2011年3月5日(土)
マルタンに起こされた。「ミスターヤマダ、モト(オートバイ)、モト」という。時間をみると5:30。雨は止んでいた。空がわずかに明るくなろうとしている。出発するのかと聞くとそうだと言う。雨の影響で路面状況は変わらず前に進むスピードは徒歩より数倍遅い。しかし少なくともコモノには近づいている。村人も歩き始めた。前方、後方から1、2台車が走ってきた。コモノまでまだ距離があるのでついに車に乗せてもらえないかと聞いていると2台目が乗せてくれると言う。距離は4キロほど。バイクを荷台にどうやって乗せるんだろうと思ったがまたアフリカ人のすこいところをみる。自然の地形を活かし、荷台の高さに近い崖?を見つけその崖の上にバイクを乗せる通路をスコップで作る(驚) 人の手を借りることなく無事バイクを荷台に乗せることが出来たが、今度はこの車が悪路を行けず何度もスタッグ。4WD車のはずだが壊れているようで後輪駆動で走っている。スタッグの度に助手と運転手がつるはし、スコップで路面を整備し行けるようにする。激しい揺れでいつバイクがトラック上で倒れないかヒヤヒヤしながらの移動を続けやっとコモノに着いた。まだ昼前だったがさすがに野宿明けでこのコモノに泊まることにした。まずはブランチを取ることにした。本当に命からがらたどり着いたホテルでありつけた食事は格別で3人で大いに笑いながら過ごしているとホテル経営者がこの地元の警察に行けと言う。パスポートとカルネのチェック。そしていつもの賄賂の請求(笑)このポリス所長はビール代で良いと。400円くらいであればと払った。ホテルに戻って野宿で泥だらけになった寝袋、カッパ、ライディングウェア・・他を洗っていると別の警官が来てまた署までこいという。日本では考えられないがこのコンゴでは「警察」と「憲兵」と二本立てで町の治安を収めているようだ。この憲兵の署にいくと今度はなんだか説明がいい加減でよくわからないが言ってしまえば「用心棒料」見たいなものがあり安全にこの町で外国人旅行者が滞在出来るようにする為の手数料ということだそうだ(笑)これは2000円くらい。支払った後、シェリフ曰く「もうこれで安心してガボンに行けますよ。何かあればすぐにこの番号に電話して下さい」と言い二つの電話番号をくれた。ホテルに戻り泥だらけになった衣類の洗濯、バイクの洗車、整備、給油、いろいろと忙しく時間が過ぎた。
夕刻になったころマルタンとキバサが記念撮影を取ろうという。私がカメラを用意しようとすると町のカメラ屋を呼んで来ていた。ちなみにフィルムカメラの一眼レフを使っていた。現像したものを購入するらしい。もちろん私のカメラでも撮影した。いよいよ明日は国境にいくことで別れの日となる。結局、野宿を含め3泊一緒に過ごしたことで言葉は通じなくとも最高に友情が深まり、お互い格別の信頼をし合う仲間となった。夜になり夕食はどうするのと二人に聞くと37歳のキバサはもう寝るといい、30歳のマルタンは偶然このコモノは親戚の家があるのかここも地元だった。そのため女性の友人と過ごすといってニヤついていた。その女性を私に紹介し握手をした。こんなシーンもアフリカ人の人間的な部分を垣間みることが出来た。大体の作業が終わったところで風呂の時間だがここのホテルはまさにアフリカスタイルのホテル。部屋に風呂もトイレもなく私の部屋は電気も無い。アルコールランプだけ至急された。ベッドは敷板の本数が少なくところどころくぼみがあり寝ると体の一部に何かが刺さって痛い(笑) 風呂は、屋外に洗い場があり雨水をためた水が水道の変わりだ。この水で皆、全身で洗う。川で洗うよりはいいらしい。野宿明けということもあり問答無用に水浴びをした。ただ髪を洗う気にはなれなかったのでペットボトルの水で濡らした手持ちのタオルで拭く。全身もあらためてそうする。ブログを打っているともう時間は24時に近くなるのだがここのホテルも中庭で大音響で音楽を鳴らし人が談笑する声が深夜まで響きわたる。そんな中、野宿でない所でのベッドに満足し安眠する。
タイヤとフェンダーの間に泥が堆積して何度もタイヤがロック状態になるためフェンダーを外した。またタイヤの溝に泥が埋まるとまったく舵が効かなくなる。
泥沼道は徒歩より数倍遅いスピードでしか進めない。
コモノまでの最後の数キロだけトラックが乗せてくれた。
このトラックもスタッグする度に整地して脱出する。
私にとってかけがえのない写真となる。彼らは私の命の恩人。
ここまでだけでもすでに600キロほど共にしただろう。
川で洗車を多くの人がしにくる場所。
マルタンがきれいにしてくれた。
最後はみんな、川に飛び込み石けんで体を洗う。
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