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#WORLD DREAM TOURING

“世界の子供の希望と夢を発信します”

Kazakhstan(カザフスタン)

タラズ(カザフスタン)〜ビシュケク(キルギス)の旅


32011年7月 8日(金)
走行距離:290キロ
出発時間:8:20
到着時間:15:00
天候:晴れ
最高気温:35℃


朝チェックアウト時に二泊目の清算をお願いしますという。
一泊目はチェックイン時に支払うシステムでもう払ってあるのでその時と同じ料金と払おうとすると、半額です、と。

何? サービス?

ではなくて、一日目、私がここに到着した時間が21:00と遅かったため、24時間単位で一日と算定し、私は今朝チェックアウトする時間が早いので半額で良いのだとか。

面白い計算。
そしてとても良心的だよねー。
カザフスタンのホテルは全部こうなのかな?


さて、今日はキルギス共和国へ向かうぞ!
こちらも私にとっては100%、未知の国です☆

2工事があちこちで行われていて、写真のようにたまには奇麗な道の区間がありますが、こうところに限ってネズミ取りをしてしているため、ゆっくり走行を余儀なく・・。

舗装路であっても路面はバンピーで立ち乗りです。



4初めて見る小型の霊廟群。
よく見るとまさに墓地。

この後、いくつも見かけました。
この地域の特色なのかな。



5カザフ国境到着です。【Surat】








1ここも多くの人が押し寄せているのに対応窓口が少ない。
とはいっても、成田空港初め、混んでいるイミグレはそう言えばどこも一緒だよね。

イライラしないで待つのがコツ☆

こんな時役立つのがゲーム(照)
自分でも珍しいと思いつつ、スペインのペンティさん(NOKIA重役)に教えてもらいiPhoneに入れた唯一のゲーム(ANGRY Bird)が暇つぶしになっていい。


「我先に」の人が多いため、列になりようがない人だかりの中で20分ほど待った後、私の番が回ってきた。

窓口に行くと、

係官「キルギスのビザは?」

山田「日本人は必要ないんだよ」

係官「あ、そう。OK」

パスポート、バイクの登録証、入国時作成の書類を提出し、パスポートに出国スタンプの押印で終了。



キルギス国境【Kara Balta】

パスポート、バイク登録証を提出。

係官「ビザは?」

山田「え? 日本人だから、ないよ・・」

係官「あ、そう。OK」

・・って、国境係官が知らないって不思議だ(笑)

ということで、パスポートの白ページ部分に入国スタンプを押印して終了。

ほぼ、順調で早かった。

そして、キルギス側国境では、多くの係官が

「Welcome to Kyrgyz!」と笑顔。

うん、キルギス人、いいね!

ここでiPhoneのナビ機能が効かなくなる!
ぎょえー!!!
ここのところ動きがおかしい。
長く続く暑さが影響しているんだろうな。

幸い、ビシュケクまでは完全に一本道。
国境から町までの120キロほどを一度も右/左折することなく街の中心に到着出来た。

6






そして、人に尋ねる事なく目的地のホテルへ到着。
【HOTEL A-CLUB DOSTUK ;7200円】
(アメックスにて手配)

無事チェックインした後、カザフスタンのホテルで出会ったキルギス人ガイドのジャニさんに電話をしてみる。

本当に連絡が取れるか少々不安。

「はい、もしもし^^!」

おお=、日本語で出てくれた(嬉)

「一時間後くらいにホテルに迎えにいきますよ☆」

となり、ロビーで会う事が出来た。

キルギス滞在をお手伝いしてくれるとのこと。

まず向かったのはDHLのオフィス!

日本からブレーキディスクローターを送ってもらっている。
トルコでクラックが入っていたのを発見して以来、ときたま、そーっと見ると、ヒビがどんどん増えてきてた(大汗)

なるべく見ないようにしていた。

今まで日本からの荷物の受け取りについて苦労してきたのでここでも本当に受け取れるか不安・・。

写真運転している方が、ジャニさん。

カンペイちゃんのアースマラソンのホームページにも載っていましたねー。



DHLオフィスに到着し、担当者を訪ね名前を告げてパスポートを渡すと、
すぐさま、黄色い箱を出してくれた!

おお!日本のFUKUDAモーターの大津さんが送ってくれたもの! 間違い無い!

ほーーーーーーーーーーーっ。(←相当、安心)

その次は、タイヤ交換のため業者へ。

キルギス以降、悪路が予想される部分がある。
次の中国へ渡る際に下記のルートを通らねばならない。

 ナルイン(キルギス)
  ↓
 天山山脈トルガルト峠(標高4000m超)←3700m超えでした。
  ↓
 カシュガル(新疆ウイグル自治区)

そして、中国後のモンゴルの道を想定してオフロード仕様のタイヤに換える。



7前後とも交換。

フロントタイヤ交換時に、一緒にブレーキローターも交換。

同時に出来て良かった。


8四輪用のタイヤチェンジャーしか無いんだけど・・と業者さん、ちょっと不安そうだったけど、全然使えた。
私のバイクのホイールは太いからね。

全くバイクが走ってない町なのでとっても珍しそうに作業をしてくれた。


9店員と近所の人と記念撮影






タイヤ組み替え工賃:200ソム(360円)


とりあえず今日のところはここまで・・ということでジャニさんと一緒に夕食に行く。

10オススメをお願いします、と言うと、
絵に描いたような私が好みのものが!

手打ち麺の上に、ビーフシチューの具のようなものを乗せて食べるキルギスの代表的料理。

おわっ!うっま=!!☆
前菜、飲み物(大)込みで640円。

明日は、ジャニさんが郊外観光に連れて行ってくれることになり、帰りにいくつかの村々を廻って子供インタビューもしましょう! ということになりました☆

めちゃ、楽しみです!

【カザフスタン】タラズ滞在/子供インタビュー

8






2011年7月 7日(木)

私の部屋のすぐ下が駐車場になっていて正面に私のバイクが見える。
朝、外が騒がしいのでカーテンを開けると、ジャニさん率いる日本人グループが私のバイクを取り囲んで撮影もされている。
ジャニさんによると皆様ご高齢で三蔵法師が歩いたシルクロードを見るツアーの参加者とのです。

1こんなところに日本人のバイクがあって、さぞ驚かれたでしょうね。


皆様も良いご旅行を♪




子供インタビューのチャンスを伺うのと観光を兼ねて町を散策します。
それにしてもあっつうー!!

22-13タラズは人口30万人余りの美しく整備された静かで平和な町です。




4カラカハン・モスク・ミュージアム

この時はムスリム(イスラム教徒)の方しか入れないようでした。




5長っ!

このような車が、イッパイ走ってて怖い。

そのうち突き刺さるんじゃないかといつもヒヤヒヤしとります。


6街中には沢山のヒーロー像が立っていますが、全部、カザフ語のため全く誰なのか判りません。。





7バス停を撮影していると数名の男子高校生?が私を見て笑っている。

日本人そのものも珍しいみたい。






だいぶ歩いて子供や子供連れの方に声をかけてみるが、英語がまったくNG.
前夜のジャニさんのアドバイス通り、ホテル内に併設されている旅行会社のオフィスに行って相談すると、二つ返事で協力を承諾してくれた。
なんというホスピタリティ!


9勤務終了後、一緒に子供インタビューを手伝ってくれた、ズルフィアさん。
つい先月、大学を卒業したての23歳タラズ出身の女性。
東方神起が大好きで日本のことをよく知っていました。




1011






公園、プライベートスクール含め、一緒にあちこち廻ってくれたお陰で良い映像を撮ることが出来ました。
有難う、ズルフィアさん^^!
ホテル近くまで戻ったところでズルフィアさんと別れ、近くのレストランで一人で夕食を済ませる。
スープヌードル、目玉焼き、飲み物で290円。

ホテルの駐車場に行くと、昨日の夜、見かけ朝いなくなっていたバイク軍団が再び停まっている。
どこか日中のツーリングに行かれていたようだ。
私も時間があったらご一緒したかったな。

12全部、ヤマハ車。
スイスから来ているご一行様。

ちらっと見かけたところ皆さん50〜60代のようでした。



13サポートカーが付いているツーリング企画なんですね。

重い荷物やスペアパーツなどは車に積み、ガイドさんもいれば、安心して野山を駆け巡ることも出来るんだよな〜。
そんな旅もまた楽しそう♪


早くも明朝にはカザフスタンを離れることになり、ほとんどどこも見てないに等しいこの国の旅は終わります。
ただ私はこの旅の第一優先にしている子供インタビューが出来た事で安堵と喜びで一杯です。

子供インタビューは意外な答えと、納得の答えの両方がありましたねー。
少々残念に思ったことは日本のことを知る子供は全く居なかったことです。
でも、そうですよね。
ズルフィアさんと話している時、

「カザフスタンのことについてどんなことを知っていますか?」

と聞かれ、大人の私が何も答えられなかったわけですから。

カザフスタンもこの近隣諸国と同じく1991年に旧ソ連から独立を果たした国ですが、とっても景気が良く(レアメタルなどの天然資源が豊富)、多くの国民は政府を大変信頼し、満足していることを教えてくれました。

あと、日中、テンゲを下ろすために銀行へ行った時の事。
カザフスタンではホテルを含め、ほとんどクレジットカードもドルも使えません。
ガソリンスタンドや、レストラン、商店でもテンゲが必要となります。

ATMの操作を手伝ってくれた若い銀行員の女性が別れ際に、わざわざ私が行く足を止めさせてまでかけてきた言葉があります。






「I pray for JAPAN.」(日本の復興を願っています)


タシュケント(ウズベキスタン)〜タラズ(カザフスタン)の旅


no title






2011年7月 6日(水)
走行距離:500キロ
出発時間:8:15
到着時間:21:00
天候:晴れ
最高気温:41.5℃



写真 1出発前夜、24時近くにロビーにいると突然の大音響!

外に出るとウズベキスタン民舞ショーが始まっている@@
夜遅く到着した団体客向けみたいでお陰でいいものが見れた☆



女性の動きは激しくかつ妖艶で、男性はカンペイちゃんそのものだった(笑)


朝、数名のホテルスタッフ、タクシードライバーに見送られながら出発。

1まずはスタンドでガソリン給油。

リッターあたり57円。
激安だったトルクメニスタンほどでないが有り難い。



手持ちのウズベキスタンの有り金全部渡したら22ℓ入れてくれた。
・・タラズまで持つよな。


ホテルから15キロほど走ると、国境に着く・・のだが、近付いて行くとすれ違う人がしきりに「ダメダメ」のジェスチャーを送ってくる。
何だか判んないので行ける所までいくと、車道はゲートで閉ざされ行き止まりになっている。

バイクを停めると一気に人が集まってくる。
何?何?何〜??・・というほど(笑)
子供がバイクを勝手に触る。アクセルを回そうとしたり、タイヤを触ったり、ナビやiPhoneを覗き込んだり、パニアケースをコンコン叩いたり。
ここは特にスゴイなー。俺ってパンダか?(笑)

英語を話す人が全くいないので困ったが一生懸命伝えてくれていることを聞くと、ここの国境は徒歩者専用で車両は通過出来ないとのこと。

なぬー!

ということでじゃあ、どこで?となるのだが、

「CHINOZ!」「CHINOZ!」と言っている。

iPhoneの地図で教えてもらうと、このチノズは結構遠い。

結局、チノズまで約100キロあった。

この国境を渡れば、カザフのタラズまで一直線なのに。。たはー。

判り易く言うと、東京から下道で浜松まで行きたいのに、246号線の多摩川を渡れなくて、群馬県高崎を経由してまた川崎まで戻って浜松まで向かうようなもの(あれ、判りにくい?)

そして、チノズへ向かう幹線道は朝の大渋滞。。

さらに、道はよくないので飛ばせない。

にも関わらず、またまた、スピード違反で捕まる!!!!
1−1スピードガンを私に見せるが、何の数字か全く分からない。
判らない旨を私も一生懸命主張していると、

「もう行って良いよ」と。

ほっ。

やっとチノズの国境へ到着。
最初のゲートで係官が、

「パスポート」という。

ほいよ、と出すと。

こっちへ来てと、小屋の中に入るように言われる。

すると

「5ダラー」と指を5本出して、お金を請求。

「何の金?」と聞くと通行料金、というようなジェスチャー。

そして今度は「5ユーロ」「10ダラー」と言い換える。

は?何?お前なに言ってんの? 

と思うがその金を払わないと通さないという姿勢。

レシートをくれるのか?と聞くと、発行するという。

とりあえず、5ドルを出すと、

そこらのハガキの裏に、何か書いている。

全然正式なレシートでなく、ただの賄賂請求だと判ったのでいろいろごねてみる。

向こうも引かない。
そしてやっぱり5ドルでいいとディスカウントしてきた(笑)
じゃあ、このメモでいいから5ドルと書いて、自分の名前を書くよう要求する。

「What is your name?」 と聞くと、

「NO name、NO name」と。名前が無いって・・あほかこいつ(笑)

絶対にレシートを書いて自分の名前を署名するよう言い続けると、

諦めたようで私に5ドルを返し、

「もう行って良いよ」と。

ここまでとっても良いウズベキスタンのイメージが少々崩れて残念だったけど、笑ってすまそう!
こんにゃろ!(笑)


ウズベキ側国境到着!【CHINOZ】
バイクの登録許可証、入国時の書類提出、積載荷物確認、パスポート押印、もろもろで約1時間で通過。

カザフスタン国境【Kara tepe】※一時間の時差(また日本と一時間縮まった!)
窓口をいくつか廻った末、最後にパスポートのスタンプを押してもらう窓口では係員が昼食のため不在。戻るまで待つ。

写真 2こういう空白の時間を無駄と思わず、満喫しようとも思う。

窓口の前の床に座り込み、削れたブーツの先を見る。





待っている間、外の兵士と談笑も。
国境での作業は頻雑で長くかかるが基本的に皆、親切かつフレンドリー。
カザフスタン人も楽しそうだぞ♪
そして顔つきが、どんどんアジア系になってくるのが判る。

21時間半ほどの後、カザフスタン国境を抜けた所。






ここで、闇両替屋がいる。
今までほぼこの両替に関してはボラレたことがなかったので向こうの言い値で20ドル分だけカザフスタン通貨(KZT:テンゲ)に変える。

後で調べたら、約半額だった。。やられた。っていうかちゃんと確認しろよな→自分。くっそー。


時差の影響もありもう14:30。ここからが長い。。
急がないと日が暮れる。
でも道とスピード違反に気をつけよう。


とおもっていたら、またスピード違反で捕まった!!!!!

今日だけで二回目。
なんだっつーんだよ、もう。。


ポリスの制止に応え、急ブレーキ!
路面のミューが低いためフロントがロック気味になりタイヤが鳴く。
ABS搭載車のためこんな時も心強い。

さてカザフスタンポリスが近付いてくる。

どんなおとがめがあるやら。。

ポ「あんた、スピード違反だよ」

山「はいはい」

すると、いきなり、指をこねる仕草(マネーの合図)をしてお金を払えば許すと
ものスゴイ直球で賄賂の要求。(笑)

そして、私のバイクの左のミラーに指で、数字を書いている。

100ドルと見える。

「なにー!!!」ということで、怒りのポーズ。

取り締まりの写真を撮ったというのでそれを見せるようにいうことと、
何キロの制限速度を私が何キロ出していたのかちゃんと証拠は?と
英語と、日本語と交えて強く言い、
さらには旅行者をいじめるな、カザフスタンのポリスは良いヤツか?と続けるが、
それでも、「マネー」と言うので、
電話を出して、「日本大使館に電話する」というと、

「もう行って良いよ」と。

いやはや、小遣い稼ぎのための取り締まりなのか、事故防止を目的にした彼らなりのやり方ではあるのか。
恐らく両方だろう。
まあ、郷に入れば郷ひろみというからカザフスタンに嫌な思いを持たずにそのまま先を急ぎタラズを目指す。

2−1食事をとっている時間もないが何か食べないと思い、休憩をかねて何か売っている所で停車。

スイカとメロンだった。



スイカはデカくて食べきれないし、バイクで運べないので以前のトルクメニスタンの時と同じようにメロンを買う。200テンゲ(100円)

あまりにも暑いのでそこに一軒だけ立っている民家の陰に座り、
手持ちのサバイバルナイフで真っ二つに割って、中の種を捨ててはぐはぐ食べる。
40℃越えの気温の地面に置いてあったものなので、ゆでメロンだ(笑)

 
「スプーンを貸そうか?」
中にいた民家の住人がナイフであぶなっかしく?食べてる私を見て声をかけて来た。

3カザフ語・・全く判らないが、いつものようにどこから来て、どこへ向かい、お互いの名前を伝え合うことは出来る。

ダルジャンさん。



3−13−2奥さんも出て来て家の中を見せてもらった。

お茶を勧めてくれたが先を急ぐため丁重に断る。




1子供の髪型が特徴的だったな〜。







カザフスタン、ひたすら大草原!!

4-2この暑さの中、遠くの山の頂きに雪が積もるコントラストがいと楽し。



そして、ずーっと草原。。


延々と続く40℃超えの暑さはヤバい。
意識朦朧になってきたのか眠気がすごい。。
走りながら、夢を何度か見てしまった(笑) 
路面の突き上げでハンドルから手が外れそうになり目が覚める。
あぶねー!

休憩しないと思うがなかなか日陰が無い。

4やっと見つけた工事中でこの日は誰もいないガソリンスタンドで5分ほど寝る。

激アツなんだけど、超乾燥しているため汗はそれほどかかないんだよね。





5完全なる西日を背に走る。

東へ、東へと向かっている。

気がつくと、ユーラシア大陸をちょうど半分走ってきた。


この先、キルギス、中国、モンゴル、ロシア、とさらに大自然の中の旅を往く。


7本当に日が暮れてしまった。
この時点でもう20時くらい。
アフリカと違って精神的には楽ではあるけど。




カザフの大草原に沈みいく夕日はまた美しい!・・がさすがに疲れてあまり喜んでない俺。。

でも、バイクを運転していることは気持ち良くってまだまだイケルっていつも思う。
ホント、生まれもってのバイク馬鹿か?


・・やっと、ホテルに到着〜。
【HOTEL Zhambyl 12000KZT(6600円)】
(アメックスが手配してくれました)

気持ちのよいホテルスタッフに迎えられたことが疲れを癒してくれる☆
早速シャワーを浴びて、ウズベキスタンの朝食以来の食事のためホテル併設のレストランに。
この時点でもう22:00近く。

レストランに入ると、打ち合わせをしている男性二人がいて通り過ぎる時、日本語が聞こえる。

え?日本語?と思わず、

「日本からですか?」と聞くと、そうと答えられた。

この旅では日本人と出会う事がとっても少なかったのに、ウズベキスタン以降急に日本人だらけになった(笑) 
シルクロードブーム?

その後は、一人になったレストランで遅い夕食をとる。

温かいスープを胃に一気に流し込んでいく。
疲れた身体が急激に回復していくのが判る。
私の健康の秘訣であるサプリをとっていると精神的にも安心。

メインディッシュに選んだラムが運ばれてきたところで先ほどの日本人の一人がやって来た。

男性「座って話して良いですか?」

山田「もちろん!嬉しいですよ」


話すと、彼はなんと日本人でなく完全なキルギス人だった!(ジャニーさん)
日本語がめちゃくちゃ上手で、やや栃木、茨城方面?と思ったほど(笑)
私より語彙もある。(恥)
ってか、日本語を半年話していないと日本語が下手になってることに気付く。

また彼の顔つきが日本に多く居るタイプ。
しみじみ、同じアジア人なんだなあ、と感じる。

とてもまじめでかつ、スマートな彼で、いろいろお互いのことを話した。
なんと彼も、カンペイちゃんのアースマラソンのサポートをされてカザフスタン担当だったそう(笑)

関係ないけど、カンペイちゃんって良い人だよね。
一度だけリアルで話したことがあって、とは言っても九州へ出張に行った飛行機の中で向こうから

「出張? 大変やなー、頑張りーやっ!」って。

その時の優しい印象が強いのでとってもカンペイちゃんは好きです。

そして、ジャニさんは現地のガイドの方で、私がキルギスの宿の情報が少なく困っていることを知ると、私が全てやりますよと言って下さる!
なんといつも奇跡的な出会いが起こることか。。


8ここタラズの町でもう一泊して早くもカザフスタン滞在は終了です。

ここはほとんど英語を話す方が少ないと教えてくれました。
明日は子供インタビューが出来るか、不安ですがガンバろっと!




【ウズベキスタン】サマルカンド〜タシュケントの旅

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2011年7月5日(火)

移動距離:290キロ
天候:晴れ
最高気温:37℃
出発時間:8:15
到着時間:13:30
総走行距離(ODD):40200キロ


1-1本日の走行中、バイクの総走行距離が40000キロを指した。






新車から2000キロほど乗った時点で船でアフリカにバイクを運んだのでこの旅自体は38000キロほど。
直線であれば地球を一周した距離だ。

考えてみると一台のバイクでこれだけの距離を乗ったのは初めてだな。
車なら20代のころ、20万キロ近く乗ったけど。
全日本のサーキットをずーっと転戦したのと、自分のビジネスを立ち上げる時、車の中で暮らした日産ホーミーが懐かしい。


シルクロードの幹線道を走っていると、突然、黄色い?声が後方から車の音と共に
聞こえてくる!

1ブハラから同じホテルの白石さん、西田さん、そしてガイドのシュンコルさんの車だ!

ご声援、嬉しい=!(笑)

新車のヒュンダイでVIP待遇のご旅行です☆

車のペースで走ると人車共にダメージが多いのでついては行きません。



出発から、4時間ほど、37℃ほどの気温の中ノンストップだったので休憩を入れる。
暑さが凄いため、ジュースや水売りが道の傍らに沢山。

2その一つに停まり涼みながら水分を補給していると、どんどん子供が集まってくる。
誰も英語は話さないが、ロシア語は話す。
そう、ここウズベキスタンはロシア語を話す人が非常に多い。



途中、道に迷いかけながらも順調に首都タシュケントに到着。
なんか、見た事ある景色のようだ。
デジャブじゃなくて、東京の中心、皇居周りにそっくり!
3






4さしづめここは日比谷公園みたい。






5シュンコルさんが手配してくれたホテルは何と、こんなに立派なホテル!!
いつもの行きあたりバッタリならここはチョイスしなかっただろうな。
飛び込みで入ったら$100以上はするそう。




【ホテル ウズベキスタン(そのまんま(笑))$60】
部屋もスイートっぽく素晴らしい! 有難うございます!
ちなみにシュンコルさんの旅行会社はウズベキスタンのマルコポーロという名前でした。

バイクにもう一度乗り、市内を廻ることに。
6ワールドウォーⅡメモリアル公園にある長ーい噴水。
市民の憩いの場として多くの方が涼みに来ている。





7突然、道端に水着姿の男性群が沢山いる。
何かと思ったら、橋からお堀に飛び込んでいた。





8阪神、優勝ですか?

暑いからね。









9ここは日比谷通りに似ていて、






10こちらは千鳥ヶ淵といったところでしょうか。






11街の中心地でエンコした車をみんなで協力して押す。
昔の日本もこうだったんだろうな。。





12ここは高島平団地に似ていた。
(すべて東京の例でゴメンナサイ)





13タシュケント駅。
駅近くに中華料理屋があるよと聞き向かう。





14いやー、いつぶりかな・・。
下手すると、アフリカのモーリタニア以来?





15ラーメン(とは書いてないけどね)と餃子+飲み物で13500スム(660円)

ちょー、嬉しかった☆




ホテルに戻りロビーでインターネット作業をしていると、
こちらもブハラから同じホテルのもう一組の日本人グループの方に会う。
写真
市村さん、中島さん。そしてガイドのトルキンさん。
ちなみにトルキンさんは間寛平ちゃんのアースマラソンをウズベキスタン走破中の20日間ずっと一緒だったんですって。





日本人だけでなく、全ての旅行客、いや、ウズベキスタン人同士でもお互いに思いやりと、もてなしの心を強く持って接するという愛すべきウズベク人。

彼らの人柄から貴重な影響を受け、ウズベキスタンの旅もかけがえのないものになりました。

明日は国境を越え、カザフスタンへ向かいます。
和光小学校 岐阜市立鶉小学校

世界各国の子どもたちの声をお届けします。

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