2011年3月6日(日)

コモノを出ていよいよ国境越えだ。コンゴ人の二人はついに今日で私達のミッションが終わると満足げであるのと同時に寂しげでもある。私も今日でお別れかと思うとヘルメットの中で何度も涙ぐむ。

道は酷いが野宿明けの朝からは快晴なので順調に進む事が出来た。途中いくつもの村を通り過ぎて行く。ただ相変わらず彼らがいなければ完全に道に迷うところばかりだ。さあ、あと20キロほどで国境だというときのある村を通り過ぎようとした時、一人の村人が大声で私達を制止する。彼ら二人が話しを聞くと、二つ前のバンバマという村のポリスが戻るように言っているという。何事だと思いそのまま行ってしまっても良いのでは?と伝えるがコンゴ人達は素直に従おうとしている。もう少し話しを聞くと私達を追いかけて今、憲兵がここまで来るという。20分ほど待つとライフル銃をこれ見よがしに肩から前に下げたものと腰に拳銃を着けた二名がミニバイクに乗ってやって来た。憲兵待ちの時、村の道ばたで私達が座りこんでいるときは村人が近くに寄って来て特に私を珍しそうに子供が集まって見ていたがこの憲兵がくると蜂の子を散らしたように一斉に村人が家に隠れるように入る。憲兵がとにかくバンバマの署まで戻れという。日本大使館に連絡し何を言っているか通訳をしてもらうが憲兵の言い分が二転三転してよく判らない。「何かあれば私に連絡してください」といっていたコモノの憲兵に連絡して話しをしてもらうが何も事態は変わらない。結局せっかく走って国境まであと少しというところだったのにまた悪路を戻ることになる。まるでアンゴラ最後の日と同じだと思いながら走った。署までいくといろんないちゃもんをつけて罰金を払わせようとしているが私には全く非がない。しかし永遠に何かを探そうとしてるのでたまらずキバサがここでもいくらか払えば良いという。そして彼らは100ドル欲しいと言って来た。その前にブラザビルで泊まったホテルが一泊いくらしたか聞いていたのでそれで要求金額を決めているようだ。結局、日本大使館の電話でのヘルプもあり20ユーロ約3000円を払えば解放すると約束したので支払った。署から外に出るともう暗くなっていてもうこの村に泊まるしかなくなった。20ユーロを差し出し各種書類を返却して署を出るとまた呼び止める。今度はイミグレーションスタッフと名乗る人物がパスポートとカルネを見せてというので渡すとそのまま明日まで預かるという。それには抵抗し返すよう強く主張し、書類をとり合いのような状態になるが奪うようにして抱え込み離さない。周りにはライフルと拳銃をもった人間がいるので私もそこまでにした。また大使館に連絡し今度は外務省を通じて返却するよう求め手続きをしようとしたがこれはうまくいかずイミグレーションの人物はいなくなってしまった。今度は真っ暗闇の中、別の担当官の仕事で全ての荷物の確認をするという。懐中電灯を使い調べ始める。全ての作業が終わり解放されたのは20:00近く。それから宿に行き4泊目を3人で過ごすことになったことをまた笑いしながら夕食を共にする。コーラがまた格別に旨い!ビールを飲まない私にとって最高の贅沢になってきた。まだコンゴにいる。そしてこの二人も家族から「あんたまだ帰って来ないの?」と連絡がある。思いがけない3人の旅が続いていてまだ終わらない。さて明日は本当に国境越えが出来るのか?


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国境へ向けてひた走る。天気がよくて有り難い!





DSCF3152 小排気量の彼らのバイクは何度もオイルとガソリンの補給を行う。





 DSCF3154結局、バンバマという町に戻って泊まることになった。
これも自分が選んだ旅。