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#WORLD DREAM TOURING

“世界の子供の希望と夢を発信します”

Congo(コンゴ共和国)

バンバマ(コンゴ)~フランスヴィル(ガボン)の旅

2011年3月7日(月) バンバマの宿を出てすぐにイミグレーション係官がいるという場所に行く。なんとここが本当に出国の手続きをするイミグレーションだった。昨日、村人、そして憲兵に制止されず、バンバマに戻ることがなかったら大変なことになっていた。そしてそのイミグレーションでパスポートに出国のスタンプを押すのに10000フラン(1700円)というので支払い無事パスポート、カルネ(車両のパスポートのようなもの)を返却された。カルネに出国のスタンプは?と聞くとそれはここではやらない。国境でやってくれという。しかし国境までいくともう出国の手続きをする事務所は何もなくそのままガボンに入ってしまった。ここはかなり不思議なところで未だに不思議だ(笑) そしてカルネに出国スタンプを押さないままコンゴを出てしまったことはかなり不安でもある。ガボンの入国で問題にならなければいいが最悪、またバンバマまで戻れと言われないかヒヤヒヤだ。
バンバマを出て、国境までは大変な道のりの総仕上げといった感があるほどだった。水たまりの深い所は腰近くまであるものが連続し何度もスタッグ、数回転倒。その度に二人に助けてもらう。ほとんど誰も歩いていない地域だ。国境手前4キロほどあたりで前からライフル銃を持った人が歩いている。警察や民兵ではなく狩りをする村人だった。その人の住む国境最後の村がすぐそこにありそこで水をごちそうになった。銃で何を撃つんですかと聞くと、このあたりは象が沢山いるのでそれを狙うと言う。いやいやいや、スゴイ・・(笑) また少し先に最後の茶屋?みたいなものがあり最後の休憩をしている時に、子供インタビューに挑戦した。コンゴ共和国に入り二日目、大雨で急遽泊めてもらったキンブングの村で子供インタビューに失敗しているのでコンゴでのラストチャンスだ。キバサに主旨を伝えて12才の子供にインタビューを開始するがキバサも私も英語力が高くないため質問内容も把握できにくく子供に通訳をしにくいようだ。ここでもいろいろな角度から質問内容をキバサに伝えるが結局、出来なかった。一番ショックだったのは「夢」=フランス語でreveの意味が判らないという。「夢を持つ」という概念がないように思えた。キンブングの村でも同じような反応だった。確かにコンゴの山奥に住み、夢を持つという事は難しいのかもしれない。私は今日中にフランスヴィルに行き、彼らは家に帰るために来た道を戻っていかないとならないため子供インタビューを終えるとすぐに出発した。
どんどん、どんどん、道が悪くなりとてもキツい下り坂のあと突然大きな川があり道が開けた。そこにかかる橋は立派だった。ついに国境に着いたのだ。橋を渡ると「GABON」と書いた石像だけがある。今までの国境と全くイメージが違う。そしてその川を境に道が格段に良くなっている。ここは本当に境界線だ。彼らが言うにはここから4キロ走るとガボン入国のイミグレーションがあるという。そこまで一緒に行こうと言うと、自分たちはこのパスポートも何も持っていないのでこの境界線から先のガボンのエリアに立ち入ることができないと。4度の夜を共にした仲間と本当に最後の別れの時が来た。彼らと約束した御礼に上乗せしたものを渡し、記念撮影をし、橋の上で最後のハグを、強く、そして長くして涙の別れをした。橋の下ではごうごうと茶色い濁流が流れている。二人は私が見えなくなるまで橋のたもとで見送るという。バイクにまたがりエンジンをスタートさせギアを1速にいれ発進させる。一度だけ振り向きお互い手を振る。その後、私は高い茂みの道の奥に入りこみ彼らと永遠の別れになった。 彼らと別れて走り出した時、トリップメーターをリセットして4キロ走ったが国境らしきものが無い。5日ぶりに一人ぼっちに戻ったため相当不安になる。また道が悪くなった。話しが違うじゃん!(苦笑)と思うが、もうアフリカ人の言う表現と私の感覚が相当違うことには慣れた。結局、10キロ過ぎた所に国境オフィス(村の端に設営された大きめのテント)の一部があった。道もすぐに良くなってきた。相当な疲れの中、フランス語が出来ずに一生懸命ジェスチャーで話しをしパスポートなどを差し出してから水が欲しいと表現すると美味しい缶ジュースと大きい新品の水のペットボトルをただでくれた。おいおいおい!ガボンに入ったとたん今までの雰囲気とは違うぞ!(嬉)その方々の顔付きもかなり優しい。その場所は荷物チェックの場所で、パスポートに入国のスタンプを押すのはここから3キロ先のジェンダメリー(憲兵オフィス)に行って下さいというので進むとやはり5キロ先だった(笑) そこに着き30分以上待った結果、スタンプを押す係官がフランスヴィルにいてここに居ないのでフランスヴィルの警察署まで行って欲しいという。入国関係の作業はポリス(警察)とジェンダメリー(憲兵)とで分担して行っているらしい。その時点で15:00を過ぎていたのでフランスヴィルに向かうのは明日にして今日はこの町に泊まろうかと思っていると伝えると1時間30分あればフランスヴィルに着くよと。道は全然良いので大丈夫だという。信じて走り始めると本当に道はよく結局フランスヴィルの警察署に17:00に着いた。警察署に着くと明日の朝来て下さいとのことだったのでその警察官に教えてもらったホテルに向かい到着。そのホテルは町で一番良いホテルでプールはある、シャワーのお湯も十分出る、部屋はきれい、食事も美味しい、価格も手頃、と全てが揃っていて感動するほど嬉しい。アンゴラ北部~DRC~コンゴのきつい区間がまるで夢だったと思うほどの世界に来た気がした。残念ながらインターネットが壊れているので各方面への連絡はまだ当面お預けだ。
 【ホテルプバラ 一泊4000円素泊まり】
泥だらけの荷物を部屋で解き、すぐにシャワーを浴びた。「(俺)生きている!!」思わず言葉が出た。お湯のシャワーをこんなに幸せに感じたことはなかったな。そして泥が付いてない衣類を探し着替えてホテルのレストランで夕食を摂った。全部フランス語で読めなくて困っていると別のテーブルで食事をしている人が手伝ってくれた。基本のコース料理があったのでそれを頼む。サラダ、チキンのメインディッシュ、デザート、そしてファンタ、水、最後にコーヒー。これら全てを一口、一口、感嘆の思いで味わった。
ホテルに着いてから何度か、マルタンとキバサに電話をしているが通じない。今どこを走っているんだろう。少し心配。彼らは家に着くまで4日はかかるだろうと言っていた。


DSCF3159虫除けスプレーを使っているが何かに刺されこのとおり(苦笑)






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大自然の厳しさと、コンゴの道の悪さが相まった結果の道。







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これは竹が集まって生えているものだった。













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マルタンの指示が的確なので助かる。








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ジンジャー(ショウガ)の仲間だと思うが独特の甘みがあってこれを拾いながら食べて進んだ







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最後の村で象狩りの人と。








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手作りの子供のおもちゃが可愛かった。













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ガボンとの国境はこれだけ。













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感慨深い表情の二人。使命を全うした満足感と別れの辛さと4日以上かけて帰る憂鬱さ?







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最高のショット!







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見送りを背に前に進むしかない。







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10キロ先にガボンの入国審査場があった。みな親切にしてくれた。







【コンゴ】コモノ~バンバマの旅

2011年3月6日(日)

コモノを出ていよいよ国境越えだ。コンゴ人の二人はついに今日で私達のミッションが終わると満足げであるのと同時に寂しげでもある。私も今日でお別れかと思うとヘルメットの中で何度も涙ぐむ。

道は酷いが野宿明けの朝からは快晴なので順調に進む事が出来た。途中いくつもの村を通り過ぎて行く。ただ相変わらず彼らがいなければ完全に道に迷うところばかりだ。さあ、あと20キロほどで国境だというときのある村を通り過ぎようとした時、一人の村人が大声で私達を制止する。彼ら二人が話しを聞くと、二つ前のバンバマという村のポリスが戻るように言っているという。何事だと思いそのまま行ってしまっても良いのでは?と伝えるがコンゴ人達は素直に従おうとしている。もう少し話しを聞くと私達を追いかけて今、憲兵がここまで来るという。20分ほど待つとライフル銃をこれ見よがしに肩から前に下げたものと腰に拳銃を着けた二名がミニバイクに乗ってやって来た。憲兵待ちの時、村の道ばたで私達が座りこんでいるときは村人が近くに寄って来て特に私を珍しそうに子供が集まって見ていたがこの憲兵がくると蜂の子を散らしたように一斉に村人が家に隠れるように入る。憲兵がとにかくバンバマの署まで戻れという。日本大使館に連絡し何を言っているか通訳をしてもらうが憲兵の言い分が二転三転してよく判らない。「何かあれば私に連絡してください」といっていたコモノの憲兵に連絡して話しをしてもらうが何も事態は変わらない。結局せっかく走って国境まであと少しというところだったのにまた悪路を戻ることになる。まるでアンゴラ最後の日と同じだと思いながら走った。署までいくといろんないちゃもんをつけて罰金を払わせようとしているが私には全く非がない。しかし永遠に何かを探そうとしてるのでたまらずキバサがここでもいくらか払えば良いという。そして彼らは100ドル欲しいと言って来た。その前にブラザビルで泊まったホテルが一泊いくらしたか聞いていたのでそれで要求金額を決めているようだ。結局、日本大使館の電話でのヘルプもあり20ユーロ約3000円を払えば解放すると約束したので支払った。署から外に出るともう暗くなっていてもうこの村に泊まるしかなくなった。20ユーロを差し出し各種書類を返却して署を出るとまた呼び止める。今度はイミグレーションスタッフと名乗る人物がパスポートとカルネを見せてというので渡すとそのまま明日まで預かるという。それには抵抗し返すよう強く主張し、書類をとり合いのような状態になるが奪うようにして抱え込み離さない。周りにはライフルと拳銃をもった人間がいるので私もそこまでにした。また大使館に連絡し今度は外務省を通じて返却するよう求め手続きをしようとしたがこれはうまくいかずイミグレーションの人物はいなくなってしまった。今度は真っ暗闇の中、別の担当官の仕事で全ての荷物の確認をするという。懐中電灯を使い調べ始める。全ての作業が終わり解放されたのは20:00近く。それから宿に行き4泊目を3人で過ごすことになったことをまた笑いしながら夕食を共にする。コーラがまた格別に旨い!ビールを飲まない私にとって最高の贅沢になってきた。まだコンゴにいる。そしてこの二人も家族から「あんたまだ帰って来ないの?」と連絡がある。思いがけない3人の旅が続いていてまだ終わらない。さて明日は本当に国境越えが出来るのか?


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国境へ向けてひた走る。天気がよくて有り難い!





DSCF3152 小排気量の彼らのバイクは何度もオイルとガソリンの補給を行う。





 DSCF3154結局、バンバマという町に戻って泊まることになった。
これも自分が選んだ旅。

【コンゴ】コモノ手前~コモノ

2011年3月5日(土)

マルタンに起こされた。「ミスターヤマダ、モト(オートバイ)、モト」という。時間をみると5:30。雨は止んでいた。空がわずかに明るくなろうとしている。出発するのかと聞くとそうだと言う。雨の影響で路面状況は変わらず前に進むスピードは徒歩より数倍遅い。しかし少なくともコモノには近づいている。村人も歩き始めた。前方、後方から1、2台車が走ってきた。コモノまでまだ距離があるのでついに車に乗せてもらえないかと聞いていると2台目が乗せてくれると言う。距離は4キロほど。バイクを荷台にどうやって乗せるんだろうと思ったがまたアフリカ人のすこいところをみる。自然の地形を活かし、荷台の高さに近い崖?を見つけその崖の上にバイクを乗せる通路をスコップで作る(驚) 人の手を借りることなく無事バイクを荷台に乗せることが出来たが、今度はこの車が悪路を行けず何度もスタッグ。4WD車のはずだが壊れているようで後輪駆動で走っている。スタッグの度に助手と運転手がつるはし、スコップで路面を整備し行けるようにする。激しい揺れでいつバイクがトラック上で倒れないかヒヤヒヤしながらの移動を続けやっとコモノに着いた。まだ昼前だったがさすがに野宿明けでこのコモノに泊まることにした。まずはブランチを取ることにした。本当に命からがらたどり着いたホテルでありつけた食事は格別で3人で大いに笑いながら過ごしているとホテル経営者がこの地元の警察に行けと言う。パスポートとカルネのチェック。そしていつもの賄賂の請求(笑)このポリス所長はビール代で良いと。400円くらいであればと払った。ホテルに戻って野宿で泥だらけになった寝袋、カッパ、ライディングウェア・・他を洗っていると別の警官が来てまた署までこいという。日本では考えられないがこのコンゴでは「警察」と「憲兵」と二本立てで町の治安を収めているようだ。この憲兵の署にいくと今度はなんだか説明がいい加減でよくわからないが言ってしまえば「用心棒料」見たいなものがあり安全にこの町で外国人旅行者が滞在出来るようにする為の手数料ということだそうだ(笑)これは2000円くらい。支払った後、シェリフ曰く「もうこれで安心してガボンに行けますよ。何かあればすぐにこの番号に電話して下さい」と言い二つの電話番号をくれた。ホテルに戻り泥だらけになった衣類の洗濯、バイクの洗車、整備、給油、いろいろと忙しく時間が過ぎた。

夕刻になったころマルタンとキバサが記念撮影を取ろうという。私がカメラを用意しようとすると町のカメラ屋を呼んで来ていた。ちなみにフィルムカメラの一眼レフを使っていた。現像したものを購入するらしい。もちろん私のカメラでも撮影した。いよいよ明日は国境にいくことで別れの日となる。結局、野宿を含め3泊一緒に過ごしたことで言葉は通じなくとも最高に友情が深まり、お互い格別の信頼をし合う仲間となった。夜になり夕食はどうするのと二人に聞くと37歳のキバサはもう寝るといい、30歳のマルタンは偶然このコモノは親戚の家があるのかここも地元だった。そのため女性の友人と過ごすといってニヤついていた。その女性を私に紹介し握手をした。こんなシーンもアフリカ人の人間的な部分を垣間みることが出来た。大体の作業が終わったところで風呂の時間だがここのホテルはまさにアフリカスタイルのホテル。部屋に風呂もトイレもなく私の部屋は電気も無い。アルコールランプだけ至急された。ベッドは敷板の本数が少なくところどころくぼみがあり寝ると体の一部に何かが刺さって痛い(笑) 風呂は、屋外に洗い場があり雨水をためた水が水道の変わりだ。この水で皆、全身で洗う。川で洗うよりはいいらしい。野宿明けということもあり問答無用に水浴びをした。ただ髪を洗う気にはなれなかったのでペットボトルの水で濡らした手持ちのタオルで拭く。全身もあらためてそうする。ブログを打っているともう時間は24時に近くなるのだがここのホテルも中庭で大音響で音楽を鳴らし人が談笑する声が深夜まで響きわたる。そんな中、野宿でない所でのベッドに満足し安眠する。




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タイヤとフェンダーの間に泥が堆積して何度もタイヤがロック状態になるためフェンダーを外した。またタイヤの溝に泥が埋まるとまったく舵が効かなくなる。




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泥沼道は徒歩より数倍遅いスピードでしか進めない。







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コモノまでの最後の数キロだけトラックが乗せてくれた。







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このトラックもスタッグする度に整地して脱出する。







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私にとってかけがえのない写真となる。彼らは私の命の恩人。

ここまでだけでもすでに600キロほど共にしただろう。




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川で洗車を多くの人がしにくる場所。













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マルタンがきれいにしてくれた。







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最後はみんな、川に飛び込み石けんで体を洗う。

【コンゴ】カイ~コモノ手前山中(野宿)

2011年3月4日(金)

 

カイの出発の朝、この先のルートについてさらに熟考した。当初の旅程通り、ドリジー経由で北上しニャンガ、ンデンデを通りガボンに入国(列車にバイクを乗せるか、そのまま陸路で自力か、トラックを探し乗せるか)するか、ポワントノワールまで行き港からオートバイを乗せてくれるフェリーか貨物船を探しガボンの首都リーブルビルにいくことも考えていたが、アンゴラの首都ルアンダで出会ったオーストラリア人ライダーからの情報を思い出した。彼らは北から南下し私が今いるあたりを通過しコンゴ~アンゴラを抜けていった。そのルートと道の状況について「一部険しく、よく転倒した。ただ良い道の状況もあった」と言っていた。ロテテで会ったドイツ人ライダーは、ンデンデ~ニャンガを通った結果、バイクが壊れ走行不能になり大型トラックの荷台にバイクを乗せ「impossible(不可能)」と言っていたが、オーストラリア人ライダー達の通過した道であれば「possoble(可能)」になりそうだ。その道の情報をキバサとマルタンに伝えると、そのルートは大丈夫!という。じゃあそこを通ってガボンの国境まで一緒に行く?と誘ってみたら考えた末、行くと言うのでまた二台3人のツーリングが続くことになった。列車案、港から船案は捨て、やはり自力陸路という選択にした。やはりどこかで当初決めた通り基本はオートバイで全てを回るという方針を貫きたいと気持ちが勝ってしまった。さて吉と出るか、凶と出るか。まず町を出る前に必要なことをしておく。コンゴのお金(FCFA=シーファー)が心もとないなので両替えをしたり国際携帯電話の料金チャージをしたりなんやかんや町を離れたのは9;00近いくなった。

出発してみると本当に道の状態が良い。舗装路に穴、たまにダートがあるだけで走っていて気持ちイイ。この思わぬ出会いのKTM製110ccバイクに乗る二人と一緒なのでとにかく気持ちが楽。道に迷うことがない。私なら絶対こっちじゃないだろという道をチョイスし目的地に最短で向かって行く。ただ彼らのバイクは110ccなのでスピードが出ないのでずーっと40キロ走行だ。それでもまったく苦にならないのは突然の道の穴、いきなりのダートなどになった時にもっとスピードが出ていたら危なかったなという所ばかりだから。ただ彼らのバイクはすでにボワンサを出てから100キロ以上は走っていてそれも二人乗りなのでついにシビティを過ぎたあたりでパンクをした。その修理に3度要す。大分太陽が傾いてきた。私一人だったら近くの村に泊めてもらうのだが彼らはそのままコモノを目指して走り続けるようだ。彼らはすでに地元民ではないにせよ、アフリカ人で悪路の対応方法をよく知っているはずなのでそのまま着いていくことにした。ついに大変な状況になった。雷が遠くから鳴り出した。急いでコモノまで行こうとなったが時既に遅く、大雨が降り出したがすでに途中で雨宿りする村もなくなった。行くしか無い。しかし大雨の路面はつるつるで全車重が300キロを超える私のバイクは「アリ走法」でしか前に進めなくなった。それでも何度か転倒してしまう。18;00を過ぎ、19:00が過ぎ、20:00になり、それでもコモノに着く事して信じてバイクを移動させる。ついに完全に真っ暗になった。もの凄く恐ろしい。ヘッドライトを消すと何も見えない。雷光だけが一瞬、道の状態を照らす。強い雨、泥道、無数の水たまり渡り、それが真っ暗闇の中でバイクを進めなければならない。途中一度後方から車がやって来て乗せてもらえないか頼んでみるが荷台にそのスペースがない車だったで断られた。皆の体力が限界になるがコモノまではまだ距離がある。そして私達以外の車両は全く通行しなくなった。21;00になった時、マルタンから提案が出た。バイクをこの場に停め、道の脇に緊急の小屋(待避所)を作りそこで一夜を明かそうと。それ以外に選択の余地がないのでそうすることにした。ここでマルタン大活躍!アフリカ人凄い!と思った瞬間だった。私はバイクのヘッドライトで照らす以外、手伝うことが出来なかったがジャングルの中で適当な竹を即座に集め、加工し、柱を作って立て、小屋を造っていく。地面の草を抜き、平にして大きな葉っぱを敷きつめる。屋根は何本か支えを通したあと、屋根かわりにまた大きい葉っぱを重ねていく。作っている最中、雷雨の中、蛍が沢山飛んでいるのに驚いた。残念ながらきれいと思う余裕がなかった(笑) 小屋を完成させるとマルタンは満足げにタバコを一服した。そして二人は中に入り寝出した。私も二人の間に入った時マルタンが動いたはずみで小屋がいきなり倒壊した(笑) もう地面に引いた葉っぱがあるだけで天井もなにもない。無情に天から雷雨が降り注ぐ。空は雷で光り続けている。小屋を作り直す体力は誰も残っていない。私は上半身だけカッパを来ているが二人は持っていないためバイクに入れてあったビニールシートをマルタンに。そして私の小さな折りたたみ傘をキバサと一緒に。もう23;00頃だ。寝ようと思うが寝れない。地面から冷たさが伝わって来る。そしてそれが時間が経つについてどんどん体温を奪っていくことを感じる。アフリカ人は大丈夫なのかと思うが凍えているのがわかった。このままでは朝になった時、みんなか誰かは死んでいるのではないかと本気で思った。しかし疲れ果ててもう何もしたくない。とにかくここまま寝たい。願うのは体温が地表の冷たさに勝ってくれることだけだ。ただ、頭に浮かんで来たのはもし私が死んでしまった場合、日本のニュースで流れる報道や悲しむ家族、仲間の顔。そして絶対に無事に帰ると約束したことを思い起こす。やはり出来ることはしようと思い、最後の力を振り絞り、みんなで体を寄せ合って寝ているところ私だけむくっと起き路上中央に停めっぱなしのバイクに行き、荷物をかき出す。地割れ状態の溝にバイクがはまったままスタンドも出せずに停めていたのでバイクが不安定でいつ倒れるか不安の中、そして雨が降りしきる中、バッグを開けるので雨がどんどん入り込む。手探りと小さい懐中電灯を使って着込めるものを探し、雨の中着込み、そしてカッパの下部を履く。私の来ていたライディングジャケットをマルタンに、バッグの中から取り出したウインドブレーカーをキバサに着させ、さらに寝袋を出して広げ、3人に布団のようにかかるようにした。すべてがぐちゃぐちゃで泥まみれになりながらも少々落ち着き、皆の凍える状態が少しは収まった。ただこの日は早朝の朝食以来、何も食べていない。私の手持ちの水もみんなで回し飲みしてきたのでペットボトルに入っている水はもう残りあと半分。手持ちのビスケットを分け合い、地面に寝転んだままそれを口に運び空腹を凌いだ。おかげで少し眠りに入れそうになったが今度は蚊がスゴイ。全身カッパを着込んでいるで大丈夫だと思っていたら首、顔を狙ってくる。私とキバサはヘルメットかぶって寝ていた。ちなみにヘルメットをかぶった状態で寝ると枕が要らず助かった(笑) そのヘルメットの中に何匹もの蚊が入ってきてもうたまらない!出来る限りももう動きたくないのだが、カッパの下に身につけているウエストバッグに虫除けスプレーを入れていたのでもぞもぞと取りだし顔にかけるとその刺激で顔が痛い(苦笑) 少しは効果があったのか知らないうちに眠りについていた。



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カイでのガソリンスタンド。自分でビール瓶にためてあるものを入れます。アンゴラからこの手のものが多くなった。





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カイの町並み







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今日はコモノを目指す!この道の状況が続けば最高!






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コンゴ人の二人。一緒にいて楽しく、信用出来る人達。





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やはりジャングルだけあって周りには見た事がない形の樹々が覆い茂る。







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コンゴの村の家屋。白っぽい色が特徴的。








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ヤバい・・雲行きが怪しくなって来た。








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相当、暗くなってきてしまった。







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彼らに渡した懐中電灯だけがささやかに光る。








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最後の車に助けを求めるが断られる。








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急遽、待避所を造り始めるマルタン。








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小一時間で完成へ。しかしその後は・・。








【コンゴ】ボワンザ~カイの旅

2011年3月3日(木)


朝、6:00にキバサさんと待ち合わせたので4:45に起きて支度。6時5分前に約束のホテルの前にバイクを停めて準備万端で待つが6:00になり、10分過ぎ、15分過ぎ、来ない。そうこうしているうちに町の人がホテルの前にバイクを停めてまたがったまま動かない私を遠巻きに見ている。話しかけてくる人が一人来て、談笑し始めると一気に人が近くに集まって来た(笑) 私はキバサさんという人と待ち合わせ居るが来ない。誰かその人のこと知らないか・・というジェスチャーをするが皆、知らないという。やっと30分過ぎにキバサさんが来た。アフリカタイムなんだな・・と思っているとガソリンがないから行けないと言う。ガーン、なんだそりゃ・・と思っているとガソリン代をくれたらイケルというのでもちろんガソリン代くらい出すよという話しをしながら、その人は次の町、マディンゴまで私を送ってそれからこのボワンザに戻るという話しをし、そこから私は一人になりドリジーを目指す、という話しの確認をしていると一人の男性、30歳のマルタンが私はキバサのバイクの後ろに乗って、マディンゴまで一緒に行ってさらにいろいろ手伝いをしますというようなことを言っているがよく判らない。ただドリジーまで一緒に行きますというようなことも言っている気がする。急遽、私のバイクと、マルタンを後ろに乗せたキバサのバイクの3人、2台のツーリングとなった。ちなみにキバサは37歳。町を出るまでに彼らはいろいろ寄るところがあり、大体7:30頃ボワンザの町を出発した。結局、昨日、英語の出来るトラック助手が言っていたように地図に乗っていない全く違う道を行き出した。トンでもない裏道ばかり走り、時には人の家の敷地の中も走る。そうしながら巨大で深い水たまりを避けている。地元の人しか絶対に判らない道だ。天気によって道の状況が変わるようで、この道を行き慣れたキバサさんもさらに道を歩く人に確認しながら道をチョイスしている。それでもどうしようもない場合もあり、沢山の深い泥道、深い水たまりを大変な思いをしながら3人で走る。ただここからは一人ではないので気分は超楽で本当に有り難い。転倒しそうな所を支えてくれたり巨大水たまりが来ると先にマルタンが深さを確認に行ってくれる。ただ、路面状況は最悪な状態が続くので本当に疲れる。途中転倒した時に左足をパニアケースにはさみ、ついに捻挫してしまった。また、いつが致命傷になったか記憶にないが昨日の走行で多数転倒したり、その度に渾身の力を振り絞りバイクを起こしたり、転倒を避けるためスゴイ踏ん張り方をしたため、左肋骨を痛め昨日のホテル到着から痛みが続く。バイクから下りるたびに足を引きずる私を見てキバサとマルタンが気遣ってくれる。とても優しい奴らだ。泥道で転倒したため全身泥だらけの私、そして泥道でスタッグ脱出の際、後ろからバイクを押してくれるタイヤから跳ね上がる泥で彼らもひどく衣類が汚れ、川で一緒に洗濯をした。貴重な経験だ(笑) 走行中、方針を決めた。これ以上酷い道を走り続けるのは意味がなくマジで生死に関わる。またオートバイを酷く損傷させこの旅が終わってしまうかもしれない。道案内であるキバサがいなくなるマディンゴから先は腰~胸までの水の深さとも聞いた。マディンゴに着いたら彼らとは別れ、ホテルに入って今日はここで泊まり、明朝ドリジーまで乗せて行ってくれるピックアップ車(4WD車)を探そうと思った。

出発から約6時間ほど走りついにマディンゴに着いた。ホテルを探したいと言ったらマディンゴをよく知るキバサがすぐに一番いいとされるホテルにつれていってくれチェックインし荷物を部屋に運び込んだ。そのホテルの食堂?で、私の決めた方針を伝えると、マルタンが車にバイクを乗せるとバイクが大変なことになるとか数日かかるとかいうので列車に乗せることにした。そしてマルタンが列車に一緒に乗ってドリジーか港町のポワントノワールまで行くという。そしてその列車は今日、今から乗る事が出来るという。結局、このホテルをキャンセルし、すぐに駅に向かいバイクを乗せる準備をした。一時間ほど待っただろうか。ついに列車が来た。列車にバイクを乗せるため、線路を乗り越え、バイクを乗せる場所を探しているとあるコンテナのドアを開けてここだ!ここ!と手招きしている人が居る。そこまで一生懸命移動し、バイクをコンテナに乗せるのを手伝おうとしている大勢の人たちも一緒に大移動している。すると無情にも列車が動きだし発車して行ってしまった。待っていてくれなかった。マルタンがつぶやいた「AFRICA・・」(これがアフリカさ)もうその日の列車はないという。チャンチャン(苦笑) 結局さらにもう一つ先の町まで行こうということになりカイという町まで行くとにした。マディンゴからカイまでだけは悪路ではなかった。一部舗装ですんなり移動出来たが、ここで事件発生。ポリスが後方から来て制止させる。全ての荷物を開けられ、中身を確認し、財布の中身まで見た。トラベラーズチェックを見て現金だと思い込み、これは量が多い、申告違反だ、カイの憲兵署まで連行すると言う。これは小切手だよと言っても意味がわからないらしく聞く耳を持たない。日本大使館に連絡しその警官と話しをしてもらうが拉致が開かず、そのままパスポートとトラベラーズチェックの入った財布を持ったままパトカーを発進させて行ってしまった。結局、マディンゴまでで私の案内を終えて帰るはずだったキバサはカイまでマルタンを乗せていくことになった。カイに着くと辺りは暗くなり始めていた。結局署で話しをする際、トラベラーズチェックのことについて訳がわからないことを言うので再度、日本大使館に連絡をし何度も電話を変わりながらやっと状況が変わったのはこの所長は、トラベラーズチェックをやはり現金だと思い込んでいて、しっかりとそれは現金でないので申告の必要がないということを大使館の人が伝えてくれると署長の表情と態度が変わり、まじまじをトラベラーズチェックをいろんな角度から見て、最終的に全て返却された。ただ最後にデジカメのメモリカードを欲しいからくれという。私の荷物をチェックしている時に日本に撮影データを送るためのメモリカードを見ていたようだ。さらに乾電池も欲しいと。これも旅行代と割り切り、またどんどん時間が遅くなるのは嫌なので中古のメモリだけ渡した。すると機嫌がよくなりホテル探しを一緒に行ってくれ明朝の列車についても手伝うので朝、署までくるといいと言う。あまり気が進まないかマルタンがいるからいいか。またホテルで3人で泊まることになった。ハプニングの連続のツーリングを笑いあいながら夕食を共にした。明日はキバサと別れ私とマルタンはバイクと一緒に列車に乗る。

 


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夜が開けきらない町でキバサさんを待つ。人は沢山歩いている。







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私の助っ人を申し出てくれたマルタン君。日の出と共にスタート。







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バイクはKTM製の108CC。このバイクのことを現地の人は「ジャカルタ」と呼んでいた気がする。





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キバサさん。とっても優しくいつも笑顔とユーモアを絶やさない人。







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途中、休憩した町で。








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マディンゴ駅からバイクを列車に乗せるぞ!








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一生懸命、駆け寄るが・・
ああ、行ってしまった。。







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カイへ行くことに。道は穏やかなグラベル。

もう、夕方。






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憲兵とのやりとりで時間が遅くなり3人で泊まることになったホテルで食事。会話は成り立たないが楽しい仲間になる。



【コンゴ】ロテテ~ボワンザの旅

2011年3月2日(水)


マディンゴを目指しロテテを朝早く起きて出発の準備をする。チェーンの調整をしてから出発。天気がよくない。ずっと曇り空。カラッと晴れることを祈りながら走る。ぬかるみの中、朝一で数回転倒。本当に嫌になる。もう「アリちゃん走り」に徹する(笑)。深砂の時は人が歩くより遅い「カメちゃん走り」でしのいでいたがぬかるみは通用しなくてバイクを倒してしまうため、アリが歩く速度ほどで走る。倒れたバイクを起こしてくれるのを手伝ってくれた人たちがいて、その人に御礼を言って走りだすが、あまりにもゆっくり走行なので徒歩の人に追いつかれる。まれに路面の良いところで引き離して(?)も、眼前に立ちはだかる無数の巨大水たまりが来ると、水たまりの前でバイクを停め、水の深さや、水底の状態、走行ラインを確認したりしているとまた徒歩の村人に追いつかれて笑われる。この道は今までとは違った大変さだ。何度も何度も何度も何度も、深い泥水の中を通る。エンジンが空気を吸い込むエアインテークの位置が私の腰上あたりにあるのでその深さまでは行けそうだと思うがこの走行は本当に、本当に、かなり、辛い。さすがのGSも水陸両用車じゃないんだから!(笑) またこのロテテを出発してマディンゴへ向かう道の大変な道の状態の場所に限って人が歩いていない。村がない。こんなところでバイクを倒したら誰もしばらく助けも来ない。恐怖との戦い。出発前に友人、淳氏からもらった懐中電灯付きホイッスルを用意して深い水の中へ挑んだこともあった。(淳ちゃん、助かってます!(笑))朝、出発してからずっと、ロテテで出会ったドイツ人ライダーの言葉が耳を離れない。「impossible(不可能)」本当にその言葉そのモノだ。もう少し深い水があったらもう一貫の終わりだ。雨も恐ろしい。一昨日は偶然大雨が降った時に泊めてくれる村があったから良かったが見つからない場合のことを考えると不安でしょうがない。酷く、長い、水たまりの連続と泥道をアリ走りで移動していると後ろから轟音とともに巨大トラックがやって来た。沢山の人を荷台に乗せている。道はトラックが通る幅しか無く私をよけて抜いて行くことが出来ない。私が早く走るしかないが出来ない。その私が必死になって前に進もうとしているのを見てトラックから一人降りて来て後ろからバイクを押す。でも今は押されると困る。(苦笑)やっと100mほど進んだ所でその酷い泥道が一旦終わり、その場所が交差点になっていた。そこでは別のトラックが一台、スタッグして動けなくなっていた。そこにトラックから下りている人が数名いて私に話しかける。私が行きたいマディンゴの道の方向を確認していると英語が話せる人が出て来た。その彼は皆が言う方向と違うことを言う。「皆が言う道は酷い道なのでいかない方がいい。反対側へいくとボワンザという町がありそのあたりからマディンゴへ向かう広くて良い道があるのでそっちへ行くといい」と言う。英語の説明を理解したのと「広くて道の状態が良い」との言葉にひかれて英語の彼の言葉を信用しボワンザに向かった。途中、分かれ道で村人がこっちの道のほうがいいよと言うのでそっちにいくが、ボワンサに行く道が全く道が分からない。結局、道を戻り、そのままボワンザ方面に向かうとまあまあのひどさ(笑)でなんとか町へ到着出来た。町に入ったあたりで人に道を尋ねると英語は出来ないがかなりしっかりした感じの男性が親切に話してくれた。ここからマディンゴへ向かう道はないよ。また戻るようだよ。という。かなりショックを受けていると察してくれたのと、私が誰かここからマディンゴまでの道案内をしてくれる人が欲しいと伝えてみると、とりあえず駅まで行こうとなり町の中心地に一緒に行った。まだ正午前だったがさすがに今日は疲れ果てたのでこの町でホテルはあるかと聞くとホテルに案内してくれた。

【HOTEL LE GLOBE 約4500円素泊まり/水シャワー】

この方はムコロさんという方で出会ってから2キロほど徒歩でずっと案内してくれた。御礼のお金を請求するわけでもなくそのままお元気でと言い帰っていった。有り難くで仕方ない。案内されたホテルの部屋は水シャワーだけだったが作りはきれいでホテルのスタッフが皆親切だ。ブラザビルのコンゴに入ってから一切電話が通じなくなった。iPhoneもコンゴはローミングしていないし、DRCで買ったSIMカードもコンゴでも使えると聞いていたのに一切ダメ。インターネットももちろん通じない。このボワンザの町にはインターネットカフェもない。日本への連絡が途絶えて3日目になるので町で国際電話ができるSIMカードを購入した。ホテルスタッフが購入を手伝ってくれた。やっと日本につながり妻に居場所と状況を簡単に伝えて事務局長ごりちゃんにブログの代筆をしてもらう。この先をどうするか考えるが方針がまとまらない。ホテルスタッフが私が到着した時、泥だらけの格好を見てブーツを洗いますよ。と言いきれいにしてくれた。バイクも洗うところがあるからそこまで行きましょうと言ってくれたのでこの先また汚れるのは判っているが整備もしたいので洗車場にバイクを移動させた。洗車場の向かいの椅子に座っていると話しかけてくれる若者(ジョン)が来て私の状況を聞いてくれた。このボワンザまでは巨大水溜まりの深さはヒザくらいだけど、この先マディンゴまでは腰から胸まであるよという。。もう、ダメじゃん!!!(愕然)ドイツ人ライダーの言う通り、乗せていってくれるトラックを探すか、この町からドリジーまで列車が出ているので列車にバイクを乗せるかという話しの相談に乗ってくれた。ジョンの英語は挨拶程度だったので大事な話しの部分になると意思の疎通が困難になる。また列車だとドリジーまで数日かかるとかなんとか言っているが、よく理解出来ない。大きいトラックが来た時、ジョンが走り寄り私のバイクをマディンゴまで乗せてってと頼んでくれた。しかいそのトラックはマディンゴまで行かなかったのでだめだった。私が携帯電話をホテルに取りに一瞬その場を離れて戻るとジョンが嬉しそうな顔をして私と一緒にマディンゴまで行ってくれる人、キバサさんを見つけていてくれたいて紹介してくれた。ただその人もバイクだ。腰までの水の深さはどうする?と聞くと地元のバイク人はその巨大水たまりを避ける道を知っているから大丈夫という。もう彼らを信頼するしかない。翌朝6:00にホテル前でキバサさんと待ち合わせだ。明日の方針が決まったところでバイクをホテルの駐車スペースに戻し夕食をしたいがホテルにレストランがない。道ばたで肉料理を売っている店?小屋?を発見しチキンとポークを買う。約150円。安!パンやライスは売っていかなったのでピーナッツを一山買い、8円くらいと安いがこれは生焼けで食べれなかった。




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願い虚しく、ロテテを出ても益々、道はひどくなるばかり。







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マディンゴに向かうことが出来ず急遽泊まることにしたボワンサのホテル。











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ホテル前の町の風景。ホテルの向かいは列車の駅になっている。

ホテルに入ったとたん、大雨が降った。不幸中の幸い。。




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ホテル前の町の風景。ホテルの向かいは列車の駅になっている。

ホテルに入ったとたん、大雨が降った。不幸中の幸い。。




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ピーナッツはいただけなかったがバナナはまあまあ美味しかった。







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汚れたバイクでもサマになるのがGSの良いところ?・・そんなこと言っている場合ではなかったが(笑)






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世界中、こういう人はどこでもいるんだなと思わせる、かなりファンキーな洗車屋さん。名前は?と聞くと「ジャッキーチェンです」だって。



【コンゴ】キンブング~ロテテの旅

2011年3月1日(火)


明け方4:30頃からニワトリが泣き始めるが6:00まで寝た。起きてすぐ村長さんに一宿一飯のお代を払いたいのでいくらですかと聞くと特にいくらでもいいと思っていたようだがジェンソンを通じて改めて聞いてもらうと6000フラン(約1000円)でいいという。10000フラン渡し深く御礼を言った。霧が出ているが雨ではないので皆さんに別れを告げて出発する。道は無情にもむかるみが相当残り、かなり走りにくい。なんどが転倒した。ヘトヘト状態で走っているとここでもある村人の方がとおり道をしばらくガイドしてくれた。トラックが悪路を走れず道を掘る作業を人工がしている。それを迂回するように教えてくれた。地元民でないと知らない道だ。しばらく行くとポリスストップ。お金かジュースか、何かくれるものないか、と言って来たがキンシャサからブラザビルの国境の人たちに散々とられたから一文無し!という主旨を言うと納得してそれ以上は言ってこなかった(笑) またあまりの泥がバイクのいたるところにつまり一番困るのはタイヤの溝にぎっちり入り込んでしまった部分だ。もうつるつるタイヤで走ってる状態になり転倒しやすかったりホイルスピンがスゴイ。そのポリスストップでタイヤの溝を一本一本取っていると取りやすい枝をポリスを出してくれた。

その後、道で出会ったバイクの男性、プロセファーさんが次の町、ロテテまで言ってくれるという。走っているとオイルの警告灯が点滅!ヤバい・・きっとキンシャサで自分でクラッチ交換をした時に何かミスってオイルが漏れていてオイル量の不足したのかな?と思いバイクを確認するとそのような形跡はない。すぐに原因を突き止めることが出来た。泥がオイルフィルターとオイルクーラー部を完全に覆ってしまって油温が上がっていたのだ。プロセファーさんにはもうおいていかれるかもしれないがバイクを停めて泥を取り除いているとプロセファーさんが戻って来てくれ一緒に泥をお落としてくれた。途中彼の家もみせてもらい連絡先の交換をした。最終的にはロテテで宿を紹介してくれチェックインの手続きを手伝ってくれた。このロテテの町に入った時、コーラーを一緒に飲もうということであるレストランの前にバイクを停車させるといきなり英語で話しかけて来る白人がいた。ドイツ人のヨーロッパから南下してきたライダーで私のルートと完全に逆を行く人だった。いきなり「私のバイクはトラックの上だよ」と訳がわからないことをいう。どういうことか聞いてみるとあまりの悪路でエンジンの中に水が入りどうしようもない状態になっているところでトラックに乗せてもらったという。なんでも腰を超えて自分の胸まである水の中にバイクで入ってしまい水がエンジンに入ってしまったそうだ。なんとまたそのトラックも壊れ、救援を待ってこの町にもう3日間もいるという。また私がいくルートについてアドバイスをくれて、その道は「impossible(不可能)」、トラックを見つけてガボンの国境まで乗せてもらったほうがいいという。私にはアンゴラの道を聞かれたので私の知っていることを伝えた。ロテテの宿に入り、夕食について聞くとここはそういうサービスはないという。町まで自分で行って食べてくるしかないと。英語が話せる男性が私の希望を聞いてくれ町まで夕食を買いにいってくれた!これも本当に有り難い。。ここの宿でいろいろ泥だらけのものを洗わせてもらった。【宿名不明:5000フラン(850円)素泊まり/水シャワーのみ】



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霧の朝、村の人に別れを告げる






DSCF3081 私とバイクを休ませてくれて有り難う。






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こんな深さはもう当たり前。







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これ、道と呼べますか?(笑)











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川ですよ。川。(笑)

これがいくつもいくつも次から次へと登場するのです。。(激辛)

この中をばしゃばしゃとバイクで入って行くのです。深い所でバイクを倒してしまったら・・完全にアウトです。。(恐怖)





【コンゴ】ブラザビル~キンブングの旅

2011年2月28日(月)


本当は350キロほど走りドリジーに到着予定がわずか100キロちょっとで宿を探すことになった。

ブラザビルのホテルで朝食を済ませ街でガソリンを入れドリジーに向かって順調に走る。
道は舗装路で有り難い。街を走るタクシーは全てカラーが統一され日本と同じく認可制度のようで同じ「コンゴ」でもキンシャサのほうのDRCとは雰囲気が全く違う。
人の雰囲気もあちらと比べると幾分穏やかな感じがする。
気持ちよく走行しているとある道の分岐点から未舗装に変わる。
まだ50キロも走っていない。
「もうか・・」(悲)(苦笑)
途中で未舗装になることは想像していたがこんなに早くやって来るとは。。
その場所にポリスストップがありドリジーに向かうと言うと英語の話せる優しい警官が
「私達のような警官のユニフォームを着ていない人がもし停まれといっても無視して通過して下さい。」
やはり今だブラザビル/プール地区には反政府組織の民兵が残っているらしい。
どんどん道は悪くなっていくがアンゴラ~DRCの国境越えの経験に比べるとかなりマシ。
ただあくまでも低速走行は余儀なくされるので目的地へ到着するのに相当時間はかかることが判ってきた。
これは本日中に到着することは不可能だな・・と考えどこか適当な町でホテルかペンションに泊まるようになるのかな・・などど考えながら走っているとポツポツと雨が。
そこまでかなり暑さが厳しかったので少々の雨は歓迎・・などど考えていたら、
ザー!ザー!ザー!!
スゴイ夕立がやって来た。
さらに雷が近くに落ちた!
たまらずどこか避難場所を探しながら走っていると巨大トラックが二台、ある村の敷地に雨宿りのような感じで停まっている。
私もその村の入り口の大きな木の下に入り雨宿り(と言っても雨が強すぎてほとんど気休め程度)しているとどんどん村の人が帰ってきた。
誰も傘をさしていない。
皆さん「ボンジュール」と雨の中、声をかけてくれる。
30分ほどそこにいただろうか。
トラックはパンクか何かでタイヤ交換をしていた。
雨が小雨になった頃、村人がバイクの周りに集まってきた。
残念ながらフランス語が出来ないので会話は出来ないが、なんとなく意思の疎通は出来て友好的なムード。
アフリカの雨は短かく、陽が出ればダートでもまた走り易くなるだろうと思い、雨宿りの村を出ることにした。ただ、もうこの調子では次の町で泊まることになるかなと思い走った。
トラックの人たちも次の町には泊まるところがあり距離もここから4キロくらいだよと言っていたから。
走りだすと、硬かったダートはぬかるみに変わっていてまったくタイヤがグリップしない。
いきなり転倒。
全身泥だらけ。。
「なんだよ!!」
自分にいらだち思わず声が出る。
路面がぬるぬるなのでバイクも起こせない。
そんなところへ向こうから若い地元の村人、男性が二名歩いてきて起こすのを手伝ってくれた。
いつものようにどこから来て、どこまで行くという話しをしていると私が行こうとしている町はまだ相当あるよ4キロどころでないと。
そして空を指差し、すぐに酷い雨がまた降ってきて路面状況ももっと悪くなる、オートバイで走って行ったら大変、絶対さっきの雨宿りした村に戻ってそこに泊めてもらったほうがいいという主旨の内容を伝えてくれた。
そうこう話しているウチに、バケツをひっくり返したような雨が本当に来た!
ぬるついた路面がさらにみるみる悪くなる中、その男性達が手伝ってくれて先ほどの村まで一緒に行ってくれ村長さんに私のことを話してくれた。
私のオートバイを村長さんの家の前に移動するように言われそこに停めると、家に入るように言われた。
家に入ると椅子を出してくれて休ませてくれた。
椅子は家の中に一つしかないらしく私以外の家人の方、7~8名はベッドの上に座っている。
家の人にここに泊まっていいですか?と聞くと、満面の笑顔でいいいですよ!
と言う。
全てジェスチャーだが(笑) 
そしてここでと皆が座っているベッドを指さす。
このベッドで私が寝させてもらうのかな?
でもそうしたら皆さんはどこで寝るのだろう?
と考えた。


iPhoneのフランス語ソフトを使ってみるがその村はフランス語よりも地元の言葉が定着していることと、中には文字はわからない人もいるように感じた。
家の中にいると村の人が次々と私を見に来る。
「日本人が泊まりに来たらしい」という情報が回って皆、珍しいのと挨拶をしにくるのと両方だが皆、親切に受け入れてくれた。
村長さんの家の前に村人が集まる集会所のような小さな小屋がある。
そこに移動して座っていると、村長さんの娘さんスザンヌがブーツや、ライディングパンツを脱いで楽にされたら?という主旨のことを伝えてくれたので着替えさせてもらった。
その小屋でいろんな人が入れ替わりやってきて話す。
英語を話す人が一人も居ないのは少々苦しかったが31歳のしっかりした村の男性、ジェンソンと19歳の女性レグイシュが私が使うiPhoneの翻訳辞書を一生懸命理解しようとしてくれたのでいろいろとお互いの質問をし合った。
とは言っても、名前、家族、年齢、ぐらいだが。
この男性が小屋のいろりで豆ととうもろこしを炒ってものを私に薦めてくれ、これが美味しい!
この村に到着したのは15:30くらい。
それから暗くなるまで小屋で話したり私に一番リラックス出来る椅子で、木で作ったサマーベッドのような形状のものを提供してくれたのでうたた寝もした。
18:00になるとスザンヌが貴方用の夕ご飯ですよと地面に、二つのお皿を置いてくれた。
片方は日本で言えばご飯、「レマニョーク」というおモチのようなものと、「ロゼイ」という見た目、パスタにかけるミートソースのようなものを出してくれた。
味はともかく、食べている最中涙が出た。
人の優しさの骨頂を経験している感じがした。
そしてDRCコンゴの山中の村で出してもらったイモのようなもの、サフー(という名前だと後から判った)を出してくれた。
ここのサフーは味付けが良かったので一個まるごと食べることが出来た。
ほとんどといってもいいほど会話が成り立たないが村人の方々は「ヤマダ、ヤマダ」といって笑ってくれる。ちょっとしてことでウケる。
私が笑えば皆がもっと笑う。
とっても楽しい時間が過ぎる。
私の泥だらけの姿に対しバケツ一杯の水を用意してくれいろいろ洗わせてくれた。
スザンヌが私のブーツの泥まで落としてくれきれいにしてくれた。

そうだ、ここで子供インタビューをしよう!と思い、iPadにいれてあるフランス語バージョンの3つの質問を見せてみるがおそらく識字が良くないらしく意味がわからず、いろいろ伝えてみるが断念した。。

そして辺りが暗くなると小屋の中のたき火とアルコールランプだけの灯りで全てがこなされる。
夜は村の子供達が歌を唄ってくれたり、トランプをしたりした。
私は相変わらずの同じ手品を見せたりカメラで撮影をするととっても喜ぶのでそんなことで喜んでもらうようにする。
日本から持って来たハーモニカはムトンボ神父さんにあげたので吹いて上げることが出来なかった。
20:00頃に私があくびをし始めたのを見て村長さんの指示が出た。
なんと小屋の中に、私のためのベッドルームを作る作業が家人全員で始まった。
まず地面にゴザを敷き、マットレスを置いて、そしてシーツをかけ、小屋の天井からは蚊帳を吊ってくれた。
完成したものを見て私が感動していると皆で拍手をして笑った。
私が蚊帳の中に入り一足先に寝させて頂くことになった。
その隣で、村長さんと1~2名の人が同じ小屋で寝てくれた。
小屋は壁がなく屋根があるだけの基本は屋外なので夜が深まると寒くなる。
それを考えてずっとたき火とアルコールランプを絶やさないでいてくれた。
もう、信じられないもてなしを受けた。素晴らしい村、【キンブング】




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こぎれいなブラザヴィルのホテルだった






DSCF3063 同じコンゴでもこちらにくるとまず目に着いたのがタクシー。ちゃんと同じカラーで統一されている。




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村人は20名だそう。







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家の中で記念撮影。

 





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集会所







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出してくれた夕ご飯。深く感動した瞬間だった。







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塩をかけてサフーを煎る







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テーブルは地面。独特のトランプゲームで最後までルールがわからなかった(笑)







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ベッドは地面。豪華なベッドルームを作ってくれた。







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蚊帳の向こう側に村長さんと数名の方が付き添って寝てくれた。火が絶えないようにたまに起きていたようだ。



【コンゴ共和国】コモノ(代筆)

代筆です。
 
This is on behalf of Tatsuya Yamada.

前回の日記では、カイ(Nkayi)から電車でバイクをルボモまで乗せる予定でしたが、
途中で出会った2人(現地の人か、ライダーかは不明)と相談し、
路面の悪いところを迂回できそうだということで
現在その2人と合計3人で移動しています。
 
As my last diary, I planned to take a train from Nkayi to get to Loubomo, but I consulted with 2 persons who I met on my way (Not sure they are local or riders) and I and the 2 guys are moving together because we seem to be able to bypass the place where a road surface is bad.  

昨夜は豪雨が激しく、途中で走行を断念、初の野宿となりました。
ほかの2人が持っていたテントを設営したのですが、豪雨と強風によって、途中で壊れました。
朝5時に出発し、コモノ(Komono)という街に日本時間の18時頃到着しました。
 
Since it rained so hard last night, we gave up to drive on our way and camped out for the first time.
Other two had tent, so we set those up but it broke because of the hard rain and strong wind.
We started the day at 5am and went toward to Komono. We arrived there at 18:00ish as Japan time.

明日はガボンに向かいます
 
I will go toward to Gabon tomorrow.

WDT事務局が代筆しました~
- WDT Head Office wrote this on behalf of Tatsuya Yamada -

~追記です~
WDT事務局の推測ですが、コモノという町は、カイから北上した地点、直線距離約100km、道のり約150kmの地点と思われます

推定緯度経度 : -3.313276,13.240929  
- Been added -
Although it is the guess of WDT Head Office, towns called Komono are considered to be the point which went north from Nkayi, the distance in a straight line of about 100 km, and a point of about 150 km of distance. 

<Mika Igisu for Tatsuya Yamada>

【コンゴ共和国】カイ(代筆) / [Republic of Congo] Nkayi (Onbehalf of Tatsuya Yamada)

代筆です
カイ(NKAYI)という町に着きました
あまりに道と天気が悪く、バイクで行くことが困難な状況なので
明日朝、列車でドリシーに向かいます
相変わらずインターネットは使えません

This is on behalf of Tatsuya Yamada.
He arrived at Nkayi. 
The road situation and weather is too bad and he cannot drive.
He will go to Dolisie by train tomorrow morning. And there is no internet connection still.

WDTプロジェクト・日本事務局が代筆しました~ 
 
-WDT Project Japan Head Office wrote on behalf of Tatsuya Yamada-  

事務局側で場所を確認してみました
カイ(Nkayi)は、ブラザビルとルボモ(ドリシー)間の
ルボモより1/4の地点です
先日のボアンサからは100kmほどしか進めていないようです
 
We checked the town where he is staying now. 
Nkayi is between Brazzaville and Loubomo (Dolisie) and it is 1/4 point from Loubomo. 
He just moved about 100km from Bouansa. 

推定緯度経度 : -4.181388,13.284702

Presumed latitude longitude  :   -4.181388, 13.284702 


~追記~
この時期(2-4月)のコンゴ共和国周辺は雨季で、月間120mmから180mmの雨量があるそうです  
 
-Been added-
The outskirts of Republic of the Congo of this time (February to April) are the rainy season, and seemingly, there is rainfall from monthly as 120 to 180 mm.


<Mika Igisu for Tatsuya Yamada>

【コンゴ共和国】ボアンサ(代筆)/ [Republic of Congo] Bouansa (On behalf of Tatsuya Yamada)

代筆です
ボアンサという町に無事着きました。
インターネットはつながらないので、また後日アップデートします。

This is on behalf of Tatsuya Yamada.

He arrived at Bouansa safely. There is no internet connection, so he will update later this week.

~WDTプロジェクト・日本事務局が代筆しました~ 

-WDT Project Japan Head Office wrote on behalf of Tatsuya Yamada.-  

事務局側で場所を確認してみましたが
ボアンサ(Bouansa?)はおそらく、ブラザビルとルボモ(ドリシー)の中間地点付近と思われます

We checked the place where he stayed, and Bouansa is probably around between Brazzaville and Dolisie.

<Mika Igisu for Tatsuya Yamada>

 

和光小学校 岐阜市立鶉小学校

世界各国の子どもたちの声をお届けします。

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