2011年2月28日(月)


本当は350キロほど走りドリジーに到着予定がわずか100キロちょっとで宿を探すことになった。

ブラザビルのホテルで朝食を済ませ街でガソリンを入れドリジーに向かって順調に走る。
道は舗装路で有り難い。街を走るタクシーは全てカラーが統一され日本と同じく認可制度のようで同じ「コンゴ」でもキンシャサのほうのDRCとは雰囲気が全く違う。
人の雰囲気もあちらと比べると幾分穏やかな感じがする。
気持ちよく走行しているとある道の分岐点から未舗装に変わる。
まだ50キロも走っていない。
「もうか・・」(悲)(苦笑)
途中で未舗装になることは想像していたがこんなに早くやって来るとは。。
その場所にポリスストップがありドリジーに向かうと言うと英語の話せる優しい警官が
「私達のような警官のユニフォームを着ていない人がもし停まれといっても無視して通過して下さい。」
やはり今だブラザビル/プール地区には反政府組織の民兵が残っているらしい。
どんどん道は悪くなっていくがアンゴラ~DRCの国境越えの経験に比べるとかなりマシ。
ただあくまでも低速走行は余儀なくされるので目的地へ到着するのに相当時間はかかることが判ってきた。
これは本日中に到着することは不可能だな・・と考えどこか適当な町でホテルかペンションに泊まるようになるのかな・・などど考えながら走っているとポツポツと雨が。
そこまでかなり暑さが厳しかったので少々の雨は歓迎・・などど考えていたら、
ザー!ザー!ザー!!
スゴイ夕立がやって来た。
さらに雷が近くに落ちた!
たまらずどこか避難場所を探しながら走っていると巨大トラックが二台、ある村の敷地に雨宿りのような感じで停まっている。
私もその村の入り口の大きな木の下に入り雨宿り(と言っても雨が強すぎてほとんど気休め程度)しているとどんどん村の人が帰ってきた。
誰も傘をさしていない。
皆さん「ボンジュール」と雨の中、声をかけてくれる。
30分ほどそこにいただろうか。
トラックはパンクか何かでタイヤ交換をしていた。
雨が小雨になった頃、村人がバイクの周りに集まってきた。
残念ながらフランス語が出来ないので会話は出来ないが、なんとなく意思の疎通は出来て友好的なムード。
アフリカの雨は短かく、陽が出ればダートでもまた走り易くなるだろうと思い、雨宿りの村を出ることにした。ただ、もうこの調子では次の町で泊まることになるかなと思い走った。
トラックの人たちも次の町には泊まるところがあり距離もここから4キロくらいだよと言っていたから。
走りだすと、硬かったダートはぬかるみに変わっていてまったくタイヤがグリップしない。
いきなり転倒。
全身泥だらけ。。
「なんだよ!!」
自分にいらだち思わず声が出る。
路面がぬるぬるなのでバイクも起こせない。
そんなところへ向こうから若い地元の村人、男性が二名歩いてきて起こすのを手伝ってくれた。
いつものようにどこから来て、どこまで行くという話しをしていると私が行こうとしている町はまだ相当あるよ4キロどころでないと。
そして空を指差し、すぐに酷い雨がまた降ってきて路面状況ももっと悪くなる、オートバイで走って行ったら大変、絶対さっきの雨宿りした村に戻ってそこに泊めてもらったほうがいいという主旨の内容を伝えてくれた。
そうこう話しているウチに、バケツをひっくり返したような雨が本当に来た!
ぬるついた路面がさらにみるみる悪くなる中、その男性達が手伝ってくれて先ほどの村まで一緒に行ってくれ村長さんに私のことを話してくれた。
私のオートバイを村長さんの家の前に移動するように言われそこに停めると、家に入るように言われた。
家に入ると椅子を出してくれて休ませてくれた。
椅子は家の中に一つしかないらしく私以外の家人の方、7~8名はベッドの上に座っている。
家の人にここに泊まっていいですか?と聞くと、満面の笑顔でいいいですよ!
と言う。
全てジェスチャーだが(笑) 
そしてここでと皆が座っているベッドを指さす。
このベッドで私が寝させてもらうのかな?
でもそうしたら皆さんはどこで寝るのだろう?
と考えた。


iPhoneのフランス語ソフトを使ってみるがその村はフランス語よりも地元の言葉が定着していることと、中には文字はわからない人もいるように感じた。
家の中にいると村の人が次々と私を見に来る。
「日本人が泊まりに来たらしい」という情報が回って皆、珍しいのと挨拶をしにくるのと両方だが皆、親切に受け入れてくれた。
村長さんの家の前に村人が集まる集会所のような小さな小屋がある。
そこに移動して座っていると、村長さんの娘さんスザンヌがブーツや、ライディングパンツを脱いで楽にされたら?という主旨のことを伝えてくれたので着替えさせてもらった。
その小屋でいろんな人が入れ替わりやってきて話す。
英語を話す人が一人も居ないのは少々苦しかったが31歳のしっかりした村の男性、ジェンソンと19歳の女性レグイシュが私が使うiPhoneの翻訳辞書を一生懸命理解しようとしてくれたのでいろいろとお互いの質問をし合った。
とは言っても、名前、家族、年齢、ぐらいだが。
この男性が小屋のいろりで豆ととうもろこしを炒ってものを私に薦めてくれ、これが美味しい!
この村に到着したのは15:30くらい。
それから暗くなるまで小屋で話したり私に一番リラックス出来る椅子で、木で作ったサマーベッドのような形状のものを提供してくれたのでうたた寝もした。
18:00になるとスザンヌが貴方用の夕ご飯ですよと地面に、二つのお皿を置いてくれた。
片方は日本で言えばご飯、「レマニョーク」というおモチのようなものと、「ロゼイ」という見た目、パスタにかけるミートソースのようなものを出してくれた。
味はともかく、食べている最中涙が出た。
人の優しさの骨頂を経験している感じがした。
そしてDRCコンゴの山中の村で出してもらったイモのようなもの、サフー(という名前だと後から判った)を出してくれた。
ここのサフーは味付けが良かったので一個まるごと食べることが出来た。
ほとんどといってもいいほど会話が成り立たないが村人の方々は「ヤマダ、ヤマダ」といって笑ってくれる。ちょっとしてことでウケる。
私が笑えば皆がもっと笑う。
とっても楽しい時間が過ぎる。
私の泥だらけの姿に対しバケツ一杯の水を用意してくれいろいろ洗わせてくれた。
スザンヌが私のブーツの泥まで落としてくれきれいにしてくれた。

そうだ、ここで子供インタビューをしよう!と思い、iPadにいれてあるフランス語バージョンの3つの質問を見せてみるがおそらく識字が良くないらしく意味がわからず、いろいろ伝えてみるが断念した。。

そして辺りが暗くなると小屋の中のたき火とアルコールランプだけの灯りで全てがこなされる。
夜は村の子供達が歌を唄ってくれたり、トランプをしたりした。
私は相変わらずの同じ手品を見せたりカメラで撮影をするととっても喜ぶのでそんなことで喜んでもらうようにする。
日本から持って来たハーモニカはムトンボ神父さんにあげたので吹いて上げることが出来なかった。
20:00頃に私があくびをし始めたのを見て村長さんの指示が出た。
なんと小屋の中に、私のためのベッドルームを作る作業が家人全員で始まった。
まず地面にゴザを敷き、マットレスを置いて、そしてシーツをかけ、小屋の天井からは蚊帳を吊ってくれた。
完成したものを見て私が感動していると皆で拍手をして笑った。
私が蚊帳の中に入り一足先に寝させて頂くことになった。
その隣で、村長さんと1~2名の人が同じ小屋で寝てくれた。
小屋は壁がなく屋根があるだけの基本は屋外なので夜が深まると寒くなる。
それを考えてずっとたき火とアルコールランプを絶やさないでいてくれた。
もう、信じられないもてなしを受けた。素晴らしい村、【キンブング】




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こぎれいなブラザヴィルのホテルだった






DSCF3063 同じコンゴでもこちらにくるとまず目に着いたのがタクシー。ちゃんと同じカラーで統一されている。




DSCF3064 たまらず駆け込んだ村。この家の中に招かれ一休みさせて戴いた。





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村人は20名だそう。







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家の中で記念撮影。

 





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集会所







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出してくれた夕ご飯。深く感動した瞬間だった。







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塩をかけてサフーを煎る







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テーブルは地面。独特のトランプゲームで最後までルールがわからなかった(笑)







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ベッドは地面。豪華なベッドルームを作ってくれた。







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蚊帳の向こう側に村長さんと数名の方が付き添って寝てくれた。火が絶えないようにたまに起きていたようだ。