2011年3月13日(日)
昨日の土曜日、在ガボン大使館員の古川さんが私の泊まっているホテルまでわざわざ来てくれ、ガボン他、私が今後向かう国について多くの情報を伝えてくださった。またナイジェリアのビザの入国の有効期限が迫っていることが改めて確認出来たので旅の移動を急がねばならない。今日は出来る限りカメルーンに近づきたいのでオイエムに到着出来れば最高!・・と思いながらリーブルヴィルを早朝6:00過ぎに出発。ホテルを出てN1国道に向かう時右側に奇麗な砂浜があることに気付いた。街を離れる日になってのことだ。ここ数日、風景をゆっくり楽しむ余裕がなかったことに改めて気付く。ビフンまでは首都につながる唯一の国道なのにアスファルトが穴ぼこだらけ。注意していないとバイクなら大転倒につながる箇所もいくつもある。多くの車が足回りをやられエンコしてその場で修理、または道端に置き去りにしてある。しかしながら私にとってこのアスファルトの道は極楽そのもの。結果的にこの日は一部未舗装路を含め700キロ弱を一気に走り切り、オイエムを過ぎ、ガボンを抜けカメルーンに入国した。コンゴではこの距離を走るのに一週間かかったが今日は一日だ。まるで親のカタキをとるように(?)アスファルトの道を攻め続けた(笑)。 途中、いくつものポリスストップがあったがガボンの警察や憲兵は一度も私を停めることなく「通過して下さい」と言うだけ。国境も含め、賄賂の請求も一円たりとも無かった。道を走っていると多くの人が素晴らしい笑顔で手を振ってくれる。「Give me money」のジェスチャーではない。トラックの荷台に乗っている人までも素敵な笑顔で挨拶を向こうからしてくれる。ロペ近くの村でコーラを飲んだ時、その店主が「ガボン、セボン(good)」とフランス語のシャレを言っていたが凄く納得する(笑) 道の良さと人の温厚さや、政治情勢の安定性は比例していると肌で感じた旅である。「罪を憎んで人を憎まず」に則って考えれば、アンゴラの途中からDRC(コンゴ民)、コンゴ共まで憲兵、ポリス、国境役人などの賄賂の請求はすごい(酷い)ものがあったが様々な意見、情報を聞く中で納得も出来てくる。彼らはとても低い賃金でその職に着き、有事の際には最前線で活動せねばならない。ほとんどまともな訓練も知識も受けていないという中でだ。一般の方同士でも沢山の人がお金のやり取りをしているのを目にする。ちょっとしたことを頼めばお互いチップの支払いを日常的に行う。だから役人が旅人を見ればお金を持っている人とみなし、経済学的に言えば本能的に税金がわりに徴収してそのまま自分の収益にして収入を確保するという微妙なバランスをとっているようにも思えた。
さて、道の状態が良い事に一気に国境まで行くと、ガボンの出口オフィスで、カルネのスタンプはお押すけど、パスポートの出国スタンプはここから30キロ戻ったビタムという町のイミグレーションでハンコを押してもらわないといけないという。仕方がないので戻ることに。また一つ、国境に関する勉強が出来た(笑)。カメルーン側の国境でパスポートに入国スタンプを押してもらったのが17:30。もう暗くなり始めている。国境過ぎにすぐ村がありホテルらしき看板があり人がいたので聞くと泊まっていけという。そしてその人は警察官でカルネは500m先のジェンダメリーオフィスでというので行くとすでにパジャマ姿になった役人が出て来てハンコを押してくれた。皆とても親切。ホテルはベッドだけがある部屋。
【ホテルEMERAUDE 10000シーファーフラン(1700円)素泊まり】
夕食をお願いすると何が食べたい?と聞くので無難なチキンと答えると、そこの中学生くらいの娘が食材を買いに出ていった。するとチキンがもう無いのでフィッシュでもいいかというのでOKだよと。小一時間ほど待つと魚料理の夕食を出してくれた。何の魚か不明だが(笑)美味しくいただけた。コーラ込みで約1500円。総じてアフリカの食事は比較的高いです。。
辺りが真っ暗になったところで宿の発電機のエンジンが掛かった。部屋の電灯がつく。真夜中になって発電機が停まると共に部屋の電気も使えなくなる。あとは供給されたアルコールランプだけが頼り。風呂も水道も無いが宿を確保出来ただけでも一安心なので熟睡する。
昨日の土曜日、在ガボン大使館員の古川さんが私の泊まっているホテルまでわざわざ来てくれ、ガボン他、私が今後向かう国について多くの情報を伝えてくださった。またナイジェリアのビザの入国の有効期限が迫っていることが改めて確認出来たので旅の移動を急がねばならない。今日は出来る限りカメルーンに近づきたいのでオイエムに到着出来れば最高!・・と思いながらリーブルヴィルを早朝6:00過ぎに出発。ホテルを出てN1国道に向かう時右側に奇麗な砂浜があることに気付いた。街を離れる日になってのことだ。ここ数日、風景をゆっくり楽しむ余裕がなかったことに改めて気付く。ビフンまでは首都につながる唯一の国道なのにアスファルトが穴ぼこだらけ。注意していないとバイクなら大転倒につながる箇所もいくつもある。多くの車が足回りをやられエンコしてその場で修理、または道端に置き去りにしてある。しかしながら私にとってこのアスファルトの道は極楽そのもの。結果的にこの日は一部未舗装路を含め700キロ弱を一気に走り切り、オイエムを過ぎ、ガボンを抜けカメルーンに入国した。コンゴではこの距離を走るのに一週間かかったが今日は一日だ。まるで親のカタキをとるように(?)アスファルトの道を攻め続けた(笑)。 途中、いくつものポリスストップがあったがガボンの警察や憲兵は一度も私を停めることなく「通過して下さい」と言うだけ。国境も含め、賄賂の請求も一円たりとも無かった。道を走っていると多くの人が素晴らしい笑顔で手を振ってくれる。「Give me money」のジェスチャーではない。トラックの荷台に乗っている人までも素敵な笑顔で挨拶を向こうからしてくれる。ロペ近くの村でコーラを飲んだ時、その店主が「ガボン、セボン(good)」とフランス語のシャレを言っていたが凄く納得する(笑) 道の良さと人の温厚さや、政治情勢の安定性は比例していると肌で感じた旅である。「罪を憎んで人を憎まず」に則って考えれば、アンゴラの途中からDRC(コンゴ民)、コンゴ共まで憲兵、ポリス、国境役人などの賄賂の請求はすごい(酷い)ものがあったが様々な意見、情報を聞く中で納得も出来てくる。彼らはとても低い賃金でその職に着き、有事の際には最前線で活動せねばならない。ほとんどまともな訓練も知識も受けていないという中でだ。一般の方同士でも沢山の人がお金のやり取りをしているのを目にする。ちょっとしたことを頼めばお互いチップの支払いを日常的に行う。だから役人が旅人を見ればお金を持っている人とみなし、経済学的に言えば本能的に税金がわりに徴収してそのまま自分の収益にして収入を確保するという微妙なバランスをとっているようにも思えた。
さて、道の状態が良い事に一気に国境まで行くと、ガボンの出口オフィスで、カルネのスタンプはお押すけど、パスポートの出国スタンプはここから30キロ戻ったビタムという町のイミグレーションでハンコを押してもらわないといけないという。仕方がないので戻ることに。また一つ、国境に関する勉強が出来た(笑)。カメルーン側の国境でパスポートに入国スタンプを押してもらったのが17:30。もう暗くなり始めている。国境過ぎにすぐ村がありホテルらしき看板があり人がいたので聞くと泊まっていけという。そしてその人は警察官でカルネは500m先のジェンダメリーオフィスでというので行くとすでにパジャマ姿になった役人が出て来てハンコを押してくれた。皆とても親切。ホテルはベッドだけがある部屋。
【ホテルEMERAUDE 10000シーファーフラン(1700円)素泊まり】
夕食をお願いすると何が食べたい?と聞くので無難なチキンと答えると、そこの中学生くらいの娘が食材を買いに出ていった。するとチキンがもう無いのでフィッシュでもいいかというのでOKだよと。小一時間ほど待つと魚料理の夕食を出してくれた。何の魚か不明だが(笑)美味しくいただけた。コーラ込みで約1500円。総じてアフリカの食事は比較的高いです。。
辺りが真っ暗になったところで宿の発電機のエンジンが掛かった。部屋の電灯がつく。真夜中になって発電機が停まると共に部屋の電気も使えなくなる。あとは供給されたアルコールランプだけが頼り。風呂も水道も無いが宿を確保出来ただけでも一安心なので熟睡する。
ここもいつかゆっくり来てみたい街だ
明け方の海岸線を走る
分岐点になっているビフンという町。もしコンゴでドリジー経由で北上してきたらこの標識でいうと右から来る事になっていた。結構、感動。
ミシュラン地図の赤線が破線になっているところは要注意部分。アンゴラ、コンゴではエライ目にあったところ。
しかしこのガボンではこの通り超~美しい完全舗装路!何を信じればいいの!?(笑)
カメルーンの国境を超えた村。ホテルの看板と経営者で女性警察官でもある。
魚料理と食用バナナ。結構、美味。