2011年11月6日(日)
走行距離:260キロ
出発時間:8:30
到着時間:16:00
天候:晴れ
気温:34℃


たった一日の滞在だったホンジュラスを後にしニカラグアへ向かいます。

ホンジュラスで出国手続きを終えて、ニカラグア側へ渡ろうとすると、
 
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おお! 日本のマークがでかでかと!!

これは嬉しい☆
実はその後もこのマークのついた橋をいくつか見る事が出来ました。

ニカラグアの入国も無事完了。

「Good-bye! Honduras!!  Hello! Nicaragua!!」

ニカラグアに入ると一段を景色がよくなります☆
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富士山そっくりの山がお出迎え。
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雨期が終わったばかりのせいか水郷のような村が多くみられます。

道が悪いのは変わらない。
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穴をよけて走る、スラローム走行が続きます。


そ・し・て!!
幸先よく、子供インタビューが出来ました!^^
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レオンという町の入り口付近のGS併設の簡易レストランでよい家族との出会いがありました!

17歳のお姉ちゃんが英語が上手で、13歳だけど私の弟に是非、ということでさせて頂きました。

政治が不安定だからかニカラグアの未来を見据えた意見に感銘を受けました。

姉弟、共に頭が下がるほど立派な子供?達でした。
素晴らしいの一言!!

アップをお楽しみに☆


子供インタビューがここで出来たため、通過しようとしていたレオンの町に寄る事が出来ました。(笑)
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この町、一番の見所、カテドラル。
中米最大規模だそうです。

これはどこから撮影したかというと・・

こちらからです!
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ある建物の屋上、というよりまさにトタン屋根の上です。

「英雄記念館」
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ニカラグアの国家をアメリカ支配から救った団体「FSLN」(サンディニスタ民族解放戦線)の基地のひとつになっていた処。
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チェ・ゲバラと同様、民族の国を守るため立ち上がった有志がゲリラ部隊を結成し、最終的に政権を掴んだ歴史がある。

ここの管理人がたった一人だけの訪問者の私を案内し、丁寧に説明してくれた。
熱い心がこもっていたのでスペイン語でも通じた気がするから不思議だ。
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まったく奇しくも本日、ニカラグア大統領選があり、このFSLNのオルテガ大統領が再選された。

このブログを書いている途中、TVでは開票結果が出て街がわき上がっていて、そのニュースがあちこちのチャンネルでやっている。
写真









FSLNの旗が画面に見える。
今、この時間、外では花火、爆竹(?)の音が鳴り響いている。


レオンから、今日の目的地、首都マナグアへ到着。
共和国広場へ。
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右に見えるのが宮殿。
この宮殿こそゲリラ戦の舞台となった有名な場所。
左はカテドラル。
度重なる地震により、崩落の危険があり今は廃墟となっている。


ツーリングは水辺がいい!
ということでマナグア湖へ。
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黄昏の湖畔は最高!!。


近くに止まっていたバイクをみると、
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エンジンに、こんな刻印が。
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んな訳ないでしょっ(笑) 
と思ったが、何か日本の部品が使われてたらまんざらうそでもないか。

昼食をとってなかったので早めの夕食を湖畔のレストランで。
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いつものように店員に「オススメ」をオーダー。
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これはヤギ肉だ。・・たぶん。
結構、美味しかったです。 (176コルドバ=600円)。
それほど安くないのは観光地価格だからでしょうか。

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美しい夕陽に疲れが癒されます。

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すっかり暗くなった首都。
やたらネオンが明るいのは、大統領選挙のせいか、いつもこんな感じなのか?


本日改めて政権を握った「FSLN」がゲリラ時代に旗に掲げていた文字は

「自由か死か」

だった。

自由を手に入れることに本気だったんだ、と若くして散って逝った彼らの写真画を見てそう思った。



「本気」とは何かを教えられた気がする。




<国境情報>
【ホンジュラス出国】(Guasaule)所要時間:30分
イミグレーション:出国スタンプ
税関:ペルミソキャンセル

【ニカラグア入国】所用時間:1時間
イミグレーション:入国費用:12ドル・入国スタンプ無し
税関:ペルミソ作成料:無料。本日は日曜でコピー屋が開いていなかったためかペルミソ作成時に必要な各種コピーが不要でした。