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#WORLD DREAM TOURING

“世界の子供の希望と夢を発信します”

People's Republic of China(中国)

エレンホト(中国)~サインシャンド(モンゴル)の旅

DSC002402011年8月3日(水)

走行距離:230キロ

出発時間:10:00

到着時間:19:30

天候:晴れ

最高気温:33℃




今日はついに中国を離れモンゴル入国です!

中国は出入国の手続きがかなり複雑かつ面倒です。

宋社長が昨日中に、私の出国許可をもらう為に軍の当局へ行くも担当者不在のため本日朝に持ち越す。

朝一で許可が下りたのを確認してホテルを出発。


中国国境に着くとキルギスからの入国時と同じく、出国のためにも地元の旅行会社のサポート者が来ている。
DSC00225中国国境。




 DSC00226ロシア製のジープの行列。
全て、モンゴルナンバー。
ちなみにこの車、フロントグリルにクランク棒を突っ込んで、手動でエンジンを掛けるタイプのものなのです。

国境到着から一時間ほどで全ての手続きが完了!

宋社長と、ジェレンタ君とそれぞれハグし、涙の別れ。

いつまでも友達でいましょう、と約束をした。


そこから、20日間ぶりの一人旅に戻った。

モンゴル国境は中国のそれより300mくらい離れた所。

近代的な中国国境とはうって変わって、少々レトロな感じ。

ゲートに入ると、右も左も、言葉もさっぱり判らない私を係官が私を認めると親切に案内してくれる。

ただ、モンゴルにバイクで入国する人が少ないせいか、バイク関連の書類作成に時間がかかり、ここでも国境オフィスを出るまでに1時間。

時間はかかったが、びっくりするほどシンプル。

担当者からバイク関連の書類を受け取り、パスポートにスタンプを押した後はもう何も無く、国境を出る。

他の国だとその後も二重、三重、のチェックがあってから、初めて入国となるのに。


DSC00230後ろがモンゴル国境。
 

「Good-bye China!, Hello! Mongolia!」
 


ついにモンゴルへ入った!

・・が、道が無い。

正確に言えば、草が生えた砂漠地帯に轍が伸びているだけ。

一番、道らしくなっている場所を選び、5キロほど走ると、まるで国境のようにトラックが長く並んでいるゲートがある。


あれ?またゲート?


とトラックをずっと抜いて行き先頭まで辿り着くと、ゲートにチェーンがかけてある。

私が目の前まで行くとそこに居た男性がチェーンを下ろしてくれたので進入。

すると、


「おい!!!!」

と、私を制止する。


なんだと思い、話してみると、英語がまったく出来ない人なのでジェスチャーを交えた会話になるのだが、

この先はサインシャンド、ウランバートル方面へいく道ではないと。

あとから判ったのだが、列車の貨物の集荷場になっていたみたい。

なので、この先へは行けないと言う。


わかったよ、ということでその場でUターンをして出ようとするとなんと、3ドル払えという。

敷地内に入ったからだと。

そしてまたチェーンをかけて私を出さないようにした。

おいおい、いきなり悪いモンゴル人が登場なのかい?と思いつつ、

ここは思い切り、怒って文句を言ってやる。

ウランバートルで働くジェレンタ君の友人から、モンゴル人の一部で外国人にお金をたかる輩がいると聞いていたがのっけからでした。(笑)


「わずか1分、3m入っただけで、金の請求ってなんだ!」

相手も他に数名やってきて、私から金を取ろうとずっと何か言って来る。


ゴビ砂漠のど真ん中で、周りには全く何もなく、多勢に無勢だからか、相手は強い態度で来る。

そして、チェーンは閉めたままの姿勢で、小康状態が続く。


そうこうしているうちに別の車が入って来るため、チェーンを下ろした隙に出た。

もう相手にしてられん、ただでさえ今日は朝の出発が遅れているのに。もう!


砂漠の轍路に停めていたトラックの人にサインシャンドまでの道を聞き、その道を往く。

もうガイドもいないし、モンゴルに入った途端、iPhoneのマップ機能も効かない。
 

DSC00235改めていうが道はなく、轍があるだけ。

その轍も場所によってはいくつもに別れている。

常に迷う。

 

2時間以上走っても誰とも行き会わないこともあった。

貴重な対向車を停めて、

「サインシャンド?」と前方を指差し、道が合っているが何度も聞く。


DSC00236途中であった、チャリダーの中国人夫妻?
これも過酷ですね〜。



eラクダの放牧をしてる箇所も。




轍路は、時には砂地と化し私が最も苦手とする状態になる。


わずかな区間、工事中の未舗装路の部分があり、そこを走っていると、車がエンコしていて道を塞いでしまっていて通れない。

道の左右はタクラマカン砂漠を思い出すような低い砂丘。


このため、大型トラックも二台、通行出来ないで停車している。

砂漠エリアをトラックは通っていけない。

トラックの運転手、助手達がエンコした車を取り囲んでいる。


私が近くまでいくと、通れないから砂丘の上を走るよう指示して来る。

その通りの場所をいくと、スタッグしてしまった。


完全に復帰不能となったところでトラック野郎達が助けに来てくれた。


「もっとスピード出して、凄いつけて乗り越えて行くしかないよ。」とのジェスチャー。


Uターンし、助走を付けて、一気に砂丘を駆け上がる。

転倒すれすれの状態でバイクをコントロールしながら頂上を越え、下った後、未舗装路に復帰。


クラクションを鳴らし、トラック野郎達に手を振ってそのまま目的地目指し北西に進む。

DSC00252


 


結果、全走行距離の230キロのうち、実に180キロほどがダート、砂地、工事中の未舗装路、最後の50キロほどのみ舗装されていた。


大きく長い上り坂がある丘を越えた時、小さな町が広がっているのが見えてきた。

dサインシャンドの町だ。

完全に日が暮れた。

あと一時間遅くなっていたら暗闇になったことだろう。



もしそうなったらアフリカ同様、途中の村で頼んで泊めてもらおうと思ったが、村が無い。

あるのは遊牧民のゲルだけ。

そしてそれも稀だ。


今日は久しぶりのアフリカ並みに不安にかられる移動になった。

でもそれはそれで楽しもうと思い、走ったけどね。


ホテルを向かうも2~3人の人に聞いてやっと到着。

ホテルスタッフは全く英語が出来ない。

お互い、ジェスチャーと書面でコミュニケーション。

一瞬、困ったのが、現地通過。

国境で両替してこなかった。

ホテルの部屋の金額は45000Tg(3000円)クレジットカードも、USドルも受け付けないと。

使えるのは現地通貨のキャッシュだけだ。

困ったなと思っていると、ロビーにATMがあるではないか!

恐る恐る試してみると問題なく現地通貨を下ろすことが出来た。


ほっー。


夕食をとり

久しぶりにチキンプレートwithライスを食べた。(360円)


今日は疲れた~。

寝ます!(笑)


【中国】エレンホト滞在

2011年8月2日(火)


午前中、街から9キロ離れた「恐竜地質公園」を訪ねる。

ここは、前述の恐竜の化石が発見、発掘作業が行われた場所にそのまま博物館がある。

ここは大当たり=!^^

個人的には超オススメです☆


中国に来て、こんな楽しい場所があったとは!って思うほど。

三つの展示館を広大な敷地の中に点在させ、遠くのほうまで恐竜の化石、再現体のオブジェを存在させている。

DSC00142正面玄関




DSC00148展示館から首を出しています。





DSC00149雄叫びを上げてお出迎え。




DSC00150実際に行われている発掘現場の再現。




DSC00154様々な石の展示館も。
石好きな方にもいいかも。



DSC00162DSC00180DSC00185屋外はダイナミックに恐竜が暴れ回っています!


DSC00186DSC00187DSC00192




DSC00164自分で発掘出来るエリアも。
もちろんレプリカですが。



ウチの家族は大の恐竜好きなのでここは連れて来て上げたいと思ったね。
 


明日、中国を後にする。(順調に行けばだが・・)

沢山の歴史的な建造物、17箇所に及ぶ街並、イスラムと中華の食事、5500キロの道のりで見た大自然、などを見て、経験して廻った。


でも私の一番の興味はいつも「人」。

インタビューをした子供は日本や他の国の子供同様、無邪気で、純粋で、素直な心を表してくれた。


出会った大人達にも聞いてみた。

中国人としての誇りについてある若い人達から聞く事が出来た。


「仏教徒してこの地で祈りを捧げることが出来ること。」

中国ならではの言葉に感心した。


悩みや想いも聞くことも出来た。

が、今、このブログ上でお伝えすることは控えることにする。


中国の旅で私が受けた強い感性を言葉で表現するならば、下記に羅列される。


発展と、規制と、成長と、葛藤と、民族と、言語と、慣習と、束縛と、

貧困と、豊かさと、成功と、頑張りと、優しさと、寛容と。


そして、現地語でこれほど話しかけられることは今までで一番。

元を辿れば同じ民族であることを納得する旅になった。


とにかく、中国4000年の歴史を感じられたことに最高の満足。

有り難う、中国。


DSC00221そして宋社長、ジェレンタ君、20日間有り難う。(涙)
 

【中国】四子王旗~二連浩特(エレンホト)の旅

いよいよ!中国横断編完結。

20日間に及ぶガイド伴走の旅が終わります。

モンゴルに入国したらまた一人きりです。


最近、めちゃめちゃ、髪が伸びてきたなー。

もう、ロンゲ目指していっちゃいまーす!



【中国】四子王旗~二連浩特(エレンホト)の旅


2011年8月1日(月)

走行距離:285キロ

出発時間:8:30

到着時間:13:00

天候:晴れ

気温:25℃

整備:電源ソケットヒューズ交換



IMG_9667四子王旗の広場の銅像の前にて。
少しでもチンギスハンの逞しさに肖りたくて。



IMG_9672モンゴルとの国境のエレンホト市(内モンゴル自治区)を目指しひた走ります。





キルギスから中国へ入国して以来、ずっと東へ走ってきましたが、東端の沿岸の大都市、北京まであと500キロ弱というところで進路を変え北上します。

西の端から5500キロ走って来た中国大陸横断の旅もいよいよ終わるんだなと思うと感無量。


北上の彼方にモンゴル、そしてロシアがあります。

モンゴルは遊牧民の地として知られているように、北上につれてそのムードは高まっていきます。

牧草地帯が少しづつ増えていき、気が付けば360度、緑の大地が広がっている。

走っていて気持ちいい!


想像では、モンゴルへの国境へ向かう途中、何もなくなっていくイメージでしたが違いました。

時折、モンゴル民族のテーマパーク?があり観光地になっているのです。

馬に乗れたり、遊牧民の住居、ゲル(キルギスでは「ユルタ」)が並び、土産物屋があったり、そしてハングライダー型軽飛行機で広大に広がる牧草地を遊覧飛行が出来たり。

IMG_9675観光バスも沢山並んでいてとっても賑わっています。






同じ中国との国境でも、キルギスと、モンゴルではこうも違うのかと。

キルギスからは国境を越えて中国に向かう途中、秘境と呼べそうな山岳地帯が延々と続いていたが、こちらのエレンホトが明るいのは首都、北京が遠くないことも要因の一つなのでしょう。


山岳地帯と言えば、中国の南部にはパキスタンと隣接する場所があり、ここからテロリストも入ってくる。

新疆ウイグル自治区で、また事件があったことは日本でも報道されたのかな。
先日の和田(ホータン)地区に引き続き、数日滞在したカシュガル市で自爆テロで数十人が死傷した。

ガイドのジェレンタ君は

「ああ、もうこれで僕の仕事は終了です。もう日本からのお客さんも来ないだろうな」

呆れて笑うしかない状態になっている。



出発時の宋社長の「今日は路面状態が良いですよ」との言葉通り奇麗な道が続く。

ガイド車も時速130キロほどで快調に飛ばす☆

私も同じ時速でついて行くが乾燥地帯にしては珍しく虫が多いので上体を伏せて走る。

カウリング(風防)にヘルメットを沈めると風の音もなく、バイクの音だけが聞こえる。

その音でバイクの調子が判る。

800ccツインのエンジン音と駆動系の音は相変わらず絶好調♪

「本当に有り難う」とタンクを軽く叩きながらバイクに伝える。 


国境の街、エレンホトまであと50キロほどのあたりで突然、目を疑う物体が!!


DSC00062何ー?





DSC00065ぎょえー!




目の前になんと、巨大な二頭の恐竜!!!
首の長いやつ!

私達が行く道の左右にそれぞれ立ち、互いの顔を道路の中央真上で、キスをするように繋がっている。


そしてそこから先には、人間の大きさ~10倍ほどの恐竜が大草原の中に、何十~百頭、いるではないか!
ここも延々と広大なエリアに それが存在している。


中には戦っているもの。
のしのし歩いているだけのもの。
草を食べているもの。
雄叫びを上げているもの。 


完全に、6000万年前の地球に戻ったようだ。
DSC00072DSC00076DSC00081DSC00094




DSC00104DSC00105DSC00106DSC00118









・・全て銅像ですが。 


ということで、ここエレンホトは中国は固よりアジアで最初の恐竜の化石が発見された場所であり、「恐竜のふるさと」、「恐竜の墓地」と呼ばれているそう。

近くに、ホンモノの恐竜の博物館があるそうなので明日行く事にします。
 

今日は高い平均スピードで移動が出来たので途中、食事休憩することなくホテルに到着。


チェックイン後すぐ、昼食のため近所の食堂へ行く。

もう20日間も一緒に居たので私の希望を聞かずも宋社長が料理を頼んでくれる。

「ご飯と、中華料理のおかず。」これです。

面(麺)が主食の中国では、ご飯を用意していない店も少なくない。

最近は気が付くといつも「ご飯あるか~」と店の人に尋ねてくれるようになっていた。


ジェレンタ君が言う。

「ラグ面が食べたいなー。」

もうここは 新疆ウイグル自治区からは3000キロ以上離れた地域なのでほとんど、イスラム料理店を見ない。

あれだけ毎日食べ続けて飽きてたラグ面も今となっては少々愛おしい。


食事後ホテルに戻ってすぐにバイクの整備にかかる。


バイクに設置してあった電源ソケットの修理。

トラブルの症状を日本のBMWディーラー、FUKUDAモーターに連絡すると担当の大津さんがすぐに返事をくれた。

アドバイス通り、ヒューズが切れてた。
とっても小さな部品だがスペアを持っていない。

この部品がないと、携帯などの充電や、電動コンプレッサーが使用出来ない。

ジェレンタ君に相談すると街中を探し回って見つけて来てくれた。

ただ、一個売りはしてなくて、100個単位でのみということで100個買った。

100個で値段は80元(960円)

世界を50周くらい出来そうだ。


誰か、ヒューズ欲しい人いませんかー。


無事、ヒューズ交換が終わり、低くなっていたタイヤの空気圧を上げるため電動コンプレッサーを使用すると正常作動!
すっごく安心。。
ほーーー・・。

これで万が一のパンクにも対応出来るだろう。


夕食はジェレンタ君の友人と親戚の人(共にモンゴル民族)がこのエレンホトに来ているということで合流。

DSC00131この二人はモンゴル、ウランバートルに仕事に行っている方だったので、モンゴル情報を聞く事が出来た。




ウランバートルまでの600キロの長い道のりは、一部の区間を除き基本、ダートだと。。
 

そして!

この夕食は「最後の晩餐」ということで何と、酒を沢山、飲んだ!

DSC00130ずっと、二人からの誘いを断り続けていたが最後の日だけは飲みましょう!と約束をして来たのだ。


 

3年間近く封印してきたので飲めるかな?と思いつつも、モンゴル族独特の何度もの乾杯(その都度、一気飲みでコップを空にしなければならない)にも付き合う事が出来た。

宋社長もジェレンタ君も嬉しそうだったのが私も嬉しかった。


中国最後の街も良い思い出で一杯になり、今日もよく眠れる・・ZZZZ。。


【中国】オルドス~四子王旗(ししおうき)の旅

いよいよ中国ラス前の街に到着!

中国でも3人の子供インタビューに成功出来ました。

映像のアップ、スタッフが頑張ってくれています。

もう少々お待ち下さいませm(__)m



【中国】オルドス~四子王旗(ししおうき)の旅


走行距離:340キロ

出発時間:7:10

到着時間:16:10

天候:晴れ

気温:28℃



今朝は出発時間が早かった。

何故かというと、バイク乗り入れ禁止区内に入ってしまっているので朝の渋滞とともに警察の取り締まりに引っ掛からないようにと逃げるように出発する。(笑)
 

DSC00002しかし、ホテルから一歩、道路に出ると、もう渋滞・・。

滞りなく街を後にしたいと思いつつ、一つ目の信号の交差点を無事通過。
 

二つ目の信号は赤なので停車。

すると、左バックミラーに大きな車の陰が見えた。


「公安」と大きく書かれたパトカーだった。


げ。


そして嫌な予感。


思いっきり、私のバイクの脇に寄せて来て、窓を開けて警官が何か言ってくる!


ヤバい!捕まる!


恐る恐る警官の顔を見ると、とっても嬉しそうな表情で、私に話しかけながらバイクを眺めている。


私は後部トランクに張られた「Jマーク」(日本車両である表示)を指しながら、中国語が出来ない旨と日本から来たことを伝えると満面の笑顔で何か挨拶をしてくれる。

そして青信号になったので、何事も無かった如く発進する。

ほっ。

ガイド車もバックミラー越しに焦っているだろうなと思いつつ。



今日はバイクが走行可能な有料道路を上手く繋ぎながら往く事が出来た。

高速道路に乗れないので国道110号線を行きたいが工事中で道路状態が酷いとのことで今日も行き先を変更

109号線を通って向かうは四子王旗という町だ。

見える風景は、草原、岩山、緑緑しい丘陵、と紾めく変わる。


DSC00008広く緑の大地が広がる真ん中に、左右にポプラの並木のある場所でガイド車がその陰に滑り込むように停車する。




いつものスイカ休憩だ。

ジェレンタ君が手際よくナイフでスイカを割く。

まな板も、お皿も地面だ。


風向きが悪いと、トラックが近くを通る度に、スイカが砂だらけになる。

それを落としながら食べるのだが、これがまた本当に中国のスイカは甘くて超〜美味しい☆!


一段落したところで、緑が広がる景色に目を遣るとそこはトウモロコシ畑だった。
DSC00005
トウモロコシ畑は背が高い。

大好きな映画「フィールド・オブ・ドリームス」を思い出す。

映画ではあの中から往年の大リーガー「シューレス・ジョー」が出て来たんだよな・・。
 

と思っていると、本当に中から、人が出て来た!


誰?!
 

農民の方だった。


時間があれば僕も中に入ってみたかったな。


目的地の町まであと70キロほどの村の食堂で昼食を摂る。
DSC00021太くて、薄い縮れた面が主食の一つ。
名前・・忘れた。



 

しみじみとジェレンタ君が言い出す。


ジェ「あとちょっとでお別れですネ」
 

山 「ホント。つい先日、トルガルト峠を下りて来たばかりだと思ったのにね」

DSC00019




3日後にはまた一人の旅が始まる。

DSC00023このマスク、ヤバいでしょー。
 

女性ものしか売ってなくて・・。

パンティくわえているみたい(笑)

「四子王旗」市に到着。

小さな町だけどどの店を見てもとっても奇麗で新しい町。

DSC00024





ここはチンギスハンの弟の子孫一族が住んだ街として栄えたのだと。

チンギスハンは歴史上、最も広く世界を征服した人物。

中央アジア、中東、東ヨーロッパ、の敵を撃破、駆逐し、当時、世界人口の約半分にあたる国を統治したとのこと。

そして今ではモンゴルの英雄として崇められてる。

2004年、オックスフォード大学が発表したDNAの解析結果から、歴史上、世界で最も子孫を残した人物はチンギスハンだと、ウィキペディアに載っていた。
何処かチンギスハンのゆかりの地を明日、訪れてみたい。 


明日は中国訪問最後であり国境の町、エレンホト(二連浩特)へ向かいます。


「どんだけ走っても中国=!!」と唸りながら走っていた長いシルクロードの旅もエンディングを迎えます。


最後の中国を思い切り噛み締めながら走りたいと思います。

【中国】銀川〜オルドスの旅

世界の子供の夢を聞いて各国を廻っています

中国横断もあと僅か!!

日本の元気のために今日も走ります☆




2011年7月30日(土)


走行距離:440キロ

出発時間:8:15

到着時間:17:00

天候:晴れ

気温:29℃

整備:Fブレーキパッド交換/ヘッドランプバルブ交換

総走行距離(ODD):46800キロ



今日も、予定を変更してオルドスという町へ向かいます。

日本の妻からオルドスってどこ~?中国の地名じゃないみたいね、なんて言われたのでご案内します。

ここです!


内モンゴル自治区オルドス市エジンホロ旗


オルドスという町の名前の漢字もあるのですが、パソコンで入力出来ません・・。

気になる方は是非、  をクリックしてグーグルマップで確認して下さいね。



ついに!やってしまいました。

バイク走行禁止の高速道路をガイド車もろ共、突破し走行です!

突破・・は冗談ですが、ガイド車の判断で進入してみたところ、警察が居なかったので制止されることなくそのまま走りました。

お陰で早く目的地近くまで着く事が出来、今日はオフロード走行なくオルドスの町へ入れました。


ちなみにこのオルドスは、歴史的豪傑、チンギスハンの墓がある場所とされている。

私はヨーロッパからシルクロードに入り、この中国に行き着く中で、このチンギスハンの活躍ぶりは多諸国でいやというほど耳にしてきたので大変、興味深い場所である。


この町に入ってもまた、中国の成長ぶりを目の当たりにさせられる。

銀川に引き続き、高級車が多いのに加え、新築の高層マンションと建設中のそれらが林立、いや、乱立してそのエリアは延々と続きます。

数日前に見た風力発電所のようにどこまで続くんだ?・・状態です。

普通に考えたら需給バランス、全然考えてないんちゃう?

と思えるのですが、まさにバブル絶頂へ向かっている感の中国ですからまだまだその勢いは衰えることは当分ないでしょう。


上海や北京のベッドタウンには遠過ぎと思いながらもこのエリアなら、大都会の沿岸部までも親近感が持てる距離だと思います。


ガイド車が、そろそろホテルに近い付近で停車。

予約したホテルを変更しなくては、と言う。


このオルドス市は街中にバイクが乗り入れ禁止になっていて、予約してあったホテルはその中心地だったのだ。

既に禁止区域に進入してしまっているのだが。


急遽、宋社長が私とガイド通訳のジェレンタ君を残しホテルを探しに行く。

20分ほどして見つかったホテルへ移動し、無事チェックイン。

使っていないホテル別棟ロビーにバイクを入れさせてもらった。


すぐにバイクの整備に取りかかる。

マドリッド以来のFブレーキパッド交換。

そしてヘッドランプも久しぶりに切れた。こちらはワガドグ(ブルキナファソ)以来だ。


タイヤの空気圧を測ると少々低い。

電動エアコンプレッサーのスイッチを入れると反応なし・・。


がーん・・。


充電用カプラの修理をした時にいじり倒たのでおかしくなったらしい。

この先、モンゴル、ロシアでもしパンクしたら・・と考えると相当不安。。

至急、修理せねば。


そしてもう一つ、トラブル対処はデジカメ。

今朝になってもカメラ内に入った水分が乾燥せず正常に動作しない。

オルドス市内のカメラ修理店に持ち込むが2日かかるというので断念。


せっかくの大切な旅をiPhoneのカメラで撮るにはさすがに役不足。

東京/自宅にある一眼レフを送ってもらうことも考えたが、時間がかかり、数日後から始まるモンゴル~ロシアの景色を諦めたくない。

悩んだ結果、購入を前提に市内のデパートと家電店を廻った。

適した機種(ソニーのコンデジ)が見つかったが2100元(26000円)の現地通貨の手持ちがない。

店の人がクレジットカードが使える、と言うので機械に通してみる。


JCB、だめ。

アメックス、だめ。

ビザ、だめ。

マスター、だめ。


・・全部、だめだった。


閉店時間になったので店の人が帰宅ついでに一緒に銀行へ行き、そこで現金を下ろしてくれたらいいですよと言ってくれる。


最寄りのATMに行って全てのカードを試すが、現金を下ろすことが出来ない。

別のATMに行くが同じだった。

結局ドルでの支払いでも良いですよ言ってくれ、全く手数料なしで支払いをさせてもらえた。

そんなこんなで、この旅、3回目のカメラの購入となる・・。はー。


あっと言う間に夕食に出かける時間。

ホテルの裏路地に安宿街が並ぶ筋がある。

中国では外国人は二つ星以上しか泊まることが出来ないそうです。

その通りに食堂が犇めき合い、呼び込みの店主、店員の威勢が良い。

店の前にテーブルと椅子が並べてあり中国風オープンテラスストリートが楽しい♪


あるテーブルで食べている人の料理をみると日本の焼き鳥のようなものが見えたのであれがいい!と、リクエストして我々もこの店に座る。


枝豆、小さな巻貝を煮込んだもの、餃子、揚げパン、シシカバブ、鶏肉の串焼き、そして目玉は雀の姿焼きだった。


大のヤキトリ好きを公称する私だが一瞬、たじろいだ。

まさに鳥の形そのまんま。

焼かれたてで串に刺されている。


生きた羊をシメて解体出来るジェレンタ君でさえ、


「僕は食べません」(キッパリ)


私のリクエストでこの店に入り、宋社長が注文してくれたものなので、一息にかじってみる。


旨い。()


結局、二羽(?)頂いた。




今日も会う人、会う人、会話をしようと英語を話せるか聞くが、ホテルの人を含め話されない。

ここまで、この中国では英語を使う人を見ていない。


もし、一人で中国に来てたらどんなことになってただろうか?

この妖しい裏路地の屋台の、美味しい料理にはありつけなかっただろうな。

【中国】武威〜銀川の旅/銀川滞在

*ここ中国ではインターネットの規制のため、画像のアップが出来ません。

アップ出来る場所に着き次第追って掲載したいと思います。

またイラン、トルクメニスタン同様、フェースブック、ツイッターが閲覧不能です。

(携帯経由のみ通信可能な時があります)
私へのメッセージは trp@jp.bigplanet.com(直メ)へお願いいたします。

ただし、私のプロバイダー(ニフティ)はウェブメールを含め、大変不安定で返信出来る時と出来ない時があります。

何卒ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。


2011年7月28日(木)/29日(金)
走行距離:500キロ
出発時間:8:30
到着時間:18:30
天候:雨
最低気温:12.5℃
標高:2000m

朝食時、宋社長が「今日は寒いですよ」と仰る。

確かに、昨夜からびっくりするような風が吹き始めた。
最初は、どんな長いトラックが走っているんだ?というくらい、
ゴーーーーーーーーーーーーーーーーーと急に低音の轟音が響き始めたと思い、外を見るとホテルの玄関上に掲げてある中国の国旗が強風で穴が開きそうなほど靡いている。
そして、ちょうど交差点を真下に見る5Fの私の部屋からは、中国特有の電動バイクが向かい風に対して進みにくくて苦労している状態が見えた。

いつものように防寒として雨は降っていなくてもレインウエアの上を着て、Tシャツの下にはもう一枚超薄のシャツを着込む。
これでOKでしょう!
ということで出発!

走り出すと、

57)雨。




そして、寒い!

寒い!!

1時間しないうちに、ギブアップ。

このままだと風邪を引くと思い荷物を積んでもらっているガイド車に停まってもらい、私のバッグからレギュラーシーズン用のライディングジャケット(ラフ&ロード製)に着替える。

これで完璧!

しかし更に気温が下がる。

田舎道の何も無い所で再度、ガイド車を停めようとしたところで、眼前にトラックがずーっと連なった大渋滞に出くわす。

何があった?

長く微動だにしないで停まっているトラックの列を低速で抜いていき渋滞の先頭まで行き着いた。
その間、約4キロ。
大型トラック同士の正面衝突だった。
普段、降らないから慣れない雨で運転を誤ったか。

ここで約1時間のロス。

雨がキライじゃないと言い続けて来た私だが、中国の雨はツライ・・。
何がかというと、雨そのものもかもしれないが、普段から溜まりにたまっている路面の土埃が対向車、先行車が舞い上げるものだから、バイクと体中が真っ黒になる。

特にヘルメットのシールドが泥だらけになり視界を妨げるので危なくて仕方ない。

まとまった雨、そして事故渋滞。

思ったよりペースが遅くなった私達は話し合いの結果、目的地を変更することにした。
本来は、蘭州を目指す予定だったが、その次の街、銀川まで行くことに。
位置関係は、武威から銀川の間に蘭州がある訳でなく、途中、別方向へ行かねばならなかった。
そしてここ連日、走行続きだったので連泊することも必要だった。

本来、蘭州へ向かうにあたり、黄河を見れることが楽しみだったが、仕方がない。
黄河は揚子江について中国二位の長さで、世界第5位の河川。
銀川に向かう途中、黄河が見れないか尋ねてみるが、残念ながらそういうポイントは無いとのこと。

僅かな距離だけ蘭州へ向かっていた道をUターン。
一路、銀川を目指す。
・・と、前を走るガイド車がスローダウンして停車する。

どうしたのかな?

私もバイクを停めたところで、目線を右方向に移すと、何と!高台の崖の上からパノラマ状に見事な黄河が見えるではないか!!
絶景ポイントだった☆
ガイドチームもここの場所は知らなかったと。
こういった嬉しい誤算も旅の醍醐味♪

私がイメージしていた黄河は、真っ直ぐな川で、幅がとんでもなく広く、向こう岸が見えないくらいなのかな、と思っていたが全く違った。

かと言って幅は狭い訳でなく確かに大河川であるが、まるで大蛇のようにうねっている。
眼下に吸い込まれるように広がるジャングルとも見える田畑地帯を抉るが如く、ヘアピンカーブのように180°ターンしていく。
その先は山間部に入っていって見えない。
IMG_9646IMG_9645




色がおぞましいほどの黄土色。
まさに、黄河。
中流地域の黄土地帯を通過するため大量の黄土を流送しているとのこと。

水辺には沢山の集落が点在している。
歴史は川が作って来た事を知らしめている。

北京ーチベット鉄道が近くを走る。
この鉄道も、黄河と同様、線路が大きくうねりながら走る。
私達が走る山間の幹線道の急カーブに付き合うように、線路もそのようになっていて並走する箇所が面白い。
どこまで続くんだ?と思うほど長い貨物列車も通れば、とても人気があるらしい客車も見ることが出来る。
以前、アフリカ/ガボンの山奥を走っている時に、並走する貨物列車に手を振ると、運転士が景気よく汽笛を鳴らしてくれた感動が忘れられなかったので、一生懸命、大きく手を振ってみる。
無反応・・。
寂しいので、長く連なった客車が来た時に、手を振ってみるが、乗客の誰も返してくれない。
寂しいのお・・。


途中の小さな村の食堂で、食事を摂る。
食堂に設置されたTVでは、鉄道事故のニュースをやっていてほぼ満席だった食堂の客、全員が神妙な面持ちでTVを見入っていた。
午後になっても天気は回復してこず、気温も上がらない。
インナーウェアをさらにバッグから出して着込み、バイクへ向かう。
10人以上の人だかりをかき分けてバイクに跨がり出発。

途中、工事中箇所が多く、ガイドチーム、迷いに迷う。
その度、私はエンジンを切って待つ。
高速道路に乗れれば全然、問題ないのだが、バイク走行禁止の中国の法律が行く手を阻む。
結局、銀川まであと70キロほどの小さな町で、救世主が登場!
この付近に仕事で来ている営業マン?が銀川まで行くと言う。
普段は営業者を運転しているらしくここらの道に詳しい。
ガイド車に乗り込み、銀川まで案内をしてくれることなった。

ここからは迷うことなく快走!
しかし、何度も裏道、抜け道、迂回道を駆使して行く。
こりゃ、地元民しかわかんないよ!
という所。

お陰様でその後は順調に銀川市内に突入。
人口、200万人ほどの大都市。
一番、驚いたのは交通量が多いのに加え、高級車、新車が多い!!
アウディ、BMW、トヨタ、フォルクスワーゲン、ビュイック、クライスラー、シボレー、ヒュンダイ、キア、日産、ホンダ、マツダ、メルセデスは少ないが稀に見る。
本当に中国の人が豊かになったことを伺わせる。

それから、街のいたる所に新興住宅地の看板広告だらけ。
高層マンションから、低層高級マンション、東京のヒルズシリーズのように敷地内に公園、森林が併設されているものが売り手市場のよう。

さらに、犬が増えた!
小さい犬。
チワワのような、ダックスフンドのような、微妙な犬。(笑)
この二種類と何かがかけ合わさったものが沢山、街を闊歩する。
中国版、ニューリッチと呼べそうな方々が飼っているようだ。
中国は基本、一人っ子政策の国なので家族として犬を迎える家が増えているとのこと。

夕食はホテルの向いのレストランでおなじみになったイスラム風しゃぶしゃぶ鍋。
店の作りも奇麗でオシャレ。
働いているスタッフも笑顔でサービスする人も居る。
東へ向かうにつれて垢抜け度がさらに進んでいる。

この夕食時に宋社長が面白いことを教えてくれた。
中国は56の民族で構成されている他民族国家。

ガイドチームが住むシンキョウウイグル自治区はその名の通り、圧倒的にウイグル人が多い。
各、民族によって慣習が違うわけだが、挨拶から違う。

「一番、面倒なのはウイグル族ですよ。まず一日の始めに出会うと、元気ですか?から始まる。」

ふんふん。でもそれって、世界中、一緒だよね?と思う。

「その後、お父さんは元気ですか?」

「お母さんは元気ですか?」

「子供は元気ですか?」

「羊は元気ですか?」

とまで来る。

これが慣例とされた挨拶だから、

一日の初めの出会いに時間がかかって仕方ないと教えてくれた。

これには大爆笑だった。




2011年7月29日(金)

カメラが壊れました。
昨日の雨で、タンクバックをバイク後部のトランクに入れたところ、振動で一緒に入っていたペットボトルのお茶の蓋が外れ、全て、水びたし・・じゃなくて「お茶びたし」になってしまった。
最悪なのは、そのバッグの中に、今では唯一となっていたコンデジ(カメラ)が入っていた。
さらに、中国で購入するペットボトルのお茶は糖分を含んでいるものが多いため、もう全部べたついた状態に。

カメラの電源を入れると、糖分の影響で、レンズシャッターが少ししか開かない。
さらに、バックスクリーンには初期設定の画面に戻ってしまう。
慎重に水を少しだけかけてながら清掃するも一向にだめ。

撮影不能状態になってしまった。
何処か、大きめの街で再度購入しないと・・。
あーあ、これで三個目か。

あと今日は、
たまったメールの返信、
たまった洗濯、
撮影データの整理
バイクの洗車、
その他、諸作業を徹底的にこなす。

夕食はホテル脇の歩道の上にテーブルを出している食堂でイスラム/中華。
私のリクエストで、ご飯とおかずがの組み合わせをお願いしますと。

すぐ近くの歩道の脇にスイカ売りが居るなと思いつつ、食事をし始めると突然、大声でけんかが始まった。

ジェレンタ君に内容を聞くと、このスイカを買った人が家にスイカを持ち帰ったところ、全然熟れていないものだったそうで、取り替えにきたら小さいスイカだったことに腹を立てて、

客「殺す!」

売「殺してみろ!」

写真-28とえらい激しい罵り合いと、スイカ一個で大そうな話しに発展していた。




私にとっては、目の前でお笑いショーを見ているようだった。

しかし、インターネットには辟易です・・。
今まで使えなかったPCのメールソフトが突然使えたり、と思ったら、ここ数日使えていたウェブメールが相手によっては送信できなくなったりで。。
かなりのストレスです。


今、カメラ、乾かしています。
朝になったら直っているといんだけどなあー。


【中国】張液~武威(ウーウェイ)の旅

10




2011年7月27日(水)

走行距離:280キロ

出発時間:9:00

到着時間:16:00

天候:曇り

気温:23℃


昨夜の食後、ガイドのジェレンタ君が、友人から聞いた夜の遊びに連れてってくれるというが丁重に辞退する。

彼は常に、人を楽しませようとしてくれるお茶目なナイスガイです。


私は酒も飲まないのもあるが、早々にホテルに戻ってやることが山積。

中国に入ってから事務作業が滞り気味だ。

一日の走行距離は今まで走って来た他の国とほぼ一緒なのだが、今までは一人で旅をしてきたので、ほとんどノンストップで昼過ぎに目的地に着いたらランチ、それから事務作業、たまに観光、夕食は近所の食堂か宿にあるレストランで簡単に終わらせる。

忙しいときは、ルームサービスか買って来たものを部屋で食べて終了。

その間、ずっとインターネット関連、その他の作業が出来るので時間はある程度、確保出来ていた。


ただ、この中国は3人で移動し、途中でランチをしっかりとり、夕方、または夜にホテルに到着。

その後、夕食もちゃんとした店に連れて行ってくれるのと人数の関係で食事時間も長くなりがち。

食事はいつも美味しく、ガイドチームのお二人は最高に良い人なので楽しく感謝しています。


ただホテルに戻るのが遅くなるので作業時間が減り作業が押してくる。

事故防止の為にも、最低限の睡眠時間は削れない。

一番、困るのは中国のホテルのインターネット事情。

繋がったり、切断されたり。

規制されて確認出来ないサイトがすごく多く仕事に支障をきたす。

重要なメールのやりとりも必要なのに、結構ストレスがある。

このあたりは、急成長を遂げている中国の未来に期待したい所。



さて、数日前の高熱が嘘のように体調が頗る良い。

ウーウェイに向けて元気に出発!


一時間ほど走るとガイド車が急停車。


どしたのかな?


ジェ「万里の長城をバックに撮影しましょう」


という。


え? 万里の長城、あったっけ?

と何もないと思っていた乾燥した大地を見渡すと、


・・確かにある。


バイクを停めた道から約100mほど離れたところに確かにその存在がある。


幅の薄い壁が途切れながらもずーっと伸びている土の壁がある。


・・これかー。


一瞬、がっかり感があった。

イメージは、観光ガイドブックかウィキペディアの写真に出てくるような、天守閣と城の囲いが広い幅を持たせた階段状の重厚な作りをイメージしていた。


でも、


こんな万里の長城を見る事って珍しくて中々出来ないんじゃないか? と判ると嬉しくなって来た。


ここで数枚撮影。
IMG_9620IMG_9618


 


そしてさらに移動すると言う。


そこはあたりに誰も居ない素晴らしい場所☆
DSCF1332


 


長城の壁は、二階建ての家の屋根くらいまでの高さだろうか。

幅は土台の部分で、15mくらい。

てっぺんのところで人が一人歩けるくらいかな。

たぶん、完成当時はもっと広かったんだろう。

2000年以上の月日の風化でかなりスリムになってしまったと思う。


長城が広く途切れている場所に私達が走って来た幹線道の旧道が横たわっている。

その道から長城の壁の高さの中間くらいまで登れる坂がある。

車では無理だが、徒歩や自転車なら行ける場所。

バイクで一気に駆け上がってみた。

DSCF1319登れた。
 








そして、その上の場所では壁が崩れていて狭い空間だがすっぽりと開いている部分があった。

DSCF1322その間にバイクを滑りこませる。

ついに長城にバイクに乗り入れた!




私が中国で一番したかったことだった☆

夢だった。


昔、訪問経験者に、言ったことがある。


山「バイクで中国に行ったら万里の長城をバイクを走りたい」


経「無理ですよ。そんなところじゃありません。」


とバッサリされていた。



でも、



やっぱ、夢は実現するんだ。

DSCF1320






今日の移動はダート、舗装路でも酷い凹凸、相変わらず下道は判りにくく、迷いまくり、人に数知れず聞きまくり、やっとこさウーウェイに到着。


明日は蘭州を目指します!



ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬(ポルトガル)を出発してここまで、約20000キロ。


まだまだ西日を背に、東へ進む旅は続きます。


Go, EAST!!


【中国】嘉峪閣〜張液(チョンイエ)の旅

*ここ中国ではインターネットの規制のため、画像のアップが出来ません。

アップ出来る場所に着き次第追って掲載したいと思います。

またイラン、トルクメニスタン同様、フェースブック、ツイッターが閲覧不能です。

(携帯経由のみ通信可能な時があります)
☆スカイプ通信は可能です。

私へのメッセージは trp@jp.bigplanet.com(直メ)へお願いいたします。

ただし、私のプロバイダー(ニフティ)は受信が出来ますが返信が出来ません。

ウェブメールを使用すると返信が可能ですが大変不安定で突然繋がらない場合が発生します。

何卒ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。

DSCF1273
2011年7月26日(火)







走行距離:260キロ 
出発時間:10:00
到着時間:14:30
天候:晴れ
最高気温:37℃
総走行距離(ODD):45500km
整備:エアクリーナー交換

※本日は中国の旅のハイライトと言うべき、万里の長城へ行きます。




朝の食事を終えてそのまま宋社長の車で万里の長城へ向かいます。

万里の長城の全長はなんと、6300キロ!!!

この距離ってマジすごい!

私が走ってきた経験をモノサシにすると、スペインの首都マドリッドから、トルコのイスタンブールまでが約5000キロだった。
そしてこの間には、フランス、モナコ、イタリア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア、アルバニア、ギリシャ、ブルガリア、という国が入っていた。

その距離よりももっと長いって何?!
これを、紀元前300年ほど前に作ったというからもう言葉を失います。

建造の目的の発端は北方の敵軍(チンギスハン族)からの攻撃を防ぐものだった。

本日、私が見に行った万里の長城は完城(西の末端)の場所。
一番、多くの観光客が訪れる長城の観光ポイントは日本からの行き易さから北京郊外の場所になるらしいが、ここの関の小宮は、当時の建造物がそのままという貴重な所。

DSCF1255DSCF1262IMG_9581







その関の上に上がって下を見下ろすとずーっと遠くまで長い一本の城壁が伸びている。

DSCF1265その先には、4000m超えの山脈があり、まるでその裾野まで伸びているように見える。





DSCF1266ズーム!






DSCF1267さらにズーム!!






所々、破損して繋がっていないところがある。
長い年月による浸食や戦いでの破壊、また近隣の方が自分の自宅の建造のために壁石の略奪もあったとのこと。

その一部、城壁が切れているところを国道が走る。
私が昨日、そこを通った時は、城壁がフェードアウトしたかのようになっていて、そこが長城の終わりだと思っていたが逆だった。

上から見ると、そのフェードアウトは少し先でまた復活していて、ずーっと進み、ぐるーっと廻って上海の先の東の端まで続いているという。

28)もう、なんだか、この壮大さは、まさにロマンです!!





IMG_9586こんなの登れませんって!!





IMG_9598一応ね・・。





私とガイドのジェレンタ君は朝一番で、入場したのでどこに行っても人が少なく撮影も楽だった。
・・が、帰り道は、スゴイ人の流れに逆らって坂を下って行くほど人が増えた。
正門まで戻ると、そこは人の頭だらけ。

慣れているはずのジェレンタ君も
「スゴイ人・・。こんな沢山、人が集まる所、日本にもありますか?」
と聞いて来るので少々、戸惑った。

東京中、スゴイ人なんだけど・・と思うが敢えて考えると、やっぱり東京ディズニーランドでしょう!
中国人の旅行客も一杯だしね。

それを伝えるも、彼はディズニーランドを知らなかったので、話しはそこで停まったが私にとって、この混雑ぶりは少し日本を思い出した瞬間になった。

一旦ホテルに戻って荷物をまとめ、私は着替えバイクにまたがり再出発!

ガイド車に、「万里の長城をバックに写真を撮りたい」と伝えておいた。
やっぱり、バイクで世界を回っているので、いつも名所はバイクと一緒の写真をとっておきたいものなのだ。

ところがガイド車はどんどん、この町、そして万里の長城から離れていく。
私はついて行くしかないのだが、大丈夫かな、忘れてないだろうな、と思い、ガイド車に並走して窓越しに「撮影は?」というとジェレンタ君
「あ」と。
やっぱり忘れていたようだ。

しかしその後もガイド車は停車せず、どんどんさらに進む。

あー、結局撮影出来ずじまいなのかな・・とも頭がよぎりながら走り続ける。

その後、2時間ほど走って、いつものスイカ休憩。

そこで停車するや否や、

「撮影は明日しましょう!次の町の近くで良いポイントがあるんですよ。」

と。

なので中途半端に構図の悪いところで撮影のため停まることは避けて、走り続けたということだった。

しかし、改めて驚いたのは、言い換えれば、どこに行っても万里の長城はあるんだということ。
100キロ走ろうが、500キロ走ろうが、だ。

果たして日本で同じ建造物がここまで長い距離を保持して存在しているものって何だろう?
近代になって作られた、鉄道や、高速道路くらいなものだろう。

紀元前・・2000年以上前からのものがここに存在していることを改めて、時空を越えた壮厳さを感じないではいられなかった。

今日は高速道路ではなく一部だけ有料道路を使えたのでやや楽だった。
しかしまだまだダート路が時折、顔を覗かせる。
中国はとにかく空気が悪いので現地の人でさえバイクに乗る時にマスクをしている人を見かける。
私も目鼻口が、土埃と超乾燥のためにおかしくなりそうなのでマスクをして乗るが、すぐ真っ黒になる。

目的地の町まであと100キロを切ったところで昼食のため停車。
小さな町の食堂で食事をとる。

ご飯があるお店を希望して、出て来たおかずはチンジャオロースと、鶏肉&ピーナッツ炒め、卵とトマトを煮込んだものだった。
かなり美味しかった☆

私も体調がほぼ完全になってきたので食欲も戻って来た。

気がつくと店の前に停めたバイクが人だかりで見えなくなってくるほどに。
食事後、店を出てバイクに近付くと、
何人いるんろう? ひょっとすると街中の人がここにきちゃった?と感じるほど。
DSCF1282実際は50人くらいだったのかな。






人をかきわけるようにバイクの傍に行き、トランクに仕舞ったヘルメットやライディングジャケットを出す。
周囲の人は皆、終始無言の方々でなんか、やりにくいやら、恥ずかしいやら、きまずいやら。
まあ、皆笑顔なのですが。

今まで他の国だと、数名に1人は英語が出来る方が言い出しっぺで話しかけてくる。

開口一番、「これいくら?」が最も多いが。(笑)

中国では英語を話す方が極端に少ない。

なので今回も、誰一人も声をかけてこず、笑っているだけでした。

逆に私が中国語が出来たら、ずっと楽しいだろうな、と思う。


その後、一時間ほどで目的地の町に到着。

たまった事務作業、そしてバイクの整備が出来る時間に到着出来て嬉しい。

まずはエアクリーナーの交換。
今朝、エンジンをかけるとフケとアイドリング状態がイマイチ正常でない。

ビッグトラブルでないにせよ、まだ長く続く旅程とビッグプロジェクトを詰め込んだ私の旅を無事完遂するためには、小さなバイクからの訴えも見過ごせない。

計算してみたら、エアクリーナーを最後に変えたのがスペインのマドリッド。
そこから、すでに18000キロほど走行している。
原因はこれに間違いないだろう、と今日は走りながら考えていた。

タンクを外し、カバーをとると、そこには、虫、小石、土埃に酷く汚れたエアクリーナーが存在していた。
やっぱりね。

整備を見たいと言って傍にしたジェレンタ君も「おわっ」と言って驚いている。

新品に交換し終了。これでひと安心。

今日の夕食は、鍋料理。イスラム風しゃぶしゃぶでした。
ここのレストランもそうでしたが町の雰囲気、人の雰囲気、どんどん東へ向かうに連れて、あか抜けて行っている感じがしています。

明日向かうは武威(ウーウェイ)という町です。

さてそこは、どんな町なのでしょうか。

【中国】敦煌〜嘉峪閣(かいようかん)の旅

2011年7月25日(月)

走行距離:410キロ
出発時間:8:00
到着時間:20:00
天候:晴れ
最高気温:38℃


今日は、昨日出来なかった敦煌観光を終えてから
嘉峪閣へ向かいます。

向かうは莫高窟。
ここは世界遺産に指定された巨大な千仏洞が存在します。
敦煌の街から砂漠地帯を20分ほど走ると到着です。
そう、ここはゴビ砂漠のど真ん中にある街だったのです。
千仏洞は数日前のトルファンで見た感動の由来があるネーミングだったのでここの千仏洞も結構楽しみでした。

IMG_9569ここは 4世紀頃から1000年間かけて作られていったそう。
岩山をくり抜いた洞の中に、仏教に関する壁画や礼拝所があるのはトルファンのベゼクリク千仏洞と同じだが、それとは別に世界で二位の大きさの大仏を含めたものが3体あった。


それを見た時はもう、感動の嵐!
山をくり抜いて洞窟を作りその中に大仏があるって・・。
もちろん、大仏そのものも、岩山の一部で作られている。
何かを組み立てたり、下から上に積んでいったものでなく、いわば岩の無垢からの削り出し。

27mの高さは、見る者を圧倒するが、その表情はとても優しい。

一番、驚いたのは製作開始から、完成まで30年の月日で作ったのだと。
作り出した工人が20歳だったら完成した時は50歳になっていたということだ。
完成した日のことを想像したら涙ぐんでしまった。

一つのことを辞めずにずっとやるのって地味だけど、本当は一番輝きがあることだと思う。

全部で500〜600あるとされる石窟の中、見学出来たのは10カ所程度。
月曜にも関わらず沢山の観光客で賑わい、今回、私含めて日本人4名の日本語ガイドツアーのグループに入った。
お一人で参加されていた男性と、夫婦か、失楽園(笑)か不明な30〜50代のカップル。
ここまで来るともう日本人同士会っても全く珍しがらない場所になったんだなと感じた。
約一時間半の観光は終了。

さて、先を急がねばなりません。

朝、体調はまだやや微妙だったが、だんだん良くなってきたので安心してライディングが出来そうです☆
DSCF1216モンゴルに繋がるゴビ砂漠が広がって来ている。






私が莫高窟で観光中、中国人のBMWライダーが居て、本来、中国では禁止になっている高速道路にバイクで乗ってチベットまで行くと宋社長に話していたとのこと。

DSCF1219そのライダーからの情報を参考に高速道路の料金所まで行くが、係官が私の入場を強く制止する。結局、長い下道をずっと行く事になります。また、この道の状態はハミから敦煌までと同様、悪い、悪い!




また、全身、土埃で真っ白!に。

途中、ランチとメロン休憩をした以外はずっと、悪路との戦い!

DSCF1228延々ダート、

路面陥没、

崖崩れ、


ひどい轍、

通行止め、

標識無しの別れ道、

迷う。
その度、人に聞く。

DSCF1224「上」の道がうらやまし〜!!







DSCF1225そして今日のコースでは暑さで溶け出しているコールタールが道を光らせている。
滑って怖い。




そして大量の砂。

一度、フロントスライド、あわや転倒。
結構なスピードが出ていたので危なかった。

病院でもらった薬が若干強かったせいか昨夜はあまり眠ることが出来なかったので、睡魔がたまに襲って来ていたが完全に眠気が吹き飛んだ!

「こんなところで転倒してたまるか!!!うりゃーーーーーーー!!!」(笑)

気合いを入れ直す。

あと100キロほどで街というところまでやっときた。

右側には、頂きに雪を美しく冠らせた山脈が見える。
走行中のバイクの温度計をみると38℃。
間違いなく4000m級以上の山だ。
後になってガイドチームに山の名前を尋ねるも、

「えーーーーーっと。。」

・・知らないって。(笑)

そう考えると日本の富士山を不思議かつ、愛おしく思う。
3000m台の山が日本一で、健康であれば子供から老人まで登れる。
そして誰からも愛され、もちろん誰でも知っている山である。
だけど、この中国ではこの4000mくらいの山は五万とある。

さらに街に近付く。

そして!
あ、あれは、なんだか見た事があるぞ!!!!!!!!

ば、万里の長城だ!!!!

その完全に終わりの部分、(「完城」というらしい)それはまるで竜のしっぽが先細りになって行き、それがどーんと平地に横たわっているよう。

そこを我々が行く幹線道が踏むような状態で位置されている。

そう、この
嘉峪閣は万里の長城のゴールの街だったのです!

ガイドチームから何も聞かされていなかったので余計、感動した。
ここにも停車せず明日見ることにします。

やっと街に到着。

もう今日はさすがに3人ともヘトヘト・・。

これ、一人旅だったら、最高にやっかいな状態になっていたなと思うと、

うきうきする。(笑) 

・・違うね。大変だと思う。

朝の観光の影響でまたまた、ホテルへの到着が20:00くらいになってしまった。
急いでシャワー、目に入った土埃を良く洗って点眼液。でも目が真っ赤のまま。

そして出来るだけ簡単に食事を希望し、近くの牛肉面(一番、日本のラーメンに近いもの)を食べに行く。
3人で一気に平らげ、ホテルに戻って私は事務作業。

そして、あっという間に深夜。

ひゃー、今日は結構、ふらふらで楽しいです!(いつもプラス思考(笑))

さて、明日はついに万里の長城を登るぞっ!!!!


【中国】ハミ〜敦煌の旅

2011年7月24日(日)


走行距離:420キロ

出発時間:9:10

到着時間:19:45

天候:晴れ

最高気温:39℃


思わぬ食当たりの体調不良により連泊してしまったハミを出て敦煌へ向かいます。



前夜から浅い眠りが続く中、なんとか体調は快方へ向かっている気がする。

6:00ごろ起きて体温を計ると36.8℃。


よっしゃっーーーーーーーー!! 


と、言いつつも体の節々が痛む。

でも、バイクに乗ってれば直るでしょ。()


7:00ちょうどに私の調子の確認に来たジェレンタ君もひと安心。

という訳で、無事、自分の運転でバイクで敦煌へ向かうことになった!


150キロ走ったところで給油と昼食。

体調はほぼ完璧で嬉しい。

やっぱり私にとってバイクは一番の薬だとしみじみ思う。

ちなみに食事の内容はまたラグ面。(笑)

ただ、ここに向かう途中、ついに新疆ウイグル自治区を抜けたことによってラグ面の味が変わってきたことが判る。

やっぱり本場はウイグルなんだなと納得。


この先からは今日の移動の4分の1に中る、100キロは完全ダートになると。

新しい道を造っている工事中の区間だ。

DSCF1191突然、前で地面が爆発!
工事用の発破を使っているようだ。


 

そして、交通量が多いもののほとんどは低速走行のトラック群!


1今日に限って無風のため、トラックが舞い上げる土埃は後方にそのまま大きく、長く、残存する。

その結果、体中、土埃りで真っ白!



視界ゼロメートルの所が多くあり、その中でトラックを追い越し続けるのは目をつむって運転しているようで相当怖い。


途中で衝突事故も見かける。


そう言えば、キルギスや、カザフスタンではこのような工事中区間では、散水車が行き来していて土埃が舞わないようにしていたなあ。

DSCF1200これ、凄い!
何か判りますか?

トラックが、風車の羽を運んでいるんです^^
 


ダート路に入ったところでガイド車と一旦別れることにした。

ペースが全く違うためだ。

車幅が狭く、そして悪路に強いタイプの私のバイクは早いペースで行く事が出来る。


中国に入り始めて先行するガイド車がいないためナビをセットしてどんどん進む。

長距離のダート路が終わるころ、敦煌の街へ向かう分かれ道があるハズ。


その標識は必ず出ているだろう、と思っていた。


ダート路が終わる。「敦煌」に関する何も標識もない。


ナビも、分かれ道までまだかなり、先であることを表示している。


どんどん、進む。


なんか嫌な予感。


ナビを良くみる。


固まっている!


パソコンかよ!


再起動して確認してみると敦煌へ向かう別れ道を既に6.3キロも過ぎている。


やっべー!ガイド車と逸れてしまうよー!(汗)


大急ぎでUターンし、分かれ道に戻る。

そこに到着して電話連絡すると、間もなくガイド車が到着するというタイミングの良さだった。


ほっ。


その後は、敦煌の街まで一直線の舗装路。

路面の凹凸が激しい部分と、きれいな部分が交互にやってくる落ち着かない道。


街に入る。

と、ちょっとイメージと違う。

敦煌って確か、観光地だったか、ラーメンのCMでかは覚えてないけどとても有名だよな、と考えるほど、想像より小さく、まさに中国の下町。


ガイド車が小さなバイク屋の前で停車。


「オイル交換をここでしましょう。私の友人の店です」と宋社長。


敦煌の街でバイクのエンジンオイルの交換をしたい旨を伝えてあった。

本日は長い移動距離とダート路の影響で街へ到着したのが遅くなったため、ホテル到着前にバイク屋へ行く事になった。


当初の予定では、この敦煌は2泊の滞在予定で観光とバイク整備に充てるつもりが昨日の食当たり事件で旅程が変更し、一泊だけになった。

なので到着日早々忙しい。


DSCF1202少しの談笑の後、オイル交換の作業が始まった。





私のバイクには、最近のバイクには多い、トルクスと呼ばれる特殊なボルト類が使われているためその工具を持っているか一応、確認をしてみる。

以前、アフリカの整備工場ではその工具を見た事がなく、プラスドライバーで無理矢理やろうとしてヒヤヒヤしたことがあった。


このバイク屋では、


「もちろん、ありますよ。なんでも揃っています。」


ナメててゴメンね。


そして彼らは作業を手際よく進めていく。


オイルフィルターも交換する為、エンジンガードを外してみると溶接が千切れている部分がある。

過酷な悪路を走り、かなりの打撃をそこに受け続けて来たからだ。


その部分の修理もすぐにしてくれた。


実働1時間ほど。

溶接代諸々込みで、50元(600円)だった。感謝。

(オイル、エレメントは持ち込み)


DSCF1207私の旅のステッカーを渡しながら、写真を撮ってホームページにアップするよ、と言うととっても喜んでくれました。





やっとホテルに到着。


シャワーを浴びてすぐ夕食へ。


「今日はロバ肉ですよー」と宋社長。


ジェレンタ君は「ロバ、食べたこと無いっすよ」と。


そう、自称「オオカミの次に肉を食べるキルギス人」でさえ、ロバは一切食べません!と言っており隣接する中国の新疆ウイグル自治区の方も食べる人は少ないらしい。


ロバ肉は硬くて、薫製っぽい。

好きな人は好きかも?!

ああ、酒のつまみには良いかも☆

内蔵のほうは結構、イケました。^^


すでにここはウイグル族ではなく漢民族のエリア。

同じ中国内でも文化、慣習が違うことを感じて来ています。


シルクロードの旅はこれから中国の中央部へと突入して行きます!

【中国】ハミ滞在

IMG_4254IMG_4263











2011年7月23日(土)
本来ならば、今日はハミを出発して敦煌へ行く予定でした。

しかし、まさに一生の不覚。
昨日食べた食事が大当たり(笑)して夜中、意識が朦朧となる中、下痢と高熱にうなされ、手持ちの薬を飲むと一瞬落ち着くもすぐに悪化。

朝6時にはもう寝てられなくて、ジェレンタ君を起こしガイド車に積んであった自分の体温計をとりにいってもらう。

計ると、

おお!39.3℃!!!!
この体温は久しぶり! 
なんか嬉しい気持ちもあったりして(←ヘン?)

でもガイドの二名を伴っている旅程があるので本来は出発せねばならない。
とにかく、なんとかするために病院へ行って点滴を打ってもらいたいとお願いする。

IMG_4265IMG_4268IMG_4270ハミの街で一番大きい病院に救急課もあったので7時前に診察を受けてすぐに点滴開始。









そうそう、点滴の前に、二本、注射をしますと言うので腕を捲り上げると、

「お尻です」

と看護婦さんとジェレンタ君。

尻に注射か〜。
これもなんか子供の時以来だなと変な感動をする。

本当の食中毒かどうか確認するために便を摂りたいというが全く出ない。
もう、お腹、空っぽだし。

IMG_4271IMG_4274約、2時間近くに亘り二種類の点滴を入れる。

病院のベッドに横たわり、点滴の落ちる部分と天井を見ていると鈴鹿8耐を思い出した。
走行する毎にこんなことしてたな・・。







薬を出してもらい、一時ホテルに戻る。

一瞬、楽になった気がするも体調、全然だめ。
結局、今日の出発は諦めて旅程の組み直しを宋社長とジェレンタ君でしてくれることになった。

ずっとホテルで寝込み、途中体温を計ると36.5℃。

おお!平熱に戻った!

ただ、頭痛と体全体の倦怠感、間接の節々の痛みは続いている。

また寝る。


午後、体温を計ると、37.5℃。

また上がっている。

寝込む。


夕方、計ると、38.9℃。

くー、つ、辛い。
汗、ぐっしょり・・。


再度、病院に行きドクターを話すが、

「汗が一杯出てて、嘔吐、下痢がないなら再度の点滴の必要はありません」

となり、またホテルにもどる。

宋社長、ジェレンタ君が買って来てくれた軽い夕食をとって薬を飲む。


もし、明朝もこんな状態なら、トラックにバイクを積んで敦煌に向かう可能性も・・。

さて、明日の朝、体調が良くなっていますように。

しかし、この旅の出発以来、まったく病気無しでここまで来た私のタフな体があっさり高熱に犯されるとは。

さすが、中国!変に関心したりして。(笑)

今日は辛いのでこの辺で。

【中国】トルファン〜ハミの旅

*ここ中国ではインターネットの規制のため、画像のアップが出来ません。

中国出国以降(8月上旬予定)にアップ出来る場所に着き次第追って掲載したいと思います。


またイラン、トルクメニスタン同様、フェースブック、ツイッターが閲覧不能です。

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ただし、私のプロバイダー(ニフティ)は受信が出来ますが返信が出来ません。

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何卒ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。


2011年7月22日(金)
移動距離:395キロ
出発時間:9:30
到着時間:16:00
天候:晴れ
気温:37℃

今日は私の誕生日!
実際は46歳になったんだけど今だにスピリッツは27歳の感覚でずっと止まっている!(笑)
人生の折り返し地点あたり(と勝手に思っている)の誕生日に大好きな自分のバイクで地球を走っている幸せを噛み締めています。
私に関わってくれた全ての方に深く感謝をしつつ・・。


今日はシンキョウ地区で見所が集中している猛暑の街、トルファンを離れ、ハミへ向かいます。

朝食会場へ行く為に部屋を出てエレベーターに乗ります。
3階から乗って一瞬、動き出したと思ったら急に真っ暗になり停まった!

実はこのトルファンでの滞在中、宋社長、ガイドのジェレンタ君の二人とも一回づつエレベーターに閉じ込められていた話しを聞いていたので驚きはなかった。
ああ、私も経験するんだね、と。
携帯を持ってて良かった、と思ったのは完全にたった一人で暗闇に閉じ込められても光を確保出来たこと。
お陰で非常ベルのボタンが判り、押すことが出来た。

ジリリリリリリリリリーーーーーー!!!!!!

とホテル中に響き渡っていると思うような音が閉じ込められているエレベーターの中でも聞こえている。

・・ただ、一向に反応がない。

もうひとつボタンがある。

インタホンだ。

押す。

中国語の人が出た!

とりあえず、

「Help me! 」

と言ってみる。

すると、中国語で何か言って切れた。

その後も動きが無い。

さらに非常ベルを押し続けるとやっと動き出した。

その間、3分くらいかな?
確かに当人にとっては長く感じるものだ。

実は私をロビーで待っていたジェレンタ君が非常ベルの音に気付き、ホテルスタッフに言いに行ってくれた。

ジェ「エレベーターの故障で非常ベルが鳴っているよ」

と言うと、

ホ「は? ああ、わかりました」

と、全く、気が付いてい無かったとのこと。
もう、笑っちゃうよね。



チェックアウトしてバイクに近付くと夜のうちに少し雨が降ったらしく、バイクが真っ黒!
正確に言えば泥だらけ。

通常、雨が降ると汚れが酷かったバイクが少しはきれいになったりするもんだけどここ中国は違う。
大気が土埃で覆い尽くされている(特に街中は)ので雨が降ろうものなら、車は一気に汚れる。
近いうちにまた洗車をしよう。

昨日、観光した西遊記の火焔山を横目に東へ向かう。
まさに三蔵法師が通ったシルクロードを逆走していく。

DSCF1171大型トラックが工事エリアに入ると土煙を舞い上げる。






12:00になったあたりでガイド車が途中の街に停車する。
「ここを過ぎてしまうと一切、食べ物屋がないので昼食にしましょう」と。

「何にする?」と通訳を通じ宋社長が聞いてくるので、

「何があるの?」と聞くと、

<ジュウベン炒面>というものがあるという。
麺の具材をちぎってほうとうのような形にして野菜と肉と一緒に炒めるものだと。

「それ!それ、食べます!」

ついに、ラグ面の連続記録が終了です!(笑)

DSCF1172ほぼ青空キッチン状態のところで店主ご夫婦が麺の具材を手で食べ易い大きさにちぎりながら手際よく大きなフライパンに放り込んで行く。
その後、じゃーじゃー、音を立てながら炒める。




「三丁、あがり!」そんなカンジで 15分後くらいに出来きてきた。

DSCF1174味はラグ面とほぼ同じでまあまあ。
宋社長とジェレンタ君はがふがふと食べ進み、ほどなく完食。





私はあまりお腹がすいていなかったので半分ほど残してしまった。
ここ中国にいても、食べ物を残すとセカンドハーベストhttp://www.2hj.org/ に申し訳ないな、と思ってしまう。

食後もあまりゆっくりしているとバイクの周りに人が集まって来てしまうため、早めに支度をして出発。

一時間以上走った後、広いパーキングエリアに停車して休憩。

私の大好きなコーヒーを用意してくれる。ほっと一息。
・・は、いいのだが、草むら側に近付くとものすごい無数の糞。。
踏まないように歩くのに注意が必要。

山「これ、何の動物の?」

ジェ「人間ですヨ」

ひゃー・・。

ここでは青空トイレは常識です。。



あと100キロほど走ればハミの街だ。
いつものように私は歌を唄って走っていると、ガイド車が二股分かれ道を左側の主幹線道に進み一キロほど過ぎたところで停車。

ジェ「道を間違えました。側道に行かないといけませんでした。」

山「ほーい」

真ん中に中央分離帯がある片側二車線の有料道路なので、どこか中央分離帯が途切れている場所でUターンをするのかな、と思っていると、

ガイド車は、そのまま自分達が走っていた道をUターン!
ハザードを出しながら走って行く。
はい、完全に逆走です。(笑)
それも追い越し車線側を往っている!!

DSCF1183私は自分の判断で路肩側を逆走・・。






かなり通行量が少ない道だったのでこんな判断をしたようですが、一キロの逆走中、ついに対向車(むこうにしてみれば通常の走行)が来てしまった!!!
それもかなりの巨大トラック!

ただでさえ、ささいなことでもクラクションの嵐の中国の交通社会なので、トラック特有の耳をつんざくようなホーンをこの時とばかりに鳴らして来るのでは、と恐る恐る出来る限り道の端を走って行くと、ゴー・・と低いエンジンとタイヤの音だけを残して何もなかったようにすれ違って通過。

あら?

たぶん、こんなことする人って沢山いるのね。

そして無事、行くべき道に戻ることが出来た。

ガイド車的には普段はこんなことは一切しないと思うのと、あくまで私の運転技術を信頼してのことだったと思う(←一応フォロー笑)


ハミの街に入る。
が、ガイド車が途中で停車。

ジェ「向かうホテルの場所が判らなくなっちゃって」

ちょうど私のiPhoneのマップ機能が使える状態だったので検索するとすぐに画面上に出て来た。
ここからは私が先導していくと、迷わず一発でホテル前に到着!

ジェ「これすごいデスネ@@」

そう、私の旅でずっと助けてくれていて有り難い。
でも過去の世界一周をしていた先人達の苦労を考えると頭が下がる。

さてホテルに到着し部屋に向かう時、エレベーターの張り紙に日本食、それもスシの写真が掲示されているではないか!

山「もしよかったら今晩は日本食でもいい?」

ジェ「社長に聞いておきますね」

しばらくしてホテルの部屋の電話がなり、ジェレンタ君だった。

ジェ「日本食を部屋に届けますヨ。私と社長は外に食べに行きます。」

OK、と答えつつも、なーんだ、日本食を一緒に食べないのか、と思っていると頼んだ時間に、
ルームサービスとして運んできてくれた。

大きなお皿の外周にカッパ巻きがいくつか乗っていて、中央にはタコ、サーモン、空いている場所にはほっき貝ぽいものが刺身として乗っている。
あとはキュウリをスライスしたものとかまぼこ。
それに、タレが二つ。

DSCF1185一つはやや透明な天ぷら用のものみたい。
もう一つは、しょう油(かな〜)とわさびを1:9くらいの割合でシェイクされていて死ぬほど鼻にキク!!!



超超、久しぶりの日本食なので嬉しいのなんの!!!
前回食べたのはスペインでお世話になったペンティさんご夫婦と一緒にいったマドリード以来。

まずカッパ巻きをパクっ!

・・まずい。。

私の好きな貝はどうかな?

パク!

「ジャリ」

ジャリ?って何〜!!!?www

砂だらけで吐き出す。

別の貝を透明の天ぷらのたれで洗うようにすると大丈夫だった。
サーモンも砂がついていないかと思いタレにつけると、

え?

透明だったタレが真っ赤になった!!!
ものすごい食紅が出てきた。

食欲が一気に萎え、キュウリをぼりぼり、そして、かまぼこを食べると
これは一体いつ作ったんだ?と思うほどパサパサで堅くなっている。

完全に食事終了。

私の一人の誕生日ディナーはこうして寂しく終わるのであった。(笑)

まともな和食くいてーよー・・。



今日は珍しくぼやきが多かったブログになってしまって反省。

でも口はばからず言えば、どうしてこんな幸せな人生になったんだろう?と考えてみながら走った一日だった。

多くの方に感謝をと申し上げたが、そうそう、もう一人、感謝する相手がいた。

それは、過去の自分。
昔の自分は、「未来の自分のために今、努力しよう」と思った。

だから、今、こんなに幸せだ。

でも・・ということは、今から考えれば、将来の自分のために、益々努力をしなければならない。

未来の自分が今の自分に感謝するように。

【中国】トルファン滞在

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44)


【中国】トルファン滞在

2011年7月21日(木)


(交河故城)



今日はトルファンに滞在して近郊の見所観光とこの先の旅のための買い物などをして過ごします。


最初に訪れたのは6世紀(唐の時代?)に作られた、アスタナ古墳。

500基の墳墓が発見されたとされるが現在、観光客が見れるのは3基のみ。

それぞれ、10~20の石段を下りて地下に入って行く。


DSCF1069一つ目。

儒教の教えを表現した壁画が今も鮮明に見る事が出来る。

うーん、悟りの世界ですね。



二つ目。

このウイグル地域に存在しないはずの鳥などの絵が書かれている。

別の地からやって来た人が自分が最後に眠る墳墓の壁に故郷の想いを残したのだとか。


そして三つ目。

両脇が段々と狭くなって行く作りの階段を降りて、直接の光が入らないほど暗めの墳墓の中に入ると、


「うをっ!ww」


思わず声を漏らした。

先に入っていた一人の欧州人男性と女性ガイドが私の声を聞いて小さく笑う。

ひょっとすると全く同じことをしたのかもしれない。


そこには、完全なミイラが二体、横たわっていた。

簡素なガラスケースが被せられているだけのものでごく間近にそれが存在している。

言ってしまえば人間の死体そのものである。

それをまじまじと見る機会に立ち会っているのだ。


この二つの体は夫婦だったのだと。

今にも生き帰りそうな保存状態だ。

何故か、だんなのほうは苦しそうな表情だが、奥さんのほうは眠るような、かつ幸福そうな表情をしている。

しかし、1500年間も仲良く一緒にいられてるって素晴らしい!!!と最高に感動。。


次に向かったのは街から40キロほどの場所にある火焔山(かえんざん)。

DSCF1063ぼうぼう、赤く火が燃えているように見えることから名付けられた山。




とにかく大きく、そして幅広く立ちはだかる特徴的な岩肌の山は圧巻!
 

西遊記では、孫悟空が燃えるこの山の火を消すことが出来る芭蕉扇を手に入れるために鉄扇公主と戦った舞台になったとして有名。

もう一度、西遊記、ちゃんと読みたくなった。(笑)
DSCF1064沢山の観光客が訪れています。


 
 


ベゼクリク千仏洞。

DSCF1085山奥の崖というか、中腹の岩肌を削り出して作られた洞窟式の仏教殿。




これも6世紀から始まったものらしいが途中イスラム教の影響や、多くの内部は長い歴史の中で破壊、浸食、略奪により傷みが激しく見れた場所は4~5カ所の石窟だけ。

それぞれ内部の天井部の壁に999個の仏が描かれているが、何故「千(1000)仏洞」なのかというと、


「最後の一つは自分の心の中にある。」


とされるのだと。

私はそれを聞いてかなり感動しとりました。。

結局最後は自分なのだという悟りをこの地の存在が物語っている。
DSCF1093火焔山の裏手に位置することから、ここにも西遊記の主人公達が建造されている。



IMG_9521可愛いラクダだった。




すかさずジェレンタ君
「ラクでしたか?」
・・だいぶ、パターンが掴めて来た。


「昼食に行きましょう」とガイドのジェレンタ君。


ジェ「今日は日本の『地球の迷い方』にも載っているレストランですよ~」


山「へー、何が有名なの?」


ジェ「ラグ面です」


山「・・・う、うん、いいね・・」


もう、中国に入国してすでに一週間が過ぎたが毎日、ラグ面だ。

何かの連続記録に挑戦しているようだ。


ランチ後は今後の旅に必要な物資の補給など。

まずはそろそろオイル交換の時期になってきたため、ガイド車のガソリン給油の際、スタンドでエンジンオイルを購入。

二日後に訪問する大都市、敦煌で交換の予定。


次は、カシュガルで入手出来ず、シンキョウ自治区の区都ウルムチから送ってもらっていたチェーンオイルスプレーを受け取る為にこの街の配送センターに行く。
DSCF1096トルファンの配送センター



 

DSCF1099無事受け取れた荷物の中にはバイクカバーも入っていてなんと宋社長からのプレゼントとして戴いてしまった。かー!感謝です。




そしてもう一点は、私の忘れ物の補充。

いつも「忘れ物ありませんか?」とガイドのジェレンタ君が聞いてくれているのに、ついにやってしまった!

今朝、出発したコルラのホテルにシャンプーを忘れてきてしまったのです。

かなりショックです。

ご存知のとおり私の今の本職はアメリカの化粧品メーカーニュースキン社の代理店企業の経営。

いわば自社の製品なんだけど、かなりのお気に入りで、アフリカ大陸でなくなりかけたシャンプーの補充のため、スペインのディストリビューターに会ってまで入手したもの。

それを忘れて来てしまった・・。

このトルファンにおいてこの製品は入手困難なのでジェレンタ君に相談。


「品質の高いシャンプー売っている所があれば後で連れてって。」


出来ればあまり市販品(特に中国のもの)は使いたくない。


「どんなのがいいのですが?」というので


和田(ホータン)にアメリカの自然派化粧品の老舗、メアリーケイをバザールで見かけていたのを伝えて、そのような店か、アムウェイみたいな製品はあるかな?と聞くと、


「あ、僕の友達でアンリ(アムウェイ)をやっている人がいるので連絡しますよ」


という。

DSCF1101するとすぐにホテルまでディストリビューターがシャンプーを届けてくれた。




わー、なんか感動!

他社の製品説明を聞いているだけでとっても楽しかったのと、不安材料をなくすことが出来て大変助かった。


ちなみに、私は旅行に行くといつも「忘れ物魔」と呼ばれるほどで特に団体の場合、関係者の方に多大な迷惑をかけていた。

・・んが、しかーし!

今回の旅では一切、忘れ物をしていない!!(自慢^^)


なので、このシャンプーは大したものでないが(自分では大したもの)とってもショックだったのです。


夕方から再び観光で「交河故城」「カレーズ」という場所を巡った後、「ウイグル族の家庭訪問」に行った先で、バイク好き、日本語が話せるご主人の娘さんに子供インタビュー(三人目)が出来ました。
DSCF1141ぶどう園とカレーズがコラボした観光地で香港からの女子グループに声をかけられ記念撮影。



DSCF11528月26日からがぶどうが最高に美味しいシーズンだとか☆




08)ぶどう園の娘さんがインタビューに答えてくれた♪





 
 

世界中を巡り、子供の夢をずーっと聞いていると、ある法則が見えてきています。

そんなことも近いうちにこのブログで語りたいと思っています。

(近日中に中国編映像もアップ出来ると思います。)


ある知人が言っていた言葉です。


「忘れ物はしても、夢だけは忘れるな」


良い事いいますなー。


【中国】コルラ~トルファンの旅

*ここ中国ではインターネットの規制のため、画像のアップが出来ません。

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(携帯経由のみ閲覧可能になっております)

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DSCF1030【中国】コルラ~トルファンの旅





2011年7月20日(水)

走行距離:400キロ

出発時間:9:30

到着時間:16:30

天候:晴れ

最高気温:48.5℃


昨夜のスッポンのせいか、600キロの移動の翌朝も疲れもなく体調、絶好調でトルファンを目指します!


しかしなんとかく宋社長は元気がない。

聞くとなんと宋社長まで下痢に・・。

ジェレンタ君含め、お二人はちょっと辛そう。

「塔中で食べた牛肉面がだめだったのかな・・」

私のほうは数日前に果物の食べ過ぎで翌朝一回だけお中の調子を崩したがすぐに薬を飲んで復活していました。


ジェレンタ君は前日に私があげたその薬(私の両親からもらった「御岳百草丸」)がとても効いたらしく、


「かなり楽になりました。やっぱり日本のモノは本物ネ。製品は全てホンモノ。そして人もホンモノ。」


しみじみと言い、

「私は日本に行きたいデスヨ」と付け加える。


今日は朝の出発時で気温、33℃!


ジェ「もっと暑くナルヨ」


走り出すと彼の言う通り、どんどん気温が上がる。


正確なバイクの気温計が38を指す。


そして、40


42


43! 

おお!私の旅の最高気温を更新した!

(今までは、アフリカガーナ~ブルキナファソ~マリ~セネガル間の42℃だった。)


44!!


そして、45!!!


体中、ドライヤーの熱風を間近で浴びているような状態@@


そして、ヘルメットのシールドを開けようものなら顔が暑さ、いや熱さでやられる。

シールドをしっかり閉めて、風を浴びないように、バイクのカウリングに体を伏せる。

風を受けて気持ちいいのは、37℃くらいまで。

体温を大きく上回る温度になると受ける風は何かから攻撃を受けているよう。

そんな理由から、ライディングジャケットもメッシュの夏用ジャケットではなく、冬用のジャケットのほうが逆に良いのかもと思う。

体温36℃くらいを保持したほうが涼しく感じるかな、とも。


そこで食事休憩のため停車。


山「すごいね!45℃だってさ!」


ジェ「もっと暑くナルヨ。トルファンは50℃近いヨ」


山「ご、ごじゅうど~??!!」


ジェ「無料のサウナだヨ。へへ。」


「へー」と答えつつも心の中でそれはないな、と思っていた。

たぶん、今の45℃がピークだろうと。


途中から、バイクのハンドルがとられそうになるほど急に風が強くなって来た。

トルファンの手前、100キロ辺りだろうか。

そこにこつ然と現れたのは風力発電エリア。

完成当時は世界一だったというくらい、長距離、超広範囲に渡って巨大な受風器が無数にそびえたっている。

DSCF1027どこまでも風車が立っている。

一体、何万本立っているんだ?

・・最後の端っこの一本を見た時、何故か感動した。(笑)
 


この規模のそれは、まさに大国中国だからなせる業かも。

原子力問題で発電方法に揺れている日本ではこんな敷地を確保することは難しいだろうな。


トルファンまであと少し!

超強風、進行方向の左、真横から受け、バイクは左に傾いたまま直進します。


益々暑くなる!


バイクの気温計は、


46℃!


47℃!!


もう、たまらないほどの暑さになってくる。

バイクのドリンクホルダーにかけてある水のペットボトルのふたを外し、

走ったまま、水浴びをしようと、のど元からライディングジャケットの中に水を入れる。


「ぐわっ!! アッチーーーーーー!!!!!」


DSCF1038・・完璧に、アホです。

ドリンクホルダーにかけてあったわけですから、ペットボトルの水も当然、気温そのまま。

確かに、47℃の風呂に入ったら熱くて飛び上がるよな。


DSCF1042いよいよ、トルファンの街中に突入!



 

DSCF1040気温計はさらに上がり、48℃を表示!!!





もう、ここまでくるとバイクと自分の体がどんな変化があり、どこまで耐えられるか試してみたいと思う。(←やっぱマゾ?)

また心の中では、「鈴鹿8耐」の辛さより全然マシだな、とも思いつつ。


そして、ついに・・


48.5℃!!!!


ここで走行終了。ホテルに到着です。


バイクを降り、ライディングジャケット、グローブ、ヘルメットを脱ぐともっと暑い!!!

ヘルメットを触ると頭部表面がチンチン!!!!

頭が焼けるようなカンジがしていたのはこれか!と納得。


ホテルの人の指導でバイクをもう少し別の場所へ停めてくれというので、

再度、またがり、ハンドルに触れると、あっつうーーーー!!!!!


素手で、ブレーキレバー、クラッチレバーを触ったもんだからもうやけどしそうに!!!


ガイドのジェレンタ君も、不用意に私のバイクのパニアケースに触って


「ウオッ!!!!」と叫んでいる。


そう、路面温度と同じくバイクの表面は70~80℃ほどになっているので、もう目玉焼きも作れそうなほど。


ということでこのトルファンは中国一、暑い街。

DSCF1043さすがに宋社長も暑い、暑いと。





しかし、残念だった。

自分でいうのもなんだが、暑さに強い私としては50℃の世界を体感してみたかった。(笑)

愛車も音を上げることなくいたって快調元気です^^!

DSCF1044DSCF1045DSCF1050夕食は屋台へいってイスラム料理です☆ 



 

【中国】塔中~コルラの旅

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2011年7月19日(火)


移動距離:590キロ

出発時間:8:30

到着時間:18:30

天候:晴れ

気温:40℃


砂漠の宿場町、塔中を出発し約600キロ先の町、コルラへ向かいます。

タクラマカン砂漠の北端でありシルクロードの中道を経由します。


たった一本しかないタクラマカン砂漠を縦断する石油道路はその名の通り、周囲に無数の油田があります。
DSCF0932油田を指す標識。




 

走る道からそれほど遠くない距離で、ひょっとするとぼうぼうという音が聞こえるくらい、煙突の先から炎が出ている天然ガスの基地も見えます。


タクラマカン砂漠は日本が丁度すっぽり入る大きさと言うから相当な広さ。

石油道路はその南側と北側をまっすぐ結び、タリム盆地を突っ切る約500キロの距離。

この道が無かったらとても、とても大回りをすることになる。


この石油道路っていつ出来たの?と聞くと、2001年だという。

どれくらいの期間で?の答えは、なんと4年!

私はもっと長くかかったと思っていた。

少なくとも10年くらいだと。

だって、私が子供の頃住んでいた家の前の国道も、完成まで10年以上かかっていたと思うし、事情は違えど東京の環状8号線なんて、30年くらいかかって開通していたことを考えると、そんな早く出来るなんてとても驚き!


「中国はお金があれば何でも出来るんですよ。」


と自嘲気味にガイド君が語る。


石油=国家財産の存在が解るや否や突貫工事で開拓していったのだった。


まさに中国政府による「選択と集中」ですな。



前日のガソリンスタンドで「やかん一杯のみ」の給油のみで塔中へ到着し、そのまま出発してしまったのでガソリンのことを思い出すと途中で不安になった。


私のバイクはここに来て、リッター30キロ以上、満タンで巡航距離1000キロに達す程で大変有り難い!


しかしすでに相当の距離を走って来ているので残り走行可能距離は約250キロと表示されている。


途中、停まった所で宋社長に聞いてみると、


「大丈夫、大丈夫!ここから200キロ以内にガソリンスタンドがあるから!」


というので一安心。


20しかし・・、200キロ走ってもない。。




もしこのままガス欠になったら・・。
気温は40℃に達しているここで、ガソリンを恵んでくれる人を待つのか、など思いを巡らせる。
 

時速を約70~80キロに落とし、最も燃費の良い速度域で巡航する。

そしてあと、タンク残量2ℓくらい!というところでやっとガソリンスタンドが見えて来た!!


ほーーーーーっ!


よかった。


DSCF0944ここはヤカンでなく、専用の携行缶があったので3回ほどの給油(32ℓ)で満タンになった。





00タクラマカン砂漠の出口ゲート




ちょうど昼食時間になったのでGS向かいの食堂で食べる。

またラグ面(イスラム式皿うどん)。

もう、ほぼ毎日これです^^;

私は麺好き、羊肉OK、という輩なので大丈夫だがそうでもない人にとっては辛いだろうな~。


ふと、食堂の前に置いたバイクに目をやると、周りに人だかり。

それはいいんだけど、中国に入ってからバイクを勝手にいじる人が多い事、多い事!
 

DSCF0945キーを抜いてあるので良いが、アクセルは回す、各レバーは握る、足でタイヤを蹴る、ペダルを踏む、あちこちボディを叩く、中には跨がろうとする人もいる!(苦笑)

 

倒れたら危ないので、ジェレンタ君が注意しに行く。


食後、私とジェレンタ君の周りに人が集まってきて、まずはバイクの値段を聞いて来る。

ジェレンタ君が、約200万円だと言うと「あなたは嘘を言っている」、
そして43カ国廻って来たと言ったことについても「あなたは嘘をいっている」

と、言われたそう。


ジェレンタ君曰く、この近辺の人達は見た事のないものは信じようとしないのですと。


今日が初めての出会いになったのだろうか。




途中、いつものようにスイカ売りの所で停車し、切り立てを青空の下で食べる。

やっぱり究極に甘くて上手い!

デカイすいかが一個、3元(40円)!!(嬉)



今日は移動距離が長いため、何度も途中で休憩を入れた。

DSCF0960DSCF0961バイクはタダ。
料金所を避けて脇道を抜ける。



ある有料道路の料金所を出た所の木陰に停まった時、空になった水のペットボトルをどこに捨てたら良いか聞くと、


「そのまま、草に投げ入れて下さい」という。


見ると、ガードレールの外側にはペットボトル、ビール瓶を初め、無数のゴミが散乱している。


「中国は、ゴミの国ですから。」


そんなこと言われてもそう易々と捨てられない。


今までアフリカから走り出し、どこの国で、どんなに道端にゴミが散乱していても自分のゴミは捨てまいとすべて宿まで持ち帰っていた。


さらにジェレンタ君がいう。

あそこにある看板が見えますか?


DSCF0965(立て看板)<大小便禁止。罰金500元(6500円)>





「と書いてありますが、ゴミを捨てるなと一言も書いていませんよ。」


そして、涼しくなる秋口ぐらいからゴミ拾いに来る人が増えるのだと。

ペットボトルは1画(=1円)、ビール瓶は3画になるとのこと。

なので、ゴミは貧しい人の稼ぎ元になっているのだという。

とは言ってもゴミを捨てることが良いこととはもちろん思えず、自分を納得させることに至らない。


DSCF0966この中国もいつか「ゴミの国」という言葉が思い出に変わる日が来るのだろうか。





「さー、今日の夜は魚ですよ。」と宋社長が出発時から言っている。


実はそれがとても楽しみだった。

魚料理は、記憶が確かなら、イランのカスピ海ぶりだからだ!

トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、ほとんど羊がメインの肉料理ばかりだった。(海がないから)


DSCF0968遠くにコルラの街が見えて来た!




DSCF0971約600キロの移動後、やっとコルラの街に到着した。





DSCF0973DSCF0974・・何か、新宿にあるものに似てる?(笑)





遅い時間の到着だったのですぐ夕食に出ることに。

タクシーで10分ほど走った郊外の新しいレストラン。

出来て数ヶ月という奇麗で高級な店。

店に入ると、エントランスに生け簀があり、みると亀が何匹もいる。


宋社長が亀を指差し、


宋「これです。」


山「これって?」


宋「今日の料理はこれ。」


山「え、・・これ、魚じゃないよ。亀だよ。」


と言いつつもよく見ると亀みたいだけど形がちょっと違う。


・・スッポンだ!!!!


中国の人は、「亀/スッポン」も「魚」と呼ぶと言う。


通された個室には大きなテーブルがあり、一人一人の席に個別に電子プレートが埋め込まれているとても先進的な作りになっている。


沢山の野菜、そして細かく刻まれた生の牛肉、鶏肉などが運ばれる。

そして準備の最後に、小さな鍋が人数分、電子プレートの上に置かれる。

その鍋には特製スープが張られ、中にはスッポン一匹が刻まれて入っている!
DSCF0981DSCF0984


 


その肉を食べつつ、そのスープ鍋をしゃぶしゃぶと見立てて、鶏肉、牛肉、野菜、羊の内蔵、その他をつけ込んで火を通した後、タレに付けて食べるというもの。
鍋のスープの中のスッポンは大きめのぶつ切りで体のどの箇所が解る部位もあり結構、グロ。 


生まれて初めて食べるスッポンは旨かった☆

でも、しばらくは要らない。そんなカンジ。(笑)


ジェレンタ君はあまり箸が進んでいない。


山「どうした?」


ジェ「スッポン、生まれて初めて食べました。ちょっと、口に合いません。それから、ちょっと下痢気味で。。」


そう言えば、昼のスイカの時からしょっちゅう青空トイレに行ってたな。


欲しいというのでホテルに戻って私の常備薬を上げた。


現地の人も強烈な下痢になる。さすが中国!!www

・・ところで私が待っていた本当の魚には、近いうちにありつけるのだろうか。。 

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和光小学校 岐阜市立鶉小学校

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