2011年5月21日(土)
連日になりつつありますが、ここのところ一カ国にわずか一日の滞在となっています。
今日はモンテネグロからアルバニアへの移動です。ボスニア・ヘルツェゴビナに入ってから寒さが増してきたのでライディングジャケット(ラフ&ロード)にインナージャケットをセットしてあったのですが、南下するにあたって暖かくなった来たため、モンテネグロ出発の際、取り外します。(便利!)
ホテル窓から見たポドゴリッツアの街並。結構、道は奇麗で整理整頓された作りになっています。
奥が大きなモスク。そして手前がカトリックの教会。隣り合わせになっているところがイスラムとカトリックが半々(くらい?)のこのモンテネグロの特色を表しているようです。
町を離れ、国境へ向かうと道を間違ったのかと思うほど何も無いところへ入って行きます。
広大な湿地帯に出ました。素晴らしい景色です☆
【モンテネグロ〜アルバニアの国境】両国とも、パスポートへの押印とバイクの登録証の確認だけで通過です。
アルバニア側に入った途端、道の状態が悪くなります。アフリカ/アンゴラが思い出されました。ウィキペディアによるとアルバニアはヨーロッパ諸国内で最もGDPが低い国家となっています。
しばらく荒れたダート路が続きます。アルバニアは長距離の公共路線バスが存在しないとの情報を目にしたのですが判る気がします。ただ多くは工事中で数年後には良い道が開通するのでしょう。
アフリカからヨーロッパに渡ってからしばらく見てなかった光景を幹線道で再び目にするようになってきました。
干し草を集める方々
藁山盛り積んだリヤカーを引くバイク。・・と思ったら抜きざまに見えたのは馬でした。
おおっ、「オート三輪」!
これはアフリカでも見なかったな〜。この旅、初対面。
私の実家(材木屋)に昔(40年前)あったので大変懐かしかったです。
馬車も増えてきました。
小さな町の道端で、羊やヤギが売買されていました。
足を縛られているので横たわっています。
男性が羊をごろごろひっくり返しながら、品定め(?)していました。
首都ティラナに近付くと完成間近の道が増えてきてこのとおり奇麗です。
首都に入りました!
カラフルな建物が楽しそうです♪
私が泊まったホテルの近辺はおびただしいほどの警官が出ていました。何があるのでしょうか。
白(青?)バイは全てモトグッチ製で珍しいので撮影させてもらいました。警官も皆フレンドリーで愛想最高です☆
町の中心地の広場にあるスカンデルペグ像
この周辺はかなりの大がかりな工事をしておりました。
(左)オペラハウス
(右)旧エンベル・ホッジャ美術館
両方とも落書きが多くちょっと残念でした。
エザム・ベイ・モスク
上記の観光名所は一カ所に集まっており、すぐ近くに公園もあります。
この公園には土曜ということもあり家族連れが多く出ています。
10歳前後の子供を持つ家族を探してみかける度に話してみるのですがかなり苦戦です。。
英語が話せない方が圧倒的に多いのです@@
何人にも声をかけてもだめなのでしまいには、おそらくジプシーの家族と思われる海賊品の物売りの方にまで声をかけるがやはり言葉が通じない。ホテルを出る時、町の地図をもらいながらスタッフにアルバニア人の英語の話せる割合を尋ねた時、比較的若い方が多く話しますよと言っていた。ただ若い方は子供を持っていないからね・・。
そんなこんなでしばらく公園を歩いていると、声を掛けてくれる人がいる。
「May I help you?」イケメンのティーンエイジャーだった。英語が堪能。いきなり「何か困っていますよね?よければ私達が力になりますよ。こっちへ来ませんか?」と言い、5〜6名の仲間がいるテーブルを指差す。どうやら私の行動を見ていたみたいだ(照) そちらへ向かいつつ自己紹介と主旨を話すと、「任せて下さい。ちょうどいい子供呼んできます。通訳も僕がしますよ」なんと素晴らしい若者だろう!!!
結局、彼らの協力のお陰で子供インタビューも大成功だった。少しだけだったが彼らと話しもしてみると高校生〜21歳までの仲良しのグループだった。皆とっても良い顔をしている方々だった。
後悔は彼らの連絡先を聞かなかったことだ。このサイトをみたら連絡をしてもらいたいと思う。
このティラナに来て一番よかった観光地はここ。
ティラナ大学。
でも大学でなくこの前の名前、
「マザー・テレサ スクエア」
私が最も尊敬する「マザー・テレサ」の像があった。
マザーは、アルバニア人だった。
ここで会えて良かった。