移動距離:230キロ
天候:晴れ
最高気温:23℃
観光は一切出来なかったが旅に必要な作業が出来たタブリーズを離れ、アルダビールに向かいます。
ナビが機能しないため、タブリーズの街を出るのに少々手間取る。
なんとかアルダビールに続く幹線道に出ることが出来た。
標識はペルシャ文字が多く、英語表記の部分を探すのにまだ慣れない。
イランに入国したあたりでも見た土で作られた家屋。
イランの地方都市の特徴なのかな。
皆さん、親切ですぐ地図を書いてくれる。
ただその地図が・・(苦笑)
いやいやその親切に深く感謝。
この旅始まって以来、困ったのはイランでは建物に「HOTEL」の英文表記がほとんど出てないこと。
うーん、見つけにくい。
【ホテル・シェイフ・サフィー 32万リアル(2200円)】
(素泊まり/トイレ:イラン式(便器なし)/建物内にインターネットカフェ)
だんだん、ヨーロッパの先進国を離れたことをホテルの設備から感じています(笑)
「その格好だと、警察に捕まる!」と手錠をかけられるジェスチャーで説明してくれる。
イランは男性にも服装の厳しい規制があり、往来では短パンは許されません。
何故か、眼鏡屋街が。ここでサングラスを探せばよかったー。基本的に物価は安いです。
イランは香港のようなネオンが好きなよう。
街の中心地のモスクに行こうとしばらく歩くと道に迷ってしまった。
すると、全然知らない人が、
「そっちじゃないよ」といきなり道案内をしてくれる。
え!なんで? 何も言っていないのに私が行こうとしている場所、知っているの?
10分ほど歩いて目的地へ到着した。間違いない。ここに来たかったのです。
英語が話せないので会話が出来なかったが、フーシャンさんという方だった。魔法使い?(笑)
「内部の説明をしてあげるよ!」と言い、周りの人を巻き込んで説明を開始してくれる。
が、ペルシャ語は全くわからない。。
でも有り難うございます。
イランのモスクはかなり派手!作りも手が込んでいる。
でも、「VISA」「Master」「Plus」の表記が全くなく、イラン国内の金融カードしか使えません。
基本的にはイラン国内を旅する際は完全に必要分の現金を持ち込む必要ありです。
赤信号だろうが歩行者も無視して渡るし、車両が通行する交差点でも信号は点滅しているだけで機能していません。先に入ったもの勝ち、といった具合です。
なのであちこちで事故を見かけます。
シャワーを浴び、夕食に出かけます。
私の大好物の焼き鳥屋があるので入ると、焼く前の串に刺された肉を選べと。
トルコまでであればフランスパンが出て来るところが、ここイランでは、どっさりとナンが出て来る。
数分待つと焼きたての串が順番にナンの上に置かれる。
これはかなり旨かった!!久しぶりの大満足☆
ホテルに戻り、併設されているインターネットカフェに行き、メールのチェックとブログの更新をしようと設置されているパソコンを操作するが、インターネットのスピードも遅く、途中何度も遮断されてしまう。
そんな中、隣に座ってきた若いイラン人男性(シャフリヨールさん)が
「May I help you?」と声をかけてくれる。
少し会話をしたところで、とっても親切で優しい人だと判った。(19歳/大学生)
自己紹介の延長で子供インタビューの話題に及ぶと、
「私の家のマンションの上の階に10歳くらいの子供がいます。お手伝いします!」
と言ってくれ、急遽インターネットカフェを出てタクシーでシャフリヨールさんの家に向かうことになった。
ちなみに、インターネットカフェでの会計時に、このシャフリヨールさんが私の分まで一緒に払ってくれてしまう!またもやアンビリーバブル。。
会って間もないのに、なんでそんなおもてなしをしてくれちゃうの?(驚)
外に出ると、タクシーが中々捕まらないので、シャフリヨールさんがいきなり普通の車を停めてか、向こうが停まってくれてか判らなかったが、
「この車が乗せて行ってくれるそうです。乗りましょう」いわゆる白タクだなと。
目的地に着く時、タクシー代はもちろん私が払おうと財布を出すと、運転手もシャフリヨールさんも、タダですよ、と言う。
「なぬ〜っ!!」
これまた信じられない!
「旅人を助けるのは、その辺を走っているドライバーも当たり前ですから」と。。「白タク」じゃなかった。
純粋な親切なドライバーだった。。(感謝)
ちなみにイランはびっくりするほど外国人(欧米、アジア)は少ない。というか全く見ない。あれだけ、どこにでもいる中国人でさえです。 彼の家に到着。マンションの3階が彼のお家だが、建物に入ったところで靴を脱ぐのがイランの習慣。
立派なお宅。
「うちは平均的な家庭ですよ」と。21歳の姉、サミラさん。
イラン女性がスカーフをとっているところを初めて見たので思わず撮影させて戴いた(笑)
大学で法律の勉強をしていて、将来は裁判官か弁護士を目指しているとのこと。
いきなりの訪問にも関わらず大歓迎で迎えてくれ、なんと、食事までごちそうになってしまった。。レシュテという家庭料理のスープ。
私の大好きなヌードルが入っていて美味しかった。
夕食がまだだったら何杯もおかわりしてただろうな。子供インタビューは同じマンションの方ではなく、近くの親戚のお家に行くことになった。シャフリヨールさんのお母さんの運転する車で一家で移動。
シャフリヨールさんのおじさん宅に到着!
到着するなりこちらのお宅でも大歓迎で一家総出のお出迎え!(驚)
真ん中の男の子、アミルホッセン君(7歳)がインタビューに答えてくれた^^
最初、かなり人見知りしてたが、久しぶりに手品を見せるといきなりそばに寄って来た(笑)特に長女のファルザネさん(19歳)が「超」がいくつもつくほどの日本大好きっ娘だった!
大事にしているという、お友達にもらった日本の置物を見せてくれました。
夢は、日本人を結婚して日本に移住することだそうです!
イスラムの女性がかぶっているものについて聞かせてもらうとファッションショーをしてくれました♪
ルーセール シャー チャードール
ちなみに、目だけ開いている完全なほっかむりは、ルーバンドというそうです。
トルコなどではかぶらない女性も大勢いたがイラン女性は100%。理由は法律が厳しいから。
9歳以上、外出時、家の中でも他人と会う時は「絶対の絶対」にしていないといけない。しないとすぐに警察に捕まり、むち打ちの刑になる。
また、夫婦以外は街で一緒に歩く事も禁止。。(悲)話しが尽きず、夜中近くまで盛り上がる。
この日、二つの家庭から大歓迎を受けた。
この家庭との出会いのお陰でイランのこと、イスラムのことがほんの少し、判った気がした。
大人の夢は、国外へ行く事だった。スペイン、ドイツ、USA、日本・・
モスクが好きではなく、政府や警察に対してとっても抑圧されている感情を持つ方が少なくないこと。
観光地を訪問していてモスクは奇麗だし、素晴らしいと思う反面、禁欲的、制約が厳しく、昼夜問わず大音響のアザーンなど、日本人感覚のままだと違和感があったが、今回はとっても身近な感覚を覚えた。
もっとも根底的に理解出来たのは、
「人は誰でも、自由を欲しているのだ!!」
ということ。自由を求めて人は努力もするし、夢も持つ。
ここでもとても大変貴重な一日となった。アルダビールの街、有り難う。
明日は、カスピ海、沿岸の街ラシュトに向かいます!
*お知らせ:ここイランではフェースブック、ツイッターが規制のため閲覧が出来ません。
(6月17日以降)
私へのメッセージはこちらまで → trp@jp.bigplanet.com(直メ)お願いします。
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