも返金を申し出てみるが取り合ってもらえない。
そう考えると、停電が度重なった事でチェックアウト時にホテル側から一部返金を申し出てきた、ナイジェリアのホテルは立派だったと思い出す。
ホテルの玄関口で荷物を積んでいると、日本製のスクーターに乗ってきた兄ちゃんが声をかけてきた。
来た道を戻るには遠回りの予感がしていたので、幹線道までの道案内を頼む。
しばしのランデブーツーリング。
今日は行き先に迷った結果、移動距離の短いベロゴルスクに行く事にした。
ウランウデを出発してから走行続きだ。
居心地の良い宿で 連泊を探っていたが、なかった(笑)
今日は早目に宿を見つけて休みたい。
右足をかばった歩き方をしているため、腰にもきている。
長年の爆弾、ヘルニアが再発しそう・・。ヤバい。。
シベリア横断道をひた走る。
今までと違うのは朝陽が左に見えてきていて、南下が始まったことを物語っている。
気が付くと、ハバロフスクまであと、700キロ。
ユーラシア大陸横断の仕上げに入った!
ベロゴルスク到着数キロ前、ロシア語標記では、一文字だけ違う違う町があり、迷いそうになるが地元民の助けで無事、ベロゴルスクの町に突入。
ここは大きい、というより広い町だ。
どの辺りが中心地か判らない。
ゆっくり町を見渡しながら走っているとシベリアに入って初めて会うHONDAの400ccに乗る現地ライダーが追い抜いていった。
すると少し先で停まって私を待っている。
ホテルを探している旨を伝えると、連れてってくれると。
事前に得ていた情報の「白いホテル」を目指したが、着いたのは黄色いホテルだった。(笑)
中を確認すると悪くなかったのと、気の良い警備員が強く勧めるのでここに泊まる事にした。
現地のバイク野郎に長い距離を走らせた事もあり、お礼を渡そうとするとキッパリ断られた。
ちょっと失礼だったと反省、そして嬉しかった。
また一つ、学びと感動が。
バイクを立派な、大型トラックも入っているガレージに格納する。
ロシアでの宿は必ずこのパターンだ。
よほど治安は良くないらしい。
シベリアの小さな町の宿にたどり着き、窓から見える共通の景色は、
壊れたトラック、
土の荒野、
機械の残骸、
肌色のレンガの集合住宅、
窓枠だけが鮮やかなスカイブルーの、古い木造住宅、
と云った所だろうか。
食堂の時間を尋ねると夕方からという。
腹ペコだというと、この警備員がカップラーメンとお湯をタダで持って来てくれた。
優しいなあ。ロビー内には、バイクツーリング者の写真が何枚も掛けてある。
バイク人、歓迎のホテル?
ブログを書き、先の情報を調べ、事務作業をしつつ、夕食の時間になる。
三階のカフェに行くも言葉が通じない。
いつものようの冷蔵庫から食材を見せてもらってやっと注文。
食事の言葉だけでも覚えておくべきだとつくづく思う。
足首の調子だが、気がつくと、ゆっくりでも階段を交互に登れるようになってきた。
(今までは片足、一段づつだった)
写真撮影や、町の散策もままならい状態から早く脱出したい・・。
【シベリア宿情報】
国名 ロシア
都市名 ベロゴルスク
ホテル名 BOCTOK2000
電話
住所
料金:1450ルーブル
ネット環境 なし
衛生環境 普通
特徴や感想 珍しくエアコン付き。ライダー訪問の写真がロビーにかけてあり、ライダー歓迎のムードあり。
~ワールドドリームツーリングプロジェクト・日本事務局~
~ワールドドリームツーリングプロジェクト・日本事務局~
走行距離:400キロ
出発時間:9:45
到着時間:17:30
天候:晴れ時々曇
最低気温:6.5℃
【祝☆ 前半完了、後半突入!】
ついに、15ヶ月の旅の前半が終了しました!
ここまでも、いろいろありましたが無事?五体満足で旅を続けていられることに本当に、関係者の皆様に深く感謝しています。
この旅は、「日本の元気!」「食に困る人の支援に!」を掲げて世界の子供の声を聞いて廻っています。
子供の語る「夢」を中心に、その声を聞く事で、夢を改めて見つめ、多くの方の心の栄養を満たせることが出来たら幸甚と願い活動しております。
ここに前半終了までの実績を報告させて頂きます。
●訪問国数:45
●子供インタビュー実施国:39
●ジャストギビング(セカンドハーベスト)実績:1,414,109円(目標達成率:48%)http://justgiving.jp/c/799
●実走行距離:48500キロ(ケニア~ロシア)
本日から旅の後半が始まります。
引き続き、日本の元気、食に困る方への支援のために頑張ります。
皆様、これからも一緒に私と走って下さい。
必ず完走し、帰国します! どうぞ宜しくおねがいします。
朝、外に出ると吐く息が真っ白。
明け方の最低気温は3℃くらいか。
バイクのパニアケース(トランク)からアンダーパンツを慌てて出す。
今日、目指すはシヴァキという町。
この町の宿情報は得られなかったが、
「どんな町でも宿はあり、地元民に聞けば教えてくれる」
という海外ツーリングサイトからの情報に期待して向かってみる。
シベリア横断道を南東に走る。
今日は珍しく、私と同じようなソロツーリングライダーとすれ違う。
相変わらず針葉樹林と白樺の景色は奇麗だが、2000キロも走るとそろそろ見飽きて来る。(笑)
シヴァキの標識が見えて来た!
幹線道を離れ、8㎞ほど走ると町が見えて来るはず・・。
が、見えて来たのは、小さな村。
高い建物は一つもなく、黒灰色の古い木造家屋が同じ高さで広がっているのみ。
人も、犬も歩いていない。
ここに果たして宿があるのだろうか。
やっと、村の中心まで来たところで、駅の踏切工事をする作業員を見つける。
「宿を探している」と伝えると、この町にはないとのこと。
幹線道へ戻った所で、警察官とライフルを肩からかけた兵士に尋ねると、100㎞先のシマノフスクまで行く必要があると。
残りのガソリンが心許ないがそこまで行けばスタンドもあるらしいので、ゆっくり走行で燃費を稼ぐ。
やっと、シマノフスクの町に到着し、ガソリンを入れたのは日が暮れ始めた頃。
スタンドのオヤジさんがホテルの方向を教えてくれるが、途中で判らなくなる。
バイクを停めて辺りを見回していると、若い男性が二名乗るロシア製ジープが駆け付けてくれ、少しお金をくれたらホテルまで案内すると。
到着後、100ルーブル(270円)札を一枚渡すと二人は、びっくるするほどお礼を言って喜んだ。
通された部屋は広めでキレイだが、2500ルーブル(7000円)は完全に脚元をみられたと思う。
言葉が出来ない、夕方の到着・・他に行く所もないといった所か。
部屋に入って早々、停電し、お湯も出なくなった。
立派なバスタブがあるのに、シャワーさえ浴びられず・・。
ちょっとヒドイなーと。
究極に腹ペコだったので、スタッフに聞くと食べる所は裏にあるよと。
行くとあるのは食料品屋。
そこのキップのいいオバちゃんに食堂を聞くと、タクシーに乗っていくしかないよと教えてくれる。
タクシーかー 、帰りの事も含めてどうすっかなー、と考えていると、その店に買い物に来た若い男性客を捕まえてオバちゃんが何か言っている。
すると、
「ハイ、この人タクシー。レストランへ連れてってくれるって」(笑)
常連客なのか私には判らないが、男性は少々苦笑いで私を車に乗せてくれた。
デート中だったようで、助手席の女の子はビックリしている。
またこの若者の運転が荒くて怖い。
カーブの度、加速の度、年代物でフロントガラスがヒビだらけのトヨタマークⅡの車体が軋む。
一軒目は休みだったので二軒回って下ろしてくれた店は中華レストランだった。
メニューを見てもサッパリなのでオススメをお願いすると、鶏の唐揚げのあんかけと、茄子など野菜のこれもあんかけが出て来た。
少々味がキツイが、かなり生き返った。
でも高ーい!
二品と飲み物で1800円!
空いている訳だ。
しかし、言葉が出来ないと何でも高く付くなー。
【シベリア宿情報】
国名 ロシア
都市名 シマノフスク
ホテル名 Таежная
電話 53-15-10
住所
料金:2500ルーブル
ネット環境 なし
衛生環境 普通
特徴や感想 言葉が通じればもっと安い部屋を出してくれたかも。
~ワールドドリームツーリングプロジェクト・日本事務局~