ジャストギビングを通じ、食に困る家庭を救う活動をするNPOセカンドハーベストへ貢献して頂いている皆様を紹介しています☆
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私の頑張りの原動力です!
☆ジャストギビング山田達也のチャレンジ応援ページ:http://justgiving.jp/c/799☆
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【ペルー】クスコ滞在2/マチュピチュの旅
2011年12月13日(火)
早朝5:40、クスコのホテルを出発します。
ガイドさん同伴のワゴン車で20分走り、ポロイ駅に到着。
そこからマチュピチュ(旧アグアス・カリエンテス)駅まで列車で3時間強の移動です。
おおっー!
「世界の車窓から」(笑)
超〜新鮮です。
外の景色を人ごとのように眺めてられるのが不思議でしょうがない。
そして、なんと!
朝食が出て来るではないか!
快適だなー。
同じ場所を移動する旅でも、バイクと列車でこうも違うとはね。
バイクでは移動中、戦いだもんな。
そして、マチュピチュ駅に到着!
3時間以上乗っていたとは思えないほど、あっと言う間でした。
ちなみに基本、バイクや車ではここまで来る事が出来ません。
マチュピチュの町と遺跡を保護する観点から道路を途中から造らないというのが政府の方針とのことです。
駅を出ると沢山の土産物が立ち並び、旅行会社のガイドさんが待っています。
そこからマイクロバスに乗り換えさらに30分、山道を登ります。
ここは完全ダート。
ちなみにこのバスなどの車両は全て鉄道で運ばれてきます。
一瞬、悩みました。
地下鉄はどうやって、電車を入れるんでしょうねえ、と同じ発想です。
・・違う?
来ちゃったよ=!!
本当にガイドブックどおりだ!(笑)
まさに「空中都市」!
1500年代にスペイン軍がこの南米を征服にやって来て、当時全土を支配していたインカ帝国の街という街を全て破壊したそう。
ただ、麓からもその存在がわからず伝説の都市とされてきたこのマチュピチュだけはスペイン軍も見つけることが出来ず、まったく被害がなかった場所とされる。
上空からしかその存在が確認出来ないとされるのがその所以だそう。
何ともロマンがあるじゃないですか!!
ズーム!
神殿、住居、広場、水路、天文台、学校・・完全なる都市機能を持っていたことが判る。
オンシーズン(5月ー9月)から外れているとは言え、結構な人が来ています。
何か感じますか?
あちらこちらで、マチュピチュが持つパワーを受ける為に何かをしている人を見かけます。
伝説の都市に入ります!
天文台(日時計)
これで夏至と冬至の時期を確認しカレンダーの源になっていたのだと。
ガイドがいるお陰で内容が把握出来るのは有り難い。
ただ一人でここを歩いたら、どんな想いが降り注いできただろうかとも思う。
手抜きの跡がここのポイント、と聞いて笑いと安心と。
建設中に王がいなくなったことで石工の仕事が最後はいい加減になったのだと。
完全主義を貫いたとされる古代インカ人も人間的なところがあっていいじゃない。
インカ文明の特筆は石工技術。
大きな岩で周囲の景色を作り出すのはワケないよ、と当時の石工の声が聞こえるようだ。
感心するのはこの水路。
山から引き、都市内を縦横無尽にそれも完全に計画的に流されている水路の設置には舌を巻く。
これによって種々の建築、農業、漁業などが発展し、インカ帝国成功の理由の一つになったことが頷ける。
まさに「Warter is Life」だ。
16ある水汲み場。
しかし何故、900名ほど暮らした村民がこの街を放棄して去っていったのかは今も謎だとされる。
標高2400mのマチュピチュに生息するラマ。
アルパカがいると聞いていたが3000m以上の寒冷地でしか生息出来ないそう。
今回は勉強家のガイドさんのお陰で、最新のマチュピチュ情報を聞く事が出来た。
他の遺跡もそうだが、特にこのマチュピチュではどんどん情報が更新され、少し前のガイドブックとは違う内容になっているところが多いと言う。
例えば今年、発見された近くの遺跡によって今までの定説が覆されたりしているとも。
あ、そう言えば昨日のアルパカの赤ちゃん・・あれ、騙されました(笑)
羊の赤ちゃんですってww あのオバハン、嘘つきだなー!
アルパカの赤ちゃんは生まれたてで、すでに身長1m以上あるんですって。
野生のうさぎに遭遇。
こいつ、強そう。
キッ、としてますね。
遺跡入り口のレストラン内に発見直後1912年の写真が掲示されていた。
実は発見当時、既に現地民一家族だけ暮らしていたそうだが、全く手つかずにされていた遺跡の様子が生々しい。
第一発見者とされるハイラム・ビンガム。
正確には初めて世界にマチュピチュの存在を発表した人で米国エール大学の研究者だった。
彼の活動がペルーの発展を後押ししたことは言うまでもない。
あっという間の3時間に滞在でしたがかなり堪能出来ました。
帰りの電車に乗り込むと、
コロンビアのメディジンから来たという謎の美女グループと隣同士に。
メディジンって美人で有名な街ですが私は行きませんしたがここで出会えるとは!
帰りの列車でも軽食が出ます☆
有料でワインなどのアルコールも楽しめる。
さらには車両毎にファッションショーが行われ、車内は大盛り上がり!
主にアルパカ素材のポンチョやセーター、ショール、マフラー、ジャケットなどが次々と紹介されていきます。
やはりというか、美女グループは急遽モデルとして参加させられていました。
でも、その歩きっぷりとプロっぽい笑顔はただものではないな。
「100%Babyアルパカ」の品は手触り最高で、一生ものなんだそうです。
現地ではセーター一枚、1万円くらい。
日本では3−4倍するそうです。
長い一日、ガイドを務めてくれたホルヘ(ジョージ)さんと。
生まれはコロンビアだが、8歳〜30歳まで日本に住んでいたというからもう心は日本人。
私の自宅の近所の西麻布にも住み、元バイカーで年齢が一つ違いだったので大盛り上がり!
また会えることを楽しみにしています!
応援団岐阜^^V結成しました^^ 山田さんの高い志!に感動しています。どこまでもBIG!になってください♪
このチャレンジに3,000円寄付します!
岐阜 小林康子 さん 2010-11-12 18:42:21
私の頑張りの原動力です!
☆ジャストギビング山田達也のチャレンジ応援ページ:http://justgiving.jp/c/799☆
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【ペルー】クスコ滞在2/マチュピチュの旅
2011年12月13日(火)
早朝5:40、クスコのホテルを出発します。
ガイドさん同伴のワゴン車で20分走り、ポロイ駅に到着。
そこからマチュピチュ(旧アグアス・カリエンテス)駅まで列車で3時間強の移動です。
おおっー!
「世界の車窓から」(笑)
超〜新鮮です。
外の景色を人ごとのように眺めてられるのが不思議でしょうがない。
そして、なんと!
朝食が出て来るではないか!
快適だなー。
同じ場所を移動する旅でも、バイクと列車でこうも違うとはね。
バイクでは移動中、戦いだもんな。
そして、マチュピチュ駅に到着!
3時間以上乗っていたとは思えないほど、あっと言う間でした。
ちなみに基本、バイクや車ではここまで来る事が出来ません。
マチュピチュの町と遺跡を保護する観点から道路を途中から造らないというのが政府の方針とのことです。
駅を出ると沢山の土産物が立ち並び、旅行会社のガイドさんが待っています。
そこからマイクロバスに乗り換えさらに30分、山道を登ります。
ここは完全ダート。
ちなみにこのバスなどの車両は全て鉄道で運ばれてきます。
一瞬、悩みました。
地下鉄はどうやって、電車を入れるんでしょうねえ、と同じ発想です。
・・違う?
来ちゃったよ=!!
本当にガイドブックどおりだ!(笑)
まさに「空中都市」!
1500年代にスペイン軍がこの南米を征服にやって来て、当時全土を支配していたインカ帝国の街という街を全て破壊したそう。
ただ、麓からもその存在がわからず伝説の都市とされてきたこのマチュピチュだけはスペイン軍も見つけることが出来ず、まったく被害がなかった場所とされる。
上空からしかその存在が確認出来ないとされるのがその所以だそう。
何ともロマンがあるじゃないですか!!
ズーム!
神殿、住居、広場、水路、天文台、学校・・完全なる都市機能を持っていたことが判る。
オンシーズン(5月ー9月)から外れているとは言え、結構な人が来ています。
何か感じますか?
あちらこちらで、マチュピチュが持つパワーを受ける為に何かをしている人を見かけます。
伝説の都市に入ります!
天文台(日時計)
これで夏至と冬至の時期を確認しカレンダーの源になっていたのだと。
ガイドがいるお陰で内容が把握出来るのは有り難い。
ただ一人でここを歩いたら、どんな想いが降り注いできただろうかとも思う。
手抜きの跡がここのポイント、と聞いて笑いと安心と。
建設中に王がいなくなったことで石工の仕事が最後はいい加減になったのだと。
完全主義を貫いたとされる古代インカ人も人間的なところがあっていいじゃない。
インカ文明の特筆は石工技術。
大きな岩で周囲の景色を作り出すのはワケないよ、と当時の石工の声が聞こえるようだ。
感心するのはこの水路。
山から引き、都市内を縦横無尽にそれも完全に計画的に流されている水路の設置には舌を巻く。
これによって種々の建築、農業、漁業などが発展し、インカ帝国成功の理由の一つになったことが頷ける。
まさに「Warter is Life」だ。
16ある水汲み場。
しかし何故、900名ほど暮らした村民がこの街を放棄して去っていったのかは今も謎だとされる。
標高2400mのマチュピチュに生息するラマ。
アルパカがいると聞いていたが3000m以上の寒冷地でしか生息出来ないそう。
今回は勉強家のガイドさんのお陰で、最新のマチュピチュ情報を聞く事が出来た。
他の遺跡もそうだが、特にこのマチュピチュではどんどん情報が更新され、少し前のガイドブックとは違う内容になっているところが多いと言う。
例えば今年、発見された近くの遺跡によって今までの定説が覆されたりしているとも。
あ、そう言えば昨日のアルパカの赤ちゃん・・あれ、騙されました(笑)
羊の赤ちゃんですってww あのオバハン、嘘つきだなー!
アルパカの赤ちゃんは生まれたてで、すでに身長1m以上あるんですって。
野生のうさぎに遭遇。
こいつ、強そう。
キッ、としてますね。
遺跡入り口のレストラン内に発見直後1912年の写真が掲示されていた。
実は発見当時、既に現地民一家族だけ暮らしていたそうだが、全く手つかずにされていた遺跡の様子が生々しい。
第一発見者とされるハイラム・ビンガム。
正確には初めて世界にマチュピチュの存在を発表した人で米国エール大学の研究者だった。
彼の活動がペルーの発展を後押ししたことは言うまでもない。
あっという間の3時間に滞在でしたがかなり堪能出来ました。
帰りの電車に乗り込むと、
コロンビアのメディジンから来たという謎の美女グループと隣同士に。
メディジンって美人で有名な街ですが私は行きませんしたがここで出会えるとは!
帰りの列車でも軽食が出ます☆
有料でワインなどのアルコールも楽しめる。
さらには車両毎にファッションショーが行われ、車内は大盛り上がり!
主にアルパカ素材のポンチョやセーター、ショール、マフラー、ジャケットなどが次々と紹介されていきます。
やはりというか、美女グループは急遽モデルとして参加させられていました。
でも、その歩きっぷりとプロっぽい笑顔はただものではないな。
「100%Babyアルパカ」の品は手触り最高で、一生ものなんだそうです。
現地ではセーター一枚、1万円くらい。
日本では3−4倍するそうです。
長い一日、ガイドを務めてくれたホルヘ(ジョージ)さんと。
生まれはコロンビアだが、8歳〜30歳まで日本に住んでいたというからもう心は日本人。
私の自宅の近所の西麻布にも住み、元バイカーで年齢が一つ違いだったので大盛り上がり!
また会えることを楽しみにしています!
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