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#WORLD DREAM TOURING

“世界の子供の希望と夢を発信します”

Kyrgyz(キルギス)

ナルイン(キルギス)~カシュガル(中国)の旅

※リアルタイムでは現在、中国に入国しカシュガル(新疆ウイグル自治区)に滞在しております。
ここではインターネット規制の影響で画像がアップ出来ません。画像は後ほど掲載します。
イラン、トルクメニスタンと同様、フェースブック、ツイッターが閲覧不可です。
私へのメッセージは trp@jp.bigplanet.com(直メ)までお願いします。

ただし現在のところ、私のプロバイダー(ニフティ)経由ではメールの受信は出来ますが返信が出来ない状況です。ご了承頂ければ幸いです。



ナルイン(キルギス)~カシュガル(中国)の旅


2011年7月12日(火)

移動距離:378キロ

現地出発時間:8:00

現地到着時間:19:30(時差+2時間)

最高気温:34℃

最低気温:12.5℃


キルギス最後の山中の町、ナルインを離れ中国へ向かいます。

さあ、アジア最大の難所のトルガルト峠を無事越えられるか!


中国側で待つガイドさんと会うため12:00に峠に到着する必要があるので早めに出発します。

宿の朝食時間は8:00だったものを7時に早めてもらいました。

朝食はナンの他に、牛乳を使ったお粥、チーズ、バター、ヨーグルト、など土地柄、乳製品が沢山テーブルに並びます。

チェックアウト時に請求された金額は、800ソム(1400円)でした。

安くて感謝です!


宿を出て数キロ走るとすぐにダートに変わりました。

行き交う車がすごい土埃をあげてはしるのでたまらない。

キルギスで出会ったジャニさんが「マスクをして行ったほうが良いかも」との言葉に従い停車して装着。


大正解。


1-1トルガルト峠まで200キロある中、舗装部分は少なく中国間を行き交う大型トラックは多く、バイクが真っ白になるほど。





1延々とダート路のA365号線を上り続けます。

途中、長い範囲にわたり工事が進められています。ナルインからトルガルト峠まで全面舗装が終わるのは20年後くらいだろう。



時折、かなり大きい凸凹があり、深いところに入ってしまうとあわや転倒です。


二回ほど地面からバイクが離れるほどの大ジャーンプ!!をして危なかったです。


住む人も極めて少なく、交通量が極端に少ないこの場所で転んだら助けは来ません。

アクセルを緩めるしかありません。
 

もしペースが早く、到着時簡に余裕が出来れば、天山山脈をバックに沢山の撮影が出来たのに・・。

もっと早く宿を出発すべきだったと後悔と反省。


24目の前には行く手を阻むように天山山脈がそびえています。






3標高3500m地点まで来ると残雪の山々を真横に見て走ります。






6出発から3時間半走ったところでやっとキルギス国境オフィスに到着です。

冷たい風が吹き荒む敷地内には、国境係員の兵士達だけが数名立っています。




中には真冬仕様の迷彩ジャンパーを着込む姿も見える。

パソコンの調子が悪いとのことで時間はかかったが、作業はいたって簡単。

バイクの登録証を要求されることもなく、パスポートのみ出して、押印して終わり。
 

789トルガルト峠の最高地点に12:00ジャストに到着。

GPSでは標高3741キロを指し気温は12.5℃です。


寒さ、高山病の影響はほとんどありません。

昨日ナルインへ向かって山を登って来た時のほうが頭が痛かったな。


10トルガルト峠を数キロ下りて行くと中国検問ゲートへ到着。

(国境オフィスではない。)




中国国内の走行をサポートしてくれるガイドさんグループがそこで待っててくれた。

※トルクメニスタン同様、中国も外国人が自分の車両を持ち込んで走行する場合、現地旅行社車両の伴走が必要。


1120日間共に行動する方です。






12通訳/ガイドを務めてくれる27歳のジェレンタさんは、

「私はモンゴル族なので名前だけです。」(苗字がない)と自己紹介。




お腹が空いたでしょうと、用意してくれたナンを渡してくれるとき、


「これはなんですか? これはナンです。へへ。」


・・一人突っ込みのボケをいきなりかまします。

長期間、共にする方なのでどんな方が来るのだろうとやや不安でしたがとっても救われました。(笑)
やっぱり笑いって大切^^ 


13そして1500キロ離れたウルムチから二日かけて来てくれた旅行社の宋社長は、作家で冒険家の戸井十月さんをはじめ、数々の方の中国走行をサポートされたその道のエキスパート。

大変、心強いです。



14中国へ入ると今までとガラリと雰囲気を変え驚きの連続です!

通常、ある程度のグラデーション的なところがあったが、ここは一気に違ってきます。




15まず道路標識。

漢字表記が身近で良い、というものあるが、それ以上に大きく、明確で、英語表示も多いのが結構、意外。



そして、道がいい!!今までの旧ソ連諸国の悪い道を走ってきたため余計感じる。

アフリカを走っていた時、道路の技術輸出のために駐在していた中国人を現地で沢山見かけたことが納得できる。


16山の雰囲気も全く変わった。

あれだけ山腹に緑が豊富にあり、牧畜が見られたものがまったくなくなり、険しい山肌が迫り来る岩山だらけに。 




17−1数十キロ走り、中国国境オフィスへ到着。

空港のような作りで、大きく、新しく、導入されている機械もシステムも先進的。

中国が急速に先進国へ向かっていることを肌で感じる。



17トルガルト峠から数えると180キロほど走ると、カシュガルの街に入ってきた。

きれいに整備された街は想像以上だった。

10年近く前に来た時の中国と全く違っている。
 

車も新しく良い車が多い。自転車が少くなった代わりにバイクが多い!


18そして最も驚いたこととして、なんと全てのバイクが電気式!!!

全然、音がしない!!

基本的に、ガソリン車のバイクは街中は乗り入れ禁止とのこと。

(私は許可を得て入ることが出来ています)


電気式バイクの導入が中国国内で最も進んでいるのはこのカシュガルなんですって!

19これも電動!(驚)



 


交差点の信号も新しくて著しい進歩だなーと思っていると、信号無視する人はメチャ多い(笑)


本日の事件?発生!(笑)

宿泊先ホテルに到着するもバイクを停める駐車場がないと言う。

駐車場がホテル裏にあるが、明日の朝にはバイクがなくなっている可能性が高いと。。

ホテルスタッフがロビー内に駐車することを提案してくる@@
20






 


ちょっと想像してみてもらっていいですか?


例えば、新宿ヒルトンホテルのロビーにバイクを入れて駐車ですよ。(笑)


で、ロビーの中に入れるというのはいいのだが幅の広い私のバイクを入れられる入り口がない。


この回転ドアから入れようという。


山「は?絶対、無理、無理!!」


ホ「いや、出来る!!」


山「まじ~?!」


入れました。(笑)


22・・もう、ガラスごりごり、めりめり、回転ドアの中で、数人がかりでバイクをずらしながら入れました・・。





もう、信じられん!!(笑) 

でも、Never give upの精神を見せてもらいました。


部屋へ大荷物を運び込みシャワーを浴びた後、3人で食事へ。

2324ついに本場の中華料理にありつけました!嬉しい~!!

今日は四川料理で辛っー!でも激ウマ☆




日本語が出来るきさくなガイド君、日本人を沢山サポートしてきた宋社長。

そしてご飯が主食として用意される食事の場所。

そんなここ中国は今までの旅の中で一段と落ち着く場所として過ごすことが出来そうです。


アフリカ~ヨーロッパ~中東~中央アジアを通過し辿り着いた大国中国。

改めて日本とお隣の国。

同じ人種であることを早くも一日目で肌で感じさせてくれる。22-1

【キルギス】プルジェバリスク~ナルインの旅

※リアルタイムでは現在、中国に入国しカシュガル(新疆ウイグル自治区)に滞在しております。
ここではインターネット規制の影響で画像がアップ出来ません。画像は後ほど掲載します。
イラン、トルクメニスタンと同様、フェースブック、ツイッターが閲覧不可です。
現在、私のプロバイダー(ニフティ)経由ではメールの受信は出来ますが返信が出来ない状況です。
読みにくいブログになり申し訳ありません。

no title
【キルギス】プルジェバリスク~ナルインの旅





2011年7月11日(月)

移動距離:410キロ

出発時間:8:30

到着時間:16:15

天候:晴れ一時雨

最高気温:27℃

最低気温:16℃



キルギス国内、最後の移動はイシク・クル湖一周の残り半分を通ってナルインへ向かいます。


1-1干し草を車幅の倍(!)ほど積む70年代の車と数回すれ違いながら、湖岸線をひた走ります。




3残雪が見える4000m超えのキルギスアラトー山脈に囲まれ、高い標高に位置する湖は息を呑むほどの澄み切る青さ。




6時折、浜辺に湖水浴をしている家族連れを見かけますが、気温計は20℃ほどで寒いはず。
思い出したのは、この湖では湖底から温泉がわいていると噂があるほど一年通して水温が高いそう。
避暑と水辺の遊びを兼ねることが出来る最高の場所です。

1-21幹線道から浜辺まで下りてエンジンを切ると、聞こえるのは小さく寄せる波の音だけ。





2湖水を舐めてみる。
僅かに塩気を感じた。

そして、なんと遺跡の味もした。

嘘です。しませんって。






さて、イシククル湖を離れてからが長かった。。

7大小の峠をいくつか越えてナルインに向かいます。






8途中、未舗装路も出始め、いよいよ天山山脈へ近付いているのだと実感します。




途中からぐっと気温も下がり、一時雨にも降られます。
やはり山の天気は変わりやすいんだなとも。
明日のトルガルト峠がちょっと心配になってきた。。

9本日の最高地点は3000mを超えたところに到達です。

富士山8合目と同じくらいでしょうか。





10真夏なのに山頂が白い4000mの山がかなり近くに見えます。






この峠を越えると見所が一気に増えてきた。


11まず馬に乗る羊飼いの少年に出会います。

この子から自分の家に遊びに来るよう何度も誘われました。





12放牧民のテント住居、ユルタに住んでいます。

とっても残念でしたが先を急ぐため寄れなかった・・。
またのチャンスを願おう。 




遠くに道が黒っぽい陰で寸断されているように見える。
少し進むと羊の群れが完全に道を覆っているのだとわかった。

近付いて行くと、道の真ん中が、カーテンが開くように羊の群れが両側に分かれる。
ど真ん中から「登場」したのはまたもや馬に乗る少年。
13-1神の子が現れたようなシーンだった。





馬を器用に操り、バイクの近くまで近づける。

13お互い手を、彼は生の馬から、私は鉄の馬から差し出し握手。

ああ、こんな時、カメラマンがいたら良い絵が取れたのになあ・・なんて。

いろいろ話したそうでしたが、ロシア語、キルギス語はさっぱりなので会話にならず残念。。



14-11516





17そして山間部に住む子供達は、皆手を振ってくれるんです!




 

18黄色い絨毯のごとく山の裾野に広がる菜の花もとっても奇麗でした☆






19





20さて、今日もやっと辿りついたー、というナルインの宿。


かなりシンプルは田舎ホテルですが、とてもキレイで良かった。

インターネットが繋がらないのでブログのアップは中国に入ってから。

・・とは言っても、中国も不安。


ランチをとってなかったためお腹が空いてたまらない。

ホテルで聞くと朝食しか作らないというので町まで行くことに。

宿の主人が車で送ってくれた。


メニューはまたロシア語とキルギス語のみ。


21言葉が通じないのでジェスチャーで。

久しぶりにチキンを注文しようとするが「チキン」が伝わらない。

鳥のマネしたら、店員の女の子達もそれでわかってくれて、

笑って同じようにジェスチャーで返してくれる。

どこにいても言葉なんてなくても食べることは出来るんだよね。


夜になり、標高2000m超えのこの町はかなり冷え込んできました。


キルギスは想像以上に素敵な国でした。

一番、感じたことは、日本人として何も違和感がないこと、不安がないこと。

異国情緒もありながら、これほどリラックスできる外国って珍しいと思う。

キルギス人は顔も似てるし、とっても親日。


国の情勢は、近隣諸国の中ではかなり不安定。

クーデターも多発。国民の生活は苦しく、失業率も高い。


役人、官僚が利権を独り占めしていることに国民のフラストレーションは沸点に近い。

最近、若者がモスクに行く人が増えたそう。


理由は、

「信じれば救われる」

と。まさに困窮の末路。


多くのこの国の人が口々に語る。

「政府は全くあてにならない」「信じらない。」


ジャニさんに尋ねてみた。「じゃあ、何を信じて生きているのですか?」


間を置かず答える。


「自分だけです。」


今回、主体性を強く魂に持って生きているキルギスの人の頼もしさを感じることが出来た素晴らしい旅だった。




明日のトルガルト峠は3700m超えで富士山山頂とほぼ同じ。

どんなところか怖さもありますが、とても楽しみです。


いよいよ中国!20日間にわたる長い旅が始まります!



【キルギス】ビシュケク〜ブルジェバリスクの旅

2011年7月 10日(日)

走行距離:420キロ
出発時間:8:45
到着時間:16:15
天候:晴れ
最高気温:27℃

カザフで出会い、ビシュケク滞在中お世話になったジャニさんのアドバイスにより、当初の予定してたバルイクチ宿泊を変更し、通称カラコル(現地名:プルジェバリスク)に向かうことにしました。
最終的にはキルギス最大の湖、イシク・クル湖を一周するルートになります。 

さあ、元気よくしゅっぱーつ!!
最初は良かったのですが、10キロほど走るとiPhoneのナビ機能がまたダメになってしまった。
また多くの方のお世話になりながら目的地を目指さねば、思っていましたが完全な一本道でその心配はなしでした。

気をつけないといけないのは、警察のスピードの取り締まりだけだな、
と思い走っていると、


つ、捕まりました。。

いい加減、笑って下さい。

さて、またこの警官も、直球です。

「あなた、スピード違反だよ。お金頂戴。」

すげーなー。キルギス警官。(笑)

また、ごねてみました。

今日はかなり日本語を多用してみました。

最終的には、警官があきれて、手に持っていた私のパスポート、バイクの登録証などの書類を全部私に渡して「いっていいよ」と。

センキュー!と握手をして元気よく出発しました。

そういえば、ジャニさんに私が何度もスピード違反で捕まっているのに一度もお金を払っていないことを言ったらびっくりしてましたね〜。

DSCF0082これはユルタ。

キルギスの放牧民のテント住居です。
昔と違い、現在では一年中これで生活をしている人はいらっしゃらないそうです。


このユルタは幹線道端で物売りをしていらっしゃる方々でした。

DSCF0105バルイクチの町を抜けるとついにイシククル湖が見えてきた!

ちなみに、このイシククル湖へ入るための料金所があり500ソム(900円)かかります。
たっかー。


このイシククル湖って、琵琶湖の9倍ですって!
そして、不思議なことに遺跡のかけらが多く浜辺に打ち上げらてたことから調べたら湖底に遺跡の建造物群が発見されたそうです。
また標高、1600mにある湖でこの周辺は冬は軽く氷点下になる町なのに全く凍らない湖ということで不思議がられているとも。
超ミステリーです!!

写真のとおり、なんと寒い(!)のでカッパを上を来ています。
キルギスに入った途端、暑さが控えめになったと思ったら、このイシククル湖まで来ると22℃くらいまで下がりました。
避暑地として訪れる方が多いのが納得出来ます。

DSCF0092道端のお土産物やさん。







DSCF0096おいしそうなぶどう☆






DSCF0097マス?何でしょう?

詳しい人、教えて。




今日は移動距離が長くスピードが出せないので到着は夕方になりそう。
なので、めずらしく店に入ってランチをとる。
DSCF0099
メニューは、キルギス語かロシア語のみしかなくてさっぱり。






DSCF0102イシククル湖産(だといいな?!)の魚料理を頼んでみた。
言葉が通じないので何の魚か、不明。。

普通に美味しかったですよ。(笑)
190ソム(360円)


DSCF0109湖から少し離れた所で休憩。


すると、



DSCF0124馬車に乗った子供達が寄って来る。

「あ、それ乗せてくれー!」

ということで束の間、キルギスの田舎の子供達と遊ぶ。


DSCF0131実は、めちゃめちゃ眠くなるんです。
道はずーっとまっすぐだし、気候も良いし!

ちょっと寝不足もありーの。

ちゃんと睡眠はとらねばね。






やっと目的地の町に到着・・も、ホテルの場所がわからず人に何度か聞いている時、立ちゴケを久しぶりにやらかす。
自分が転がった際、後頭部を強打するがアライヘルメットのお陰で大丈夫。
キズが付いたことのほうが痛い。

ちょっと疲れたみたいです。

DSCF0133やっとホテルを見つけ敷地に入ると私の到着を待ってくれたホテルスタッフが出て来てくれました。
ジャニさんのお陰です。

【HOTEL AMIR $40】


明日は、キルギス最後の滞在地のナルインに向かいます。
寒いのでしょうか。



【キルギス】ビシュケク〜ブルジェバリスクの旅

2011年7月 10日(日)

走行距離:420キロ
出発時間:8:45
到着時間:16:15
天候:晴れ
最高気温:27℃

カザフで出会い、ビシュケク滞在中お世話になったジャニさんのアドバイスにより、当初の予定してたバルイクチ宿泊を変更し、通称カラコル(現地名:プルジェバリスク)に向かうことにしました。
最終的にはキルギス最大の湖、イシク・クル湖を一周するルートになります。 

さあ、元気よくしゅっぱーつ!!
最初は良かったのですが、10キロほど走るとiPhoneのナビ機能がまたダメになってしまった。
また多くの方のお世話になりながら目的地を目指さねば、思っていましたが完全な一本道でその心配はなしでした。

気をつけないといけないのは、警察のスピードの取り締まりだけだな、
と思い走っていると、


つ、捕まりました。。

いい加減、笑って下さい。

さて、またこの警官も、直球です。

「あなた、スピード違反だよ。お金頂戴。」

すげーなー。キルギス警官。(笑)

また、ごねてみました。

今日はかなり日本語を多用してみました。

最終的には、警官があきれて、手に持っていた私のパスポート、バイクの登録証などの書類を全部私に渡して「いっていいよ」と。

センキュー!と握手をして元気よく出発しました。

そういえば、ジャニさんに私が何度もスピード違反で捕まっているのに一度もお金を払っていないことを言ったらびっくりしてましたね〜。

DSCF0082これはユルタ。

キルギスの放牧民のテント住居です。
昔と違い、現在では一年中これで生活をしている人はいらっしゃらないそうです。


このユルタは幹線道端で物売りをしていらっしゃる方々でした。

DSCF0105バルイクチの町を抜けるとついにイシククル湖が見えてきた!

ちなみに、このイシククル湖へ入るための料金所があり500ソム(900円)かかります。
たっかー。


このイシククル湖って、琵琶湖の9倍ですって!
そして、不思議なことに遺跡のかけらが多く浜辺に打ち上げらてたことから調べたら湖底に遺跡の建造物群が発見されたそうです。
また標高、1600mにある湖でこの周辺は冬は軽く氷点下になる町なのに全く凍らない湖ということで不思議がられているとも。
超ミステリーです!!

写真のとおり、なんと寒い(!)のでカッパを上を来ています。
キルギスに入った途端、暑さが控えめになったと思ったら、このイシククル湖まで来ると22℃くらいまで下がりました。
避暑地として訪れる方が多いのが納得出来ます。

DSCF0092道端のお土産物やさん。







DSCF0096おいしそうなぶどう☆






DSCF0097マス?何でしょう?

詳しい人、教えて。




今日は移動距離が長くスピードが出せないので到着は夕方になりそう。
なので、めずらしく店に入ってランチをとる。
DSCF0099
メニューは、キルギス語かロシア語のみしかなくてさっぱり。






DSCF0102イシククル湖産(だといいな?!)の魚料理を頼んでみた。
言葉が通じないので何の魚か、不明。。

普通に美味しかったですよ。(笑)
190ソム(360円)


DSCF0109湖から少し離れた所で休憩。


すると、



DSCF0124馬車に乗った子供達が寄って来る。

「あ、それ乗せてくれー!」

ということで束の間、キルギスの田舎の子供達と遊ぶ。


DSCF0131実は、めちゃめちゃ眠くなるんです。
道はずーっとまっすぐだし、気候も良いし!

ちょっと寝不足もありーの。

ちゃんと睡眠はとらねばね。






やっと目的地の町に到着・・も、ホテルの場所がわからず人に何度か聞いている時、立ちゴケを久しぶりにやらかす。
自分が転がった際、後頭部を強打するがアライヘルメットのお陰で大丈夫。
キズが付いたことのほうが痛い。

ちょっと疲れたみたいです。

DSCF0133やっとホテルを見つけ敷地に入ると私の到着を待ってくれたホテルスタッフが出て来てくれました。
ジャニさんのお陰です。

【HOTEL AMIR $40】


明日は、キルギス最後の滞在地のナルインに向かいます。
寒いのでしょうか。



【キルギス】ビシュケク滞在

2011年7月9日(土)


滞在日の午前中は、事務作業で結構忙しいです。

洗濯、事務作業、そして、筋力トレーニングも最近始めました。

バイクに乗っているだけだど、体力落ちますからね。

ただ、日本から持って来てたトレーニング用のゴムはアフリカのどっかの国で、泣く泣く捨てて(宿に置いて誰かに使ってもらえるように)来てしまいました。

出来る限り、荷物を減らさねばならないシーンが度々あり、必要最小限のものにするため旅に出て使用頻度の極少のものを、機会あるごとに放棄していったのですが、

その中にそのゴムも入っていました。

今になれば、あーそんなものくらい積みっぱなしでよかったのに・・と思うんですが。

大げさに聞こえるかもしれませんが、その時は僅かな重さの違いが生死に関わる・・と思ってどんどん少なくしていったのです。


でも、どんなことがあっても出発時に皆からもらったお守りのひとかたまりは大切にバッグに入れてあります。

何度、命が救われたことか・・。いつも感謝しています。

午前中は諸々の事務作業を終え、午後から友達として観光に連れてってくれるジャニさんと落ち合い

まず行く先は郵便局。

1EMSで日本に、たまった書類、撮影データのSDカード、等を送ります。


二週間ほどで届く予定で2700円。
 



2ジャニさんの住むビシュケク市内の団地。

相場では、ワンルームのマイホームを購入するのに200万円。

平均月給、200ドル程度というから、日本の価値に換算すると3000万円~4000万円?!

「一般の方は高くて買えないんですよ」と嘆くジャニさんの言葉に納得。


40キロほど走り、国立公園に向かう。

3

途中のカシュカス村という所にジャニさんの実家があるので寄らせて頂く。





3-1おおー、キルギス人のご家庭です!






4広目の土地で、敷地内には家畜舎があり、3頭の牛を飼っていました。

毎日絞られる牛乳は日銭となり、生活のための日用品を購入する源泉になる。




一頭、800ドルで購入すれば、毎年子牛を産み、生産的サイクルが稼働するという。

20年間ほどの寿命だそうです。


子牛を出産しなくなり、お乳も出なくなった頃が最後の時だそうで最後は食べるんだそうです・・。

うーん、どんな想いなのかな。


5ご一家総出でお出迎え!!!


「お茶でも・・」とお誘いを受けたので上がらせて頂くとなんとごちそう三昧。



キルギスの食慣習は、もっとも大切な食べ物のナンから手をつけること、とご指導いただきました。


7それから、ここのお家は木いちごの栽培も生計の一つであり、それを口に入れると・・





うわっ!何これ!!wwうっっまーーーーーーーーーーーーーー!!!!wwwww



信じられないほど甘く、美味しいのです。沢山戴いちゃいました☆☆☆☆☆


1キロ、90ソム(160円)で業者に売るとのこと。

昔は、バザールまで大変な思いをして運んでいたけど、今はカザフスタンへ売りに行く業者がトラックで買い付けにきてくれて楽になったと教えてくれた。


8ジャニさんのお母さんがいろいろ話してくれた。






食事を終え、国立公園へ。


99-1しかし、このキルギスは日本車がまた輪をかけて多い。特にホンダの車が他国と比べて増えた。
 



ダイレクトに日本から中古車を持って来ているとのこと。

ルートは、日本から中国へ船で運び、その後、陸路/鉄道でキルギス入りする。



10アワルーチャ国立公園到着


ビシュケク市内から多くの方がピクニックや、乗馬、トレッキングなどのアウトドアを楽しみにくる場所です。

日本からの観光客を連れて来ることはないそう。


冬はスキーで賑わう場所です。

11写真では判りにくくなってしまったのですが奥の方の山々は4000mを越えていてキレイに雪が積もっています。





12-112子供インタビュー一人目。

野外テントの前で料理をしている社会人グループに混じっていた子供に年齢を聞くと10歳くらい。




今までにない「夢」に、私もジャニさんも大ウケ!

映像のアップをお楽しみに!!


13

どんな料理を作っているんだろうと鍋を覗くと、羊の肉を煮込んでいた。

キリギス人の方は、鶏肉、牛肉よりも圧倒的に羊を食べる量が多いそうです。

また、「オオカミの次に動物の肉を食べるのが多いのはキリギス人」と言われているそうです。


街の市場で生きている羊を飼って来て($100くらい)このキャンプ場で「シメる」そうです。

ちなみにシメる前にお祈りを唱えるのだと。
そして解体ですってww


14すると、このグループの方達が私達を招待したいと言って、テント内で羊肉を使った料理を用意してくれた。




【キルギス】ビシュケク滞在(続き)

さっき食べたばっかりなので食欲はないが、匂いはいいし、少しは食べてみたいと思ったのでとっても嬉しい☆


また、キルギス流のおもてなしです、ということで、皆で乾杯をする時に、

私から一言メッセージを依頼される。

まずは招い戴いたお礼と、自己紹介、ここにいる方々と出会えたご縁に感謝を述べる。 


そこまではよいのだが、

乾杯用のプラコップには、ウォッカが注がれている・・。


「乾杯だよ」「乾杯」。


乾杯とは本当に、「杯(さかづき)」を「乾かす」こと。


それも一気飲みをすすめられる。


おー!!ここは断れる雰囲気ではないぞ・・!


あきらめて、一気飲みはしないが少しづつウォッカの入ったコップを空にした。。
ぷっはあ=、効く===!! 


そうすると、目の前に、どーーーーーーん!と


  「羊の肉」 というより、


  「羊の体の一部」 です


というくらいの塊が骨付きで置かれた。


テーブルの上に、フォーク、ナイフがあったので、それを使って食べようとすると、一人のおやじさんが、


「そんなんじゃねー、俺が食べ方を教えてやるー」


といって、手づかみで肉を挽きちぎりながら食べる仕草を見せてくれた。


隣を見ると、ジャニさんと一緒について来たジャニさんの甥っ子達も同じように食べている。

やはり郷に入れば郷ひろみなので手をべちょべちょにしながら食べ始める。


聞けばこの団体さんは市内にあるガス会社の同僚の集まりとのこと。


懇親会として一年に一回このようにアウトドア食事会をしているのだと。
どこの国の会社も同じだなと思う。 


沢山の会話をし、日本のことを多く聞かれました。


そして、こんなことも。


「私達は日本の震災の時、皆で寄付活動、募金活動をして、社員と街の人達でお金を出し合って政府を通じて日本に送金したんですよ。そのことって日本で知られていますか?」


大変、残念なことにこの時は正直に「ノー」と答えるしかありませんでしたが、国際社会がこれだけ本気で日本の心配をしてくれていることを身に染みる出来事でした。

1516







会もそろそろお開きになるという時、まずグループの代表格の方が挨拶。
そして締めの言葉を女性がする際、日本から来た私を歓迎することと、日本の復興が一日も早くなるように願うお祈りを皆で捧げた。


嬉しい(涙)


そして最後の、




「乾杯」wwww(笑)


16-1

皆さんと記念撮影してお別れ。

ご招待してくださり感謝です。




うー、もう食えねー!

そんで、酔っぱらったー!

でも子供インタビュー出来てサイコーッス!!!


・・という国立公園を後にして、再度ジャニさんの実家へ寄ってからビシュケクへ戻ります。


17-1

ジャニさんちの向かいに9歳の女の子がいるということで

子供インタビュー女の子編も出来ました!!

やっぱ、言う事かわいいね~。ほーんと夢って大事☆







日が傾きかけてきた。

ジャニさんちで再度、


「上がってって下さい」


「夕食が出来てますから」(笑)


18

出して頂いたのは、プラフという代表的家庭料理です。


まさにピラフでした。





もう、究極にお腹一杯だったんですが、味がすっごく口に合い、美味しかったので、なんと完食です。


そして帰り際にはジャニさんのお母さんが木いちごを山盛り持たせてくれたのです。


お別れの時に両方の頬にキスをしてくれました。


こんな温かく、深いおもてなしを受けて最高のビシュケクでした。


ジャニさんにビシュケクのホテルまで送って頂き、手配して戴いた二カ所のホテルの情報を教えてもらっていよいよお別れです。


何から何まで有り難うございました!


ジャニさんの夢の一つに、日本に行く事と教えてもらいました。


カンペイちゃんから、日本に来たら
「うちに泊まりやっ!」て言われているそう。


関西はカンペイちゃんにお任せしますが、関東は是非、


「ウチに泊まりやっ!」


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