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#WORLD DREAM TOURING

“世界の子供の希望と夢を発信します”

Mongolia(モンゴル)

スフバートル(モンゴル)~ウランウデ(ロシア)の旅

4201188()

走行距離:280キロ

出発時間:9:00

到着時間:15:00

天候:晴れ時々曇り

気温:15℃

 


短い滞在期間にも関わらずアフリカ並みに?試練のモンゴルだった(笑)

厳しい境遇に逢えばあうほど、人の優しさに触れ、感謝するのはこの旅のお約束。


朝食は8:00からだというのでそれまでに荷物などを万全にして食堂に行くと開いてない・・。

モンゴル、こればっか(笑)

聞くと、9:00からだと。それも怪しい。 

部屋にカップラーメンが常備してあったので朝食代わりに食べる。

実は昨夜も食べたので二食立て続け!

カップ麺好きなので、旨ーいと喜んで食べる!(笑) 


私を気遣い、いろいろとお世話をしてくれたホテルの用務員、ジャルダルサンハーンさん(名前が長い/笑)と別れを惜しみつつ、町を後にする。

向かうはロシア!

モンゴル国境に到着。
 

混んでいないこともあり 30分ほどで全ての手続きが終了。
特に一人だけ、珍しいほど(失礼・・;)美しく、日本語が話せる女性がいて、助けてくれたお陰で早く済んだ。

さて、次はロシア国境。

ある先人のブログにこのロシア国境で凄く時間がかかったと書いてあったので少々、緊張して近付く。

すると、迷彩の軍服をカッチリ着込んだ係官がいるのだが、なんと女性が多く、そして、なんと、むちゃくちゃ皆、美人!

げー。

足が痛くなくなったよ、おい。(笑)

ここでも、モンゴル人の列とは別に、作業を進めてくれたお陰で順調に終了。
最後の荷物チェックも、バイクの横で女性の係官が、言う。

Do you have Drugs, and Guns?

そんなストレートに言われても。()

ナイナイ!もう、笑いながら、1分で検査終了。

こんな友好的、かつ簡単な国境も久しぶりだった。
そしてEU以来の先進国らしさの余裕を感じた一幕でもあった。
そんなこんなで、ロシア国境を40分ほどで出発。


一瞬、分かれ道で迷うが、親切な若いドライバーに助けられ、順調にウランウデにバイクを向けることが出来た。


数キロも走らないうちに驚きの光景に出くわす。


戦車が二台。路肩に停まっている。


一瞬、ドキッとしたが、そう言えば、アンゴラでもこんなのあったなー、と思い出す。

放置と、外国者向けの軍事力アピールの両方だろうと。


いや、でも写真を撮りたかったなー、と思いつつそのまま通過。

行く手の左右は茂った山林地帯になっていたが、一部、木が少なく開けた場所が目に入った。

すると、そこは、異様な風景。


戦車の集会をしている!

何十台もいる!!

そして戦車の上や周りに兵士の姿が沢山!

いやいや、これはさすがに写真を取りたいと思いつつ、ヤバいかなとも。


そしてさらに進むと、前方、左脇に戦車が止まっている。

お、これは写真をすれ違いざまに撮っちゃおうと思うと、なんとこの戦車、停まってない!

動いている!

何? それも、全速力?!

時速、100キロは出ているだろう!


それはそれは、凄い爆音!

轟々と、キャタピラの音と、どんだけの排気量なんだ!?と、思わせる、もの凄いエンジン音が、山間部を切り開いて作られた道合いを鳴り響かせて走って行く。

この心に振動が来るほどの驚きは、生まれて初めてサーキットに行って間近でレーシングマシンの爆音を聞いたときのものと似ている感じだった。


足がキャタピラなので、敢えて、舗装路を走らず、脇の土の部分を全速力だ!

それと、ぎょっとしたのが、真横まで来て見えたのが、戦車の前方、甲板中央部(車で言えばボンネット)から人間の頭だけが出ているではないか!

革製のヘッドギアを付けてゴーグルもせずに、前を見ている。

彼が運転士なのか。
 

2その急ぎ方は、戦車の集会に遅刻してしまって急いで駆けつけているといった感じにも見られた(笑)




今までの旅でいろんな出来事があったが、基本的にはとても平和だった。

ただこの光景を見た途端、私の中の平和の鐘の塔が崩れていく感じがした。

まさにロシアは軍事大国であり、臨戦態勢、またはそれをアピールする国家であると。


僅かに工事をする区間にも出会うが基本、道の状態は良い。

そして、何よりも標識が沢山出ているので安心。

ただ、ロシア語オンリーなので全く読めませんが。(笑)
1真っ直ぐは「ウランウデ」と書いてる。



 


あのモンゴルの大草原が幻だったように、針葉樹の並木道が続く。

いきなり、行き交う車の運転マナーも良くなった。

あのクラクションの嵐、無茶苦茶な追い越し、幅寄せ(特に中国)が嘘のよう。

3何しろ、空の青さがヨーロッパに戻った感じなのがとても不思議☆




5不運な事故は相変わらずあちこちで見かけます。
そこらじゅうで、横転しています。



6ついにウランウデの町に突入!




ホテルを目指し、事前に検索してあった場所にやっとの思いで到着するも、それらしきものは一切ない。

英語が出来る人がいないので苦労しつつ、数人に聞いてやっと到着!

【バイカルプラザホテル 3300ルーブル(8700円)】


日本から持ってきた湿布を使い切ってしまったので近くの薬局へ行く。

シップが無いとのことでジェルタイプのものを購入。


写真 2古傷を浮き上がらせる内出血が酷くなった気がするが、腫れは少しは引いてきたかなあ。

(テカっているのは塗り薬のせいです)

しかし、汚い足だねー。

こんなの掲載してスミマセン。



ユーラシア大陸横断最後の国、ロシアに入国出来て、かなりほっとしています。

この先の見通しもついて来たこともあり、足をもう少し回復させるため、ここで少し滞在する予定です。

 


2万5000キロに及ぶ、ユーラシア大陸のゴール地のウラジオストックまであと3500キロ!

この先、シベリア横断の旅の中で、子供インタビューが、どこで出来るか、どんな答えを聞く事が出来るか、とっても楽しみが広がります!


でも、言葉、大丈夫か?(;´Д`)

【モンゴル】ウランバートル〜スフバートルの旅

2011年8月7日(日)
走行距離:345キロ
出発時間:9:00
到着時間:14:45
天候:曇り時々雨
気温:19℃

足を考慮して、二泊滞在したウランバートルですが一歩も外出出来なかったのがちょっと残念でした。

ホンモノの日本食が食べられるホテルだったので、全て、ルームサービスでそれらを堪能!
でも、またこれでしばらくお別れだ・・。

20分遅れで開いた朝食会場のレストランは日本人95%。
私にとっては異様な光景。
でもこのホテルでは当たり前なんでしょう。

出発のため、バイクに荷物を積んでいると日本人旅行者グループのお一人が声をかけてくれて記念写真。

aご一行様は、モンゴル草原を自転車で走るツアーだとか。
なんとも健康的かつゆとりの旅デスなー。


今日はロシア手前の町、スフバートルへ向かいさらに北上します。

まずはモンゴル最初で、最後のガソリンを給油を行うも高ーい!
1リッター、1590Tg=105円。
この旅、一二の安値だったトルクメニスタンから離れるに連れてどんどん高騰しています。

DSC00358ウランバートル市内です。





DSC00360近代的デザインビルも見えます。





町を出るのに、一時間半!
一本しかないロシアへ向かう幹線道路が工事中で、迂回路の表示もない。
迷いに迷ってやっと復帰!
不親切だなーと、ぶーぶー愚痴ってみる。

DSC00362工業団地群の裏手を走る迂回路を見つけて行く。





途中の風景が今までと違ってまさに緑緑しい。これぞ草原!

起伏のある山が多い→
雲が出る→雨が降る→植物が育つ。

ということなのでしょう。
ここでは、ゴビ砂漠と同化するモンゴル南部に対し、ウランバートルを境に違う顔を見せてくれた。

ゲルの数も圧倒的に増えて来る。
砂漠地帯と比べれば断然、放牧がし易く住みやすいのでしょう。

しばらく走ると、車にはねられたばかりの白いヤギがいる。
顔から赤い血を流しグッタリしている。
そう言えば、数分前、フロントガラスが、グシャグシャになっていた車とすれ違った。
今までにないほど家畜の数が増えて来ている。
気を付けないと・・。

住居の形状にも変化があり、ロシア調?の家が増えて来ました。
風習、文化の移り変わりをバイクに乗りながら感じられるのはこの旅の醍醐味^^。

町に着いた。

こんな人を見かけた。
あるホテルで、玄関口に到着した途端、バイクを倒してホテルスタッフをびっくりさせているかっこ悪い人がいた。

私だ。(笑)

バイクを降りたまでは良かったが、右足に体重が掛かった瞬間、よろめき、思わずバイクを掴んでしまい、一緒に転倒。。
情けなー!

多くの方からメッセージを頂く。
もっと休養せよ!という内容が殆ど。
有難くて、有り難くて、感謝です(涙)

何故、先を急ぐのか?の理由ですが、一つは、ウラジオストクから韓国までのフェリーとカナダ行きの飛行機の日程が決まっているためです。

それから、私の旅のポリシーの優先順位の高いものとして、キッチリ15ヶ月で必ず無事帰国する、と決めています。

期限を切って達成させる、・・ことへの拘りは性分なので仕方ないところもありますが、この旅で、もっと、さらに、違った価値観も見え隠れして来ている今日この頃です。

とにかく、無理は絶対にしませんので大丈夫です。
ご心配おかけして申し訳ございません。

このスフバートルの小さくて、哀愁を感じさせる鉛色の町はもう20〜30キロも走るとロシアです。

夕方前からどんどん冷え込んで来ました。

着込める物、全部着てベッドへ入ります。

僅か五日の滞在のモンゴルの思い出を胸に刻むように眠りに就きます。


【モンゴル】遊牧民泊~ウランバートルの旅

ここモンゴルではインターネットの規制はありません(嬉)

少しづつになりますが、キルギス最終日からの画像も追ってアップしていきたいと思います。
 

DSC00326





【モンゴル】遊牧民泊~ウランバートルの旅


2011年8月5日(金)

走行距離:250キロ

出発時間:7:00

到着時間:11:30

天候:晴れ

気温:23℃


昨夜はベッドで横になるもゲルの中のハエが凄い。

特に顔の、口、目、鼻に入って来ようとする。(笑)

ぶん、ぶん、いうので対策を立てねばと思い、アフリカから愛用してきた虫除けスプレーを久しぶりに出す。

アフリカで雷雨の夜に野宿した時、蚊が凄かったので、顔に噴霧したら痛くて寝れなかった(笑)記憶があったので、ハンカチに掛けてみて、それを顔に覆ってみる。

正解☆

そして愛用の耳栓をして完璧!


朝までぐっすり・・と思いきや、深夜になり目が覚める。
「寒い!」 

モンゴルの大草原は昼夜の温度差が凄かった。

寝る前に用意してくれた温かい掛け布団のお陰で助かった。


5:00頃から家人の大人達は起き始め、放牧の仕事の準備にかかり始めた。

私は5:30ごろ起き、横になったまま、iPhoneを確かめると昨日、電波が繋がったり切れたりで使えずに困っていたマップ機能が復活しており、現在地を特定することが出来た!


やはり、道が大きく反れていた事が判った。

今まで多くの人にウランバートルまでの方向を聞きながら進んで来たが、私が向かっていた道では行けない事はないが、最短、または道の状態が良いルートではなかった。

DSC00325小学校高学年くらいのここの長男が早朝から馬に乗って出かける。



 


大体の目処が付いたので、起きて出発の準備をする。 

するとここの長である、アーンさんが朝ご飯食べてって、と言ってくれる。 


めちゃめちゃ有り難い。

DSC00329出してくれたのはヨーグルト。
放牧民は乳製品を作るのが得意だから、美味しい☆


 


私からはお礼に、20000Tg(1500円)と中国の宋社長から頂いていたカップラーメンをプレゼントすると凄く喜んでくれた。

(宋社長社長、ゴメンナサイ。そして有り難うございます!)


ほとんど腫れが引いていない右足をブーツに収めるのにひと苦労。

右足に体重をかけるとまだ激痛が走る。


DSC00334アーンさんと別れの記念撮影、固い握手とする。
 

まったく言葉が通じなかったがモンゴル遊牧民から一杯の優しさを受けた嬉しい一晩だった。



大草原に佇む、アーンさんが見送ってくれる中、7:00に出発。

何とか、ベストなウランバートルへ行くルートに復帰せねばならない。

とりあえず、来た道を戻って行くと、一本、方向的に合っている道が見えた。

砂地が無いことを祈りつつも、やはり時折、出現する。

バイクの後方に荷物が満載のため、フロントが軽くなっているのでハンドルがとられ易くなってる。

右足を着いたら倒してしまう可能性が高いため、走行には慎重に慎重を重ねる。


iPhoneのマップとGPSのコンパスだけを頼りに、進むと幹線道的な道に出ることが出来たが、その途端、電波が途切れた・・。(泣)


そこからまた何本にも分かれ道がある。

私が向かおうと思っていた所とは違う道から走ってくる大型トラックが見えた。

私の道とは一本、東側を走っている。

並走して合図を送り、停まってもらい、ウランバートルの方向を訪ねたら、私が行こうとした道ではなく、このトラックが来た道だという。

危ない、危ない。

またロストするところだった。


それからは順調にウランバートル方面へ迷い無く、進む事が出来た。

30キロほど走ると、目を疑わせるものが見えて来る。


アスファルトの道路だ。


「でも、信じないぞ!」(笑)


今まで、アフリカでも散々、喜ばせておいて、またすぐにダートに戻る経験が沢山あった。


取り合えず、乗ってみる。


いつまで走ってもダートにならず、センターラインまで出てくる。


おお、これは本当に、ウランバートルまで伸びる幹線道か!と、喜び、走り続け、まさに約220キロの間の舗装路だった。
DSC00346



 

逆に、いよいよ入ったウランバートル市内になると道が悪くなった(笑)


目処をつけてあったホテルに無事、到着することが出来た。

右足をひどく引きずっている私を、周囲の人が怪訝な顔で見ている。


部屋はありますか?

ホテルスタッフは英語が出来るというので話していると、

部屋のタイプと金額を記したものがなんと、日本語だった。


【フラワーホテル 5800円】


ホテルの中にはあちこちに日本語が書いてあり、和食レストランもあったり、ホテルスタッフは日本語が話せる。

日本と現地企業の合弁で作られた、特に日本人客への対応に強いホテルだった。


昼食と、夕食も日本食のルームサービスを頼んでみた。

全て、ホンモノだった(笑)  基本、生ものも無かったし(笑)

DSC00350DSC00352




幕の内弁当!!     照り焼き弁当!!

全てが旨くて、放心状態に(笑)


予定外の遊牧民泊があったため、このウランバートルは一泊にしようと思ったが足のことを考え当初の予定通り、二泊することにした。


明後日には、良いコンディションでモンゴルの北の町へ進みたい。

【モンゴル】サインシャンド~或る放牧民の家の旅(子供インタビュー)

リアルタイムでは現在ウランバートルのホテルに到着しています。
ご心配なく^^!



2011年8月4日(木)

走行距離:200キロ

出発時間:10:45

到着時間:18:00

天候:晴れ一時雨

気温:31℃


昨夜、「明日の朝食は7:00です」とレストランで確認しておいたので7:00に行くと開いていない。

7:30に行くとホテルスタッフが、「8:00から」だと言う。

8:30に行くと、やはりレストランのドアには鍵がかかったままで、先ほどのホテルスタッフも、「今日はだめみたい。」という。

町で一番のホテルでさえこれでした(笑)

しかし、腹減ったー。


子供インタビューのモンゴル語を担当してくれた、ムギちゃん(日本在住)と連絡を取り合うことが出来、ご自身の実家があり、親戚がいらっしゃるこのサインシャンドで急遽、子供インタビューが出来ることになった。


12男の子1名と、女の子2名。

それぞれ、嬉しそうに、またとっても恥ずかしそうに夢を語ってくれた。

 

映像のアップをお楽しみに^^!

*全ての映像を、お盆中にUPすることが出来そうです!

編集チームの皆様、有り難うございますm(__)m


ホテルをチェックアウトし、目指すはウランバートル!

地図で確認するも、途中には町らしい町は少ない。

なので、昼食兼用の朝食をこの町のレストランを見つけ、済ましてから出発。3
サインシャンドの町外れ




昨日と同じく町を抜けると、すぐにダート路。

途中、たまに大きい雨粒の不安定な天候となる。


順調に走っていたが、なんと、転倒!

草原の中を走行中、草で大きめの路面のくぼみが見えなかった。

いつものようにスピードは出ていなかったため、大事には至らず。


ただ、もう一人なのでバイクを起こすのを手伝う人も居ない。

そして、二本のタイヤを含め、荷物が満載の状態だ。


遠くに、羊(馬?ウシ?)追いの二人乗りのバイクが見えたがそのまま行ってしまった。

誰かが通りかかる気配がない。

360度大草原でエンジンを切ると風の音しか聞こえない。

誰かが来るのを諦めて、バイクを起こすため、パニアケース(トランク)含め、全ての荷物を下ろす。
45


 


渾身の力を込めて起こす。

起こした所で、また全ての荷物を積む。


こんなことをして居る場合か!

転倒が一番、時間のロスになる。

改めて絶対に転倒がないよう心掛けて再スタート。


延々と続くダート路を行く。

5-1途中、稀な水辺でウシが水浴び



 

中国で聞いた話しだと、ウランバートル手前200キロあたりから道が良くなるとのこと。

今日の予定走行距離は450キロだから、250キロはこの状態・・。

出発が遅かったのもあり焦りが出る。

またアフリカを思い出し、ダート路の走り方も掴めてきた。

たまに深い砂地があるが、バランスを失いかけたら、逆にアクセルを緩めるのは厳禁。

すぐに転倒に繋がってしまう。


そんな感じで、順調にダートを走る。

相変わらず、対向車もなければ、私を抜いて行く車もない。


それでも会う車両は、1~2時間に一台の割合だ。

一台、地元のバイクとすれ違った。


その10分後くらいだろうか、いきなり路面が深い砂地に変わった!

バイクが振られるもアクセルオンで立て直す。

が、想像以上に深い。

振られ、立て直し、を2~3回繰り返した後、草原と砂地の轍が高くなっている所へ突っ込み、ついに転倒!


そして、右足に激痛が走った!


「うがーー!!!」


「いたーーーい!!!」


右側のパニアケースと轍に足が挟まってしまった。

300キロ近い荷物とバイクの重さが、私の右足首の上に集中している。


これだけの強い痛みは久しぶりだ。

急いで足を抜こうと試みるが、完全に抜けない状態になっている。

どんなに体制を変えようとするも無理。

そして足は、ひねっていて信じられない方向を向いている。


渾身の力を込めて、クラクションを鳴らす。

が、音量は変わらない(苦笑)


激痛は強まる一方で、ヘルメットとサングラスを草むらに放り投げ、

声も出してみる。


「誰かーーー!」


風の音だけで何も反応もない。


クラクションも再度鳴らすが同じ。


ずーっと鳴らしているうち、これでバッテリーが上がってしまったら・・と考え辞める。


そして誰かが助けに来てくれない限り、このままの凄い体制(バイクは右に倒れ、上半身はタンクを抱え込むようにしたままで動けない)で時間を過ごすしかない。


さっき、一台すれ違ったばかりなので、あと1~2時間はこの状態か、と思うと気が遠くなる。

本当に痛みで気が失せてくる気配も。


しかし、身体に変化が起こって来た。

足の痛みが和らいで来た。

正確に言えば、感覚が無くなってきたのだ。

私にとっては激痛から逃れられるのなら、もう何でもいい。


早く、もっと、痺れてしまってくれ!


と願う。


<続く>

<続き>【モンゴル】サインシャンド~或る放牧民の家の旅(子供インタビュー)事タイトル

多分、実際の時間は転倒後から10分ほどだったと思う。


同じ体制のまま、何も出来ず、苦しんでいると、

遠くから風の音の他に、別の音も聞こえる気がした。


でも、また、その音も消える。


そしてまた、風の音以外の音が聞こえて来た!


車の音だ!


近付いて来てる!!


苦しい体制ながらも、道の後方を見ていると、4WD車が見えて来た!


右手で、出来る限り大きく、出来る限り高く、手を振る。


すると私のバイクのすぐ後ろで停車して、30歳前後の4人の男性が車から飛び出して、何やら声を出しながら、私の非常事態を認識してすぐに起こしにかかってくれた。


バイクを起こした反動で、無くなりかけていた足首の痛みが復活する。


「がーーーーー!!」


少し落ち着いた後、彼らと話す。

英語が出来る人達だった。


男性「この体制でどれくらい待った? 一時間くらい?」


山田「うーん、10分くらいじゃないか」


男性「You are Lucky.」


やはり、10分で助けられたことは奇跡だったようだ。


そして、こうも。


男性「バイクで、一人で? You are crazy!!」


山田「Many people say that to me.」


お礼を言って別れた。


そして彼の情報ではあと20キロ走れば良い道に変わると。

その言葉を信じて、激しい痛みが引かないが10分ほど休んだ後、再出発する。


もう右足には力が入らない。

悪路を走るのにさらにスピードを落とさねばならない。

体制を崩したときでも右足は着くことが出来ないから。


そして20キロ走るも良い道は一向に出てこない。


少し手前で、分かれ道があり、「ひょっとすると、あっちかも・・」という場所があったことが頭をよぎる。


ただ、このモンゴルの大草原では方角さえ合っていれば、最終的に全ての道が同じところに合流するように今まではなっていたのでそれを信じて走る。


そして日が暮れて来た。


そろそろ18:00近い。


もうそろそろ、舗装路に出ないと今日中にウランバートルに着く事は無理だ。

もし今、舗装路に出ることが出来て、平均時速100キロで走れたとしても到着は20:00を過ぎる。

しかし舗装路が出て来るそぶりもない。


それどころか、苦労して進んだ道が、土砂の採掘現場になって完全に行き止まりになった。

Uターンし、もう一方、見える道へ進んでみると、今までにないほどの深い砂地になっている。

ただここを越えれば道が延びているように見える。


行くしかない。


超、慎重にバイクを進めるも危うい。

完全に平地の部分であってもスタッグしそうになる。

バイクの勢いを落とせない。

そして、僅かに右側にバイクが傾いてしまった。

思わず右足を出す。

地面に着いた足が激痛でバイクを支えられない。

そのまま転倒。

今回は足を挟まないが今日だけで、3回目だ。


倒れたバイクを起こしにかかる前、呆然となり、


「もうダメだ・・」


辺りは暗くなり始め、風が強くなってきた。

雨雲が近付いている。


別の車両は、今日はもう、一切通ることは無いだろう、と感じさせる。


もし、このまま走り、また足を挟んでしまったら・・。

(今は)使い物にならなくなってしまった右足の上に、さらに左足を痛めてしまったら・・。


草原とゴビ砂漠が混同するこの誰も居ない大地で命を落とすのは絶対に嫌だ!!


今日は走行を止めよう。

何処か寝る場所を探そう。

そう考えながら、またしても全ての荷物をバイクから外し、起こす・・と思ったが起きない。

右足に力が入らない。

体重は左足だけにかけなければならない。

もう一度。

少し、持ち上がりそうになった。

「いける!いける!」

自分を応援する。

「おーーーりゃーーーー!!」

3、4度のトライで、やっと起きた。


再スタートまでの復帰までに20分ほどかかっただろうか。

気が付くと馬や、ウシが近付いて来ていた。


そうか、遊牧民が近くに居るんだな。

下りて来た丘を駆け上がるとゲル(放牧民の住居テント)が遠くに見えた。


広大な緑の草原の中に、白いゲルは見つけやすい。


ゲルに向かう。

草原の中に一本だけ、薄い轍がそのゲルに向かって伸びている。

たぶん、そこに住む人だけが使う道になっているのだろう。


近付くと、30代くらいの背の高い男性がこっちをずっと見ている。

彼の元までいくと少々驚いた表情だ。


英語が出来ないというのでジェスチャーで、

「ウランバートルまでの道に迷った。そして何度も転倒し足をけがしている。雨も降りそうだから、今日、泊めてもらえないか」

と伝えると、すぐにいいですよと。

なんと親切なことか。


強風とこの後来る雨に備えて、家人達はゲルの補強をしている。

6





711-1生まれて初めて入るゲル。

想像どおりの簡素な作り。

でも、パラボラアンテナが外に置いてあり、TVが見れて、DVDレコーダーまであった。

電源は、太陽電池を利用しているらしい。




中に入らせてもらうと、チャーと呼ばれる、ミルク茶を出してくれた。


すっごく美味しい☆

疲れた身体と、悲壮感で一杯だった心を満たしてくれる。


そして日本の切りモチのようなものが鍋にいっぱい入ったものを私に勧めてくれる。

食べるとチーズだった。

めちゃめちゃ硬いのだが、腹が減っていたらしく、大きめの塊をチャーと共に完食。
 

8子供達としばしコミュニケーション。




ブーツを脱ぐと足がパンパンに腫れてまるでゾウの足のようになっていた。

12ひどい捻挫だ。
でも、骨折しなかっただけマシ!
 



バイクまでシップを取りに行くだけでも大変。

ケンケンすると響いて、呻く。

11美しい夕日と痛みに歪む表情は絵にならないねー(笑)


 


10

入り口から大草原だけが見える。




本来ならば、住民の方々と話したり、子供達と遊んだり、馬に乗せてもらったりしたかもしれないが、痛みが酷く具合が悪いため、勧めてくれた二個しか無いベッドの内一つを使って休ませてもらった。

9途中、ハーンと呼ばれるスープの無い麺と羊の肉が入った夕食を出してくれた。



それ以外はただただ、翌朝までずっと寝ることになった。


和光小学校 岐阜市立鶉小学校

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